7-3



 急いで対策を思いつかねばならない中、九十郎は手をこまねいていました。答えが見つからない……二人が倒れれば、その次は……


「いや何してんですか。シリアスな空気出してサボってないで」


 九十郎の眼前に蠅が現れます。


「うわっ、近」

「いやいや、ここであなたが負けると色々計算狂うんですよ。ほらがーんばって」

「そうは言ってもどうすりゃいいんだか……ギャグ時空でも筋力で解決でもないならなんなのか……魔術対決とかな訳が無いし」

「え?」

「え??」


 一人と一匹は見つめ合います。


「もしかして、魔術には魔術で対抗するのが正解?」

「もしかしなくても、他にどんな方法が?」


 九十郎は頭を抱えました。


「なんでだよ! さっき脳みそ筋肉で解決しないって言ったじゃん!」

「むしろなんでだよ! 魔術の法則に魔術以外でなんとかする方法なんて無いでしょ!? あなた仮にも邪神! 魔術お手の物! 専門分野でしょ!?」


 とはいえ、九十郎には懸念がありました。


「でも、“クトゥルフ”ならともかく、“九十郎”では魔術は使えないんじゃ?」

「え? 熾守は使ってるでしょ? なら九十郎にも使えますよ?」

「いやそうではなく、赤子の頃に一度魔術を使おうとして、鼻の奥に痛みを感じてやめたんだけど……てっきり使えないものと」

「あー、あれですよ。MP99消費の魔法があるのにMP90で固定みたいな」

「それはつまり使えないんでは?」


 蠅の姿のニャルラトホテプは咳払いをして言います。


「ええ、要するに、魔力の不足、リソース不足ですかね。赤子の頃ではそりゃ足りないでしょうよ」

「え? もしかして、今なら使える?」

「むしろ、さっき使ってたでしょ?」

「さっき……」


 先ほどの、徳兵衛と龍姫の九十郎の貞操の所有権争いを否定した際に?


「もしかして、『お前のじゃない』って言ったことをトリガーに、魔術の鎧を剥してたの?」

「Exactly」

「でもちゃんとした行使じゃなかったから、効果が一瞬だったとか?」

「そのとおりでございます」

「それって、勝ち確ってコト!?」

「むしろ何を悠長にしてんだろって思ってた」


 熾守に向かって、九十郎は両手を伸ばします。

 熾守が身にまとう見えない鎧を、貝殻を潰すようなイメージで、柏手一つ。

 九十郎はわずかに視界が滲み、熱にうなされた時のような平衡感覚の乱れを感じました。それはおそらく、魔術を行使した代償としての精神の摩耗を体が感じた結果なのでしょうが、払う代償はそれだけで十分そうでした。

 見れば、熾守は吐血しながら膝から崩れ落ちました。まるで左右から巨大な手に押しつぶされたかのように、身にまとう甲冑は歪んでいます。

 その威力に九十郎は思わず頬がほころびました。


「うわっ、私の魔術、強すぎっ!」


 近くを飛んでいた蠅もこれにはドン引き。


「九十郎、完全に悪役です」

「うるせえ。勝てばいい。それが全てだ」

「悪役です」

「俺何かやっちゃいました」

「かなりじゃあく」


 直後に龍姫の匕首が熾守の背中から胸を貫き、徳兵衛の刀がその体を正面から袈裟斬りにしました。熾守の体から勢いよく血が噴き出し、周囲を赤く染め上げます。

 その様子に九十郎は思わず言います。


「やったか!?」


 つまり、やってないってことですよ。


 熾守は瀕死になりながらも、小さく笑い始めます。

 それは敗北を感じたが故の自棄の笑いなどではないのだと、だんだんと大きくなる笑い声が示しています。


「もしや、第二形態……!?」


 九十郎のそのつぶやきに応えるように、熾守は言います。


「よもや、ニャルラトホテプの手先として使われている我が分離体に、魔術で押し負けるなどとは思わなかった。だが、もはや油断はしない。手加減も無しだ。今こそ、外なる神の一端を呼び出し全てを」


 話の途中ですが、龍姫と徳兵衛が熾守の首を刎ねます。


「ええええええ!? こういうのって話最後まで聞かない? 変身シーン中は攻撃しないお決まりとかあるんじゃないの!?」


 徳兵衛が血まみれの笑顔で答えます。


「いいですか、捨丸。相手が次の一手を用意してるなら、使われる前に殺すのが普通です。辞世の句とか読ませてちゃ駄目」

「すげぇ良い笑顔でなんてこと言うんですか兄上」


 これには龍姫も全力で肯定します。


「その通りです」


 徳兵衛の言い分を。


「喋らせる暇を与えずに殺すべきです」


 やだこの狂戦士バーサーカーども。などと頭を抱える九十郎を脇に、ちょっとお互いを認め合った兄と嫁だったとかなんとか。


 が、突然屋敷が、地面が揺れ始めます。床一面に張ってあった水が、熾守の頭の無い体に一瞬で吸い込まれていき、風船のように急激に膨らんだ直後にその体が破裂しました。

 直後、屋根が空に吸い込まれるように剥がされ、濁り淀んだ空が現れます。

 不吉を感じさせる緑色と生理的な嫌悪を感じさせる黄色と叫びだしたくなるような恐怖を感じさせる赤色とが入り交じり、その向こうに巨大な眼球がひしめき、忙しなくうごめいているのが見えます。

 それが、外なる神の体の一部、外宇宙の知ってはいけない、触れてはいけない物であることは、誰の眼にも明らかでした。外の理など知らないはずなのに。

 その名状しがたき姿を一目見ただけで、龍姫と徳兵衛は糸が切れた人形のようにその場に倒れ伏しました。

 床に転がった熾守の首が高笑いと共に喋ります。


「終わりだ、九十郎。終わりだ、ニャルラトホテプ。外なる神の拳を我が頭上に呼び出した。我が頭部をめがけてその拳は振り下ろされる。すなわち、貴様らは助からんのだ! 我が消える間際に、貴様らも道連れだ!」


 屋敷の壁が徐々に吸い込まれるように剥がされて天に、外なる神へと吸い込まれていきます。

 熾守の首が高笑いをし、頭上には絶対的な破壊。

 九十郎は、クトゥルフは思いつく限りの対抗策を考え、魔術を行使しようとしますが鼻の奥から激痛がし、思わずうつむくと血がぼたぼたと垂れて来ます。


「うわっ、やっぱりだめじゃん。リソースが足りない。さっきの魔術で限界だったってことか?」




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