7-4



 九十郎の頭の中でいくつかの方法を思案しては却下することが繰り返されます。

 迫りくる外なる神を防御して耐える方法は無理でしょう。蟻が象に踏まれて無事ではすみません。対抗する別の外なる神をぶつけるのもまた無理です。劇物の対処に劇物を混ぜてもうまくいく確率はかなり低いことでしょう。外なる神を送り返す方法は有効そうに思えますが、それは時間がないと難しいでしょうし、なによりも元々その魔術は数人がかりで行うものなので……


「……どの対処法もリソースが……絶望的に足りない」


 半ば呆然とする九十郎は、熾守の高笑いが消えたことで我に返ります。

 見れば、熾守の首があった場所には赤い肉の塊が一つあるだけでした。ニャルラトホテプがいらだちを隠そうとせずに言います。


「まったく、端から自身が死ぬことを想定した魔術とはふざけてやがる。まんまと嵌められたか。このクソが」


 ニャルラトホテプが悪態をつくたびに、熾守の首であった肉塊が縮まって球状に押し固められていきます。どうやら、魔術で握りつぶしているようですが……

 九十郎が言います。


「ニャル、もしかしてその蠅の姿でも魔術使える?」

「は? 当たり前では?」


 ふと、九十郎に在る考えが浮かびました。そんな九十郎の傍をニャルラトホテプが八つ当たりをするかのように飛び回ります。


「で? どうしましょ? クトゥルフ、あなたもう魔術使えなさそうですね? もしやのリソース不足ですか? はぁ、人間一人分ではやはりその程度ですね。ああ、でも、そこの二人を生贄に使えば、数分は稼げるんじゃないです? 辞世の句でも読む時間は稼げますよ」


 九十郎は黙っています。


「黙ってないで何とか言ったらどうなんですか? それとも諦めました? ああ、そうですかそうですか。まったく、自身を分離させるのもかなり苦労するんですよ、タダじゃないんですからほんとやめてほしいんですけど……ちょっと、聞いてます?」

「あ! あんなところに熾守の分身が!」

「は?」


 と、ニャルラトホテプが目線を逸らした瞬間、九十郎はニャルラトホテプを口に含みました。

 口の中で羽虫がジタバタと暴れまわり、よだれで湿って動かなくなっていきます。罵詈雑言を吐きながら。


「何しやがるこのクソ蛸! 敗北者! 磯臭いぞお前の口ん中! そんなに顎を割いてほしけりゃ巨大な姿になっ、て……待て、何をしてる?」


 そんなニャルを無視して、九十郎は熾守だった肉塊を拾い上げます。そして、口に含んだニャルラトホテプを魔力リソースとして使いながら、魔術でその肉塊を投擲しました。

 無貌の神、這い寄る混沌、千の顔を持つ邪神をリソースとして使い込んだ投擲は、投げ出した物を宇宙の果てまで届かせるのに十分な速度で打ち出しました。その投げ出された肉塊を、空に数多ある眼球が追いかけ、外なる神は空の彼方へ吸い込まれるように消えていきます。


 九十郎は口に含んだ、すっかり元気のなくなった蠅を吐き出します。


「いやあ、なんて言えばニャルが視線を逸らすかを思いつくまでに一番時間がかかった」

「うぁ……よだれ、魔力切れ、くそったれめ」


 よだれですっかり飛べなくなった蠅が床上でぼやきます。


「なるほど……熾守は自身を目的地に外なる神を呼び出したのだから、その熾守を遥か彼方まで飛ばせば、危機は回避できると。しかし、この世界が完全に閉ざされた空間で、宇宙が無い可能性だってあったろうに。賭けにでるとは……」

「いや? この世界に宇宙があることはニャルが言ってたじゃん」

「……いつ?」

「『この異世界と、あなたが居た地球は次元的に別の世界ですから。海を渡ろうが、帰ることはできないということですよ』」

「ああ……よく覚えてんな。というか、普通は指先大の大きさの蠅は口に含まねえんだよ、人間はよ」

「そりゃ残念だ。人間にまだなり切ってないらしいな」

「クソが……この分離体はもう駄目だが、覚えてろ、クトゥルフ……」

「はいはい。また今度な」


 などと言っている間に、加陀須かだすの城下町が騒がしくなります。すっかり壁が崩れて無くなった熾守の屋敷の謁見の間から見えるに、そこには大勢が、大軍勢が鬨の声を上げています。その旗印には見覚えがあるものでした。


「あれは……御御御家のものじゃね? え、なんで?」


 御御御家の軍勢は、宇宙人姿のインスマスらしき者たちを数で押し切り、ほぼ無人の加陀須の街を難なく占領していきます。


「といいますか……うちの家、あんなに兵士居たっけ? 増えてない?」


 そんな疑問を浮かべた九十郎の元へ銀暮がやってきます。正しくは、半壊した熾守の屋敷のすぐ傍まで馬を駆りながら現れ、馬上から屋敷の謁見の間に居る九十郎へ大声で呼び掛ける形ですが。


「おお! 我らが殿! 御無事でしたか!」

「目見開く人、えーっと銀暮じゃないか。待って、もしかして、我々が加陀須へ向かった直後に出兵してたの?」

「如何にもにございます。すべては助兵衛殿の進言によるもの。流石は忠臣の鑑」

「いや絶対にゴリラは何も言ってねぇって」

「何よりも、家督を継いだ挨拶に向かったその足で謀反を起こし下剋上から天下人に成り上がる我らが殿の策、この銀暮を始め多くの家臣が感服いたしてございます!」

「君ら暴走するの好きだね」



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