8-3
そして、あれよあれよと言う間に、宴の席が開かれました。
逃げまどい、どこかの隅で震えていた九十郎は、気が付けば宴席の主賓の席に着いており、目の前には謎の醤油の香りかぐわしい肉。
九十郎は目の前に置かれた謎の肉の塊を見つめます。黒く照りがあるのは醤油でしょうか? 肉汁が皿に溢れ、香りは焦がし醤油。箸でほろほろと崩れる繊維質はぷるぷると震えています。
あ、いえ、箸で持っている九十郎の手が震えています。
「ま、まさかの……いやどう見ても鯨じゃないんだが」
しかし周囲は美味しそうに食べています。まさに狂人の宴。
「殺したかったけど、死んでほしくはなかった。というか、食べたいわけではなかった」
箸を置こうとした九十郎の隣に、徳兵衛が腰を下ろして言います。
「おや、九十郎。食べないのかい?」
「あー、食欲がなくて……」
「それは良くないな。きっと御爺様が化けて出てくる」
「ば、ばけ……は、はは、そんなまさか。まさか……」
ふっと、九十郎の脳裏に、御爺様、
『食い物を、粗末にしてはいかん。良いな? これは、この国の民の献上品、食い物を、粗末に、するな。捨、肝に銘じよ!』
お爺さん、これ食べ物やない。神話生物や。
しかし気が付けば、九十郎は謎の肉を頬張っていました。嗚呼、焦がし醤油が美味しい……
「こういう時、ハンバーグにするって何かで見た気がするよ」
ハンバーグなる料理を知らない人々を他所に、なんとか割り切って食べ始める九十郎。
されど、悪夢は終わりません。
宴会場に乗り込んで来た銀暮が手を叩き、皆の注目を集めます。
「さあさ、皆さま! 道中で野菜、肉、新鮮な魚介も多く手に入りましたし、網焼きにして食べましょう。酒もあれば鯨もある。そして我らが殿には天下もある!」
銀暮が何か続けて言っていますが、九十郎は銀暮の言葉で気になったところがありました。
確か、加陀須は山奥のはず。この山地で、魚介……?
「あの、銀暮さん? 魚介って……?」
語りを邪魔されても銀暮はにこやかに答えます。
「ええ、大きな魚が取れましたからな!」
斜視の目を見開いて唾を飛ばしながら歯をむき出しにして笑う銀暮。
大きな、魚……ケタミキがぶら下げていたインスマスの生首が脳裏を過ります。
「それって加陀須の住民、インスマスじゃ……め、眩暈が」
ニャルラトホテプの肉を喰った後、とはいえ、それは別の種の肉。ともすれば相容れぬ者の肉。それでもどうかとは思いますが……インスマスは己の眷属、身内のようなもの……
九十郎は己の血が引く音を聞きました。そんな九十郎へ銀暮が言います。
「解ります。宴は楽しい物ですからね!」
「滅入ってるんだよぉ! そんなこと言ってねぇよ!! アウトォォ!! 宗教上だったり倫理上の問題だったりでアウトォォ!! ってか、インスマスって元は……」
「ああ、殿はとろろ掛けの活け造りですね。ご用意いたしますのでご安心を」
「ヤダーッ。やだやだ絶対やだ」
「殿の喜びを表す舞いは独特ですな。これは是非次回も捕らねば」
そういうことじゃねぇ。
項垂れながら頭をかきむしる九十郎を他所に、皆は魚を焼いたり貪ったり。嗚呼、ここは地獄。楽しい地獄。地獄だよ。
「なるほど。なかなか美味しいですね。ニャルラトホテプの肉。インスマスの肉も食べてはどうですか、クトゥルフ」
「あ、うん。ニャル肉は美味かったけど……ん?」
ふと隣から声をかけられ、九十郎は顔を上げます。すると、隣で九十郎の皿から謎の肉を取って食べる
「え? なん、え? 幽霊? 化けて出た?」
「おや、どうしました? 鳩が豆鉄砲で撃たれたような顔をして」
「いや、その……」
「安心してください。もう諦めましたから」
「へ?」
どういうことなんだ? とか、なんで生きてるんだ? とか、自分の肉を喰うのはどうなんだ? とか……様々な言葉を飲み込んで九十郎は三度現れたニャルラトホテプ、その横顔を見つめます。
「流石に、ニャルラトホテプ千分の二とちょっとをこの世界で関わって浪費したのは痛手でした」
「え、でもなんか、残機を増やせはするんでしょ?」
「ええまあ。しかしプライドが痛みました」
「ああ、なるほど」
黒郎はため息交じりに言います。
「きっと元ネタにした世界が悪かったですね。すっかり我々も飲まれていました。一体誰が考えるんでしょうね、邪神が笑いを取りに行く世界とか」
「そういわれてもなぁ……やっぱり、その元ネタの部分? 極東島国文化がヤバかったのでは?」
「そうかもしれません。あるいは、私の顔の一つである美少女の顔が全力で笑いを取りに行く前例でも作った後だったのかもしれません」
「それだと自業自得じゃねぇか」
黒郎は九十郎の食膳に乗せられた酒を飲み干して立ち上がり、伸びをした後に続けます。
「ですから、もうやめです。この世界の管理も。あなたをイジメて行う暇つぶしも」
「あ、さ、左様で……」
敵対の意志はない、というのは本当なのか、あるいは敵愾心を隠すのが上手なのか。ともあれ、今の黒郎、ニャルラトホテプからは敵意は感じませんでした。
「というわけで、またこの世界の夢に囚われる前に帰ります。あなたはどうしますか、クトゥルフ?」
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