生き物係のお姉ちゃん

内乃コウキ

チワ喧嘩

 なみだ目で母さんをにらむ、弟のかつ。

 みそ汁、白米、からあげと定番の夕ごはんがのるテーブルを挟んで、母さんと対立している。


 あたしは母さんの横に座る父さんをまねて、とばっちりを受けないように、黙々とからあげを口に運ぶ。

 今日の給食もからあげだったんだけど、小学校のこんだて表、母さん見てないのかな。



 タンと机をたたいた音がしたあと、テーブルに体をのせてかつは叫んだ。いかくする猫みたい。


「いいじゃん、いぬ、かうくらい。おとなりの、やましたくんちだって、いぬかってるじゃん」

「うちと山下くんの家は違います。ここはペットの飼育禁止なの。何回もいってるでしょ」


 母さんは落ち着いた声で返した。

 かつはまったく相手にされていない。あたしは笑いそうになるのを、空になったおわんで隠した。


 テレビでやってた動物番組を思い出したのだ。

 届かないねこじゃらしにむかって、必死に飛び跳ねるねこ。


 母さんとかつはよく喧嘩する。おもちゃの新幹線がほしいだとか、漫画を買ってだとか、たいていかつのわがままから言い合いになる。

 今も、夕ごはんそっちのけで、いぬ飼う飼わないで争っていた。



「もういい!! いぬかえないなら、ぜっこうだ!!」



 床に足がつかないかつは、飛ぶように椅子から降りた。走って、リビングのドアから出ていく。


 いっさい減っていないみそ汁がテーブルに残される。いつもどおり、ふてくされて部屋にこもるつもりらしい。

 油あげが、ぽつんと茶色の汁に浮いていた。


 ため息をついた母さんが立ち上がって、乱暴にあつかわれた椅子をテーブルのそばに寄せる。父さんを見ていった。


「父さんからも、なんとかいってください。来年度から、小学生だっていうのに、あれでは困ります」


 父さんは苦笑いした。


「いやあ、ほら、俺嫌われてるから、何かいっても逆効果だよ」

「はあ~、ほんっとうに頼りない父親。こんなんだから、かつよしもつけあがる」

「すみません」


 父さんは申し訳なさそうに首をすくめた。

 その様子がおかしくて、ついあたしの肩が震えだす。まるで、おにへびににらまれた、太っちょなかえるだ。


 おにへびの目があたしをとらえた。肩の震えは止まって、手が震えだす。


「くみも笑ってないで、かつよしの様子見てきてちょうだい。ごはん食べ終わってからでいいから」

「はーい、わかった」


 あたしはすぐうなずいた。母さんに逆らうより、いじっぱりな弟につきあうほうが安全だ。

 母さんは台所からラップを取りだして、まだ湯気がのぼるかつの料理を包む。


 かつはこうなったら、なかなか部屋から出てこない。朝になったら何もなかったように朝ごはんを催促してくるんだけどね。


 いつの間にかお皿を空にしていた父さんが立ち上がった。


「ごちそうさま、風呂入ってくる」

「ええ、どうぞ」


 かつが消えた廊下のほうに、悲しげな背中を見せて父さんは歩いた。リビングのドアを開ける。


 ガチャンと音がする。


 かつのお皿を持った母さんが冷蔵庫を開けた音と、重なった。息が合った夫婦芸のようで、またあたしの肩が震える。


 かつのお皿がテーブルからなくなると、母さんはため息をついて、椅子にすわった。

 やっと自分の料理に手をつけた母さんが、独り言のようにいう。


「あした、部屋から出てくるといいんだけど。……もしかして、かつよし、夕飯を抜く癖ついたりしていて」

「だいじょぶだって。あたしが様子見てくるし」


 まあ、かつの横で漫画読む予定だけど。それくらい許してくれるよね。


「せめてカップ麺でも食べてくれると安心できるのに……」


 母さんの言葉に思わず、食事の手を止めた。あたしのちっぽけな脳みそに、いいアイディアが浮かんだのだ。


「ねえ、母さん。かつ、カップ麺でもいいって本当?」

「何も食べないよりいいでしょう。何かする気?」

「うん。かつのことはあたしに任せて! いい考えがあるんだ!」


 母さんが心配そうな視線をあたしに向けた。まだ小学生のあたしに、不安があるのもわかるけど安心してほしい。

 あたしは頼りになるお姉ちゃんなんだから。




 母さんに手伝ってもらって仕込みが終わったあたしは、かつの部屋にやってきた。


 もしかしたらもう寝ているかもしれない。

 そっちのほうがあたしとしてはうれしいけど、かまってもらいたがりな弟は誰かに声をかけられるまで寝ないはずだ。それがまた厄介なところ。


 あたしはノックして、かめみたいにひきこもるかつにいった。



「おーい、まだ起きてる?」



 向こうからは返事がない。

 部屋のドアに耳をぴたりとくっつける。


 布どうしがこすれたような音。まだかつは起きているらしい。


「もしもーし。お姉ちゃん、無視されるとマジでへこむんだけど。宿題のやる気もなくなってくるんだけど」

「……うるさい」


 かつは機嫌がいいみたいだ。


「きつね、持ってきたよ。いぬじゃなくて、ごめんだけど、いぬは見つからなかったんだ」

「……きつねをつれてきくれたの? かあさんの、ゆるしをもらって?」


 母さんの許しをもらっても、家の大家さんから許可を得ないとだめなんだけど、まあ、今は関係ないか。


「そうだよ。だから、ドアを開けてさ、一緒にどう?」

「どうせ、にんぎょうとかなんでしょ。くだらない」


 なんて生意気な保育園生。将来が不安になる。

 でも会話してくれるだけ、今日はまだましなほうだ。


「温かいなあ。これがきつねの熱か。触らないの? あたしがひとりじめしちゃうよ」

「……すきにすればいい。ぼくには、かんけいない」


 それからあたしが話しかけても、かつは反応しなかった。一人芝居してるような気分。

 なんだかばからしくなって、最終手段を取ることにした。


 部屋のドアを勝手に開ける。

 こんもりと盛り上がる布団があった。


 かつの部屋に鍵はないけど、許可なく入ると猛烈に怒るから、なるべくドアを開けたくなかった。



「おい、くそねえ、はいってくるな」



 布団から片手だけ出てきて、新幹線を投げつけてくる。


 勢いは全然ないから、あたしに届くことはない。散らかっているおもちゃや漫画を避けて、布団に近づく。



 落ちた新幹線の近くにいくと、布団からお腹のなった音がした。


 きつねの匂いにかつはやられたらしい。こいつ、匂いがすごいもんね。


「くそねえがもってきたの、なに?」

「気になるんなら、自分で確かめたらどう?」


 布団が持ち上がって、不機嫌そうな顔が出てきた。ようやく顔を見られて、あたしは内心ほっとした。母さんのぐちもこれで止まるよね。


 かつはいら立ちの混じった声でいう。


「これ、『赤いきつね』じゃん。ぼくをだましたな」

「だましてないよ。あたしはきつねとしかいってないもん」


 かつが口を開きかけたとき、再びお腹のなる音が部屋に響いた。かつの耳先が少し赤くなる。


「お腹すいてるんでしょ。つゆをこぼすといけないから、リビングにいこう」


 かつは素直にうなずいて立ち上がった。


 あたしはかつの後ろについて、ぐちゃぐちゃな部屋を進む。かつがまた部屋に戻らないように見張らないといけない。




 部屋から出たかつは荒っぽくドアを閉めた。


 バタンと音が響いた廊下の奥から、ほっぺたを赤くした父さんが現れる。髪が少しぬれている父さんは、あたしたちを見てわずかに驚いた顔をした。


「おっ、もう絶交は終わりかい」


 かつの顔がまた不機嫌になる。父さんはほんとに頼りにならない。

 父さんがのんびり風呂に入っているあいだ、あたしは冷たい廊下で立ちっぱなしだった。


 両手におさまる、この世にうまれたばかりのきつねも、かなり熱を失っている。


「きつねが呼んでるよ。早くしないとのびちゃう」


 きつねをかつに近づければ、父さんからきつねに注意がうつった。今がチャンスとばかりにあたしは、廊下を進む。

 後ろで「ごめんな」と謝る父さんを無視して、心配性な母さんが待つリビングに向かう。


 あたしは頼りになる姉ちゃんだ。

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