6-4
九十郎はこの門番に今一度違和感を覚え始めましたが、それを疑問として口にする前に、熾守家の屋敷に目を奪われました。
「これは……」
あの高い白色の塀の内と外では、まるで世界が違うようでした。
地面の敷石を始め、多くの建築物が気色の悪い波紋模様で出来た石材で建築されており、ともすれば、うねっているようにも見えるこの流線形とも幾何学的ともいえる建築物たちは、見方によっては人の苦悶する表情にも見え、さながら精神に悪影響を与えるような、いわば人智を越えた外宇宙の気配を放っていました。まさに言うなれば、“名状しがたきものである”と。人類の言語では描写の追い付かない物であると。
そのような物に囲まれたこの熾守家の屋敷の住人も異質で、先ほどの宇宙服のような物に身を包んだ存在しか見当たりません。顔が見えない以上、あの中身が何なのかは知る由もなく、また知ってはいけないのだとも遺伝子の奥底から警鐘が鳴り響くのを感じる事でしょう。
まぁ……一般人の場合は。
九十郎、一般人じゃないんで。
「なんと見事な、ゾスにおける伝統的建築デザイン……! 素晴らしい!」
クトゥルフにとっては、このデザインはアリだったらしい。
先行する門番、ニャルラトホテプが戻って来て九十郎に言います。
「何をしているのです? ああ、もしや……私をからかっている?」
一体何のことかわからない九十郎は、素直にそのことを口にします。
「からかう? 何でそうなるんだ? というか、いつもからかってるのはニャルの方では?」
「私が? ……もしや、いや、なるほど? 確かにそれなら合点が……」
などとぶつぶつと独り言を言ったかと思うと、今まで見たことの無いニャルラトホテプの笑顔を九十郎は見ました。
それは笑顔と言って差し支えない表情です。目じりが下がり、口角が上がり、うっすらと開いた口から歯が見えます。しかし、背筋の寒くなるような、いわば悪意と害意を明確に感じる笑顔でした。いわゆるところの、目が笑っていない笑顔。いえ、もっと……得体のしれない底知れぬどす黒い感情が見え隠れする笑顔でした。
彼が九十郎へ言います。
「では、私は言いつけられた命令をさっさと終えるとしましょう。実に……晴れ晴れとした愉快な気持ちですので。最高ですとも」
「……お前は、なんだ?」
「なんだ、とは?」
その笑顔を崩さずに居る彼に、九十郎は聞き直します。
「確かにお前はニャルラトホテプなのだろうが、しかし余の知るニャルラトホテプではないのではないか?」
「おや、おやおや……これはこれは」
それきり、彼は何も言わずに九十郎を先導し、熾守家の屋敷の最も奥深くに位置する禍々しい本丸へ、更にその奥の奥に位置する謁見の間まで、九十郎を導きます。
件の宇宙服姿の者たちが左右に控え、合掌しながら九十郎を見送ります。見れば、その頭部のヘルメットが外され、中身が露わになっています。
本来人間の首があるべきそこには、放射線状に広がる
謁見の間は二階に位置するにもかかわらず薄暗い水にひざ下まで支配され、
斯様に知覚持つ水の上に構えられた御輿、いえ、祭壇の上に鎮座する眼光鋭き髭の男こそが、この熾守家の主。
その男へ、門番が膝をついて臣下の礼をとって言います。
「お連れしまた。我らの悲願を」
その言葉に応えるように、男が氷よりも脳に刺さりそうな声で九十郎へ話しかけて来ました。
「待っていたぞ。御御御家の次男坊」
しかし、面と向かえば気付くもの。お互いが何者か否が応にも解るもの。特に、この二人の場合は深く。“あの海底”のように、深く。
「いや、過去に失いし、余の一部」
もっとも天下に近き男。名を
この男の正体を、九十郎は即座に理解した。理解してしまった。
思えば、船にぶつかられるのは二度目。
思い出せば、ニャルラトホテプがこの異世界に自分を閉じ込めたのは「目覚めを遅らせるため」と言っていたこと。
考えるに、ならば一度目にも同じように霧散した精神の一部を異世界に……この世界へ転生させていてもおかしくはなかったのではないかと。
感じるのは、この男は自身と同じ魂の一部を持つものであると、そのように、ある種の焦がれて止まぬような脈動が力説してくること。
確信をもって理解することでしょう。今、目の前に居るこの男はまさに自身と同じ、船にぶつかった衝撃により剥離した、自身以外のクトゥルフの転生者であると。
クトゥルフに、クトゥルフが言います。
「貴様を喰らい、余は今一度戻るのだ」
ゆっくりと祭壇より立ち上がり、暗き水を渡って、彼が来る。君を頭から生きたまま齧り貪り食らうために、旧支配者が来る。
「今一度、地球へと……」
来る。
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