6-3
九十郎は不満な点が二つありまして……一つは
「いかにも『暇なとき行けば良い』的なこと言われてたけど実際半月ぐらい移動にかかってんじゃん。車とかないの?」
それに応えるのが不満の二つ目。……の一人目。
九十郎の乗る馬より少し遅れてやってくる馬に乗った龍姫が答えます。
「車、ですか? 車の方が長くかかってしまうかと思います。この距離をこの日程で越えられたのは、とても速い方かと」
あ、龍姫のイメージする車とは、手押し車の事。乳母車に乗りたかったのかと……
「いやそれ以前に……なんで龍姫が来てるの?」
「それはもちろん、ご挨拶のためです。良き妻たるもの、夫を内外から支える物と心得ております」
と、そこへピリピリした雰囲気を放ちながら、二つ目の不満の二人目が、馬で九十郎の隣へ駆け寄ります。
「挨拶に女が来るなど捨丸の沽券にかかわるだろうが! 良き妻などと妄言をのたまうなら、せめて留守を預かるのが普通ではないのか?」
そういって、徳兵衛は龍姫を力の限り睨みつけます。
「あら、それでしたら、兄上様こそ留守を預かるのが忠臣の務めだと思いますよ。それこそ、弟離れが出来ない兄など連れ添っていては九十郎様の面目に関わるのでは? それ以前にいつまで幼名で呼ばれるのですか、我が、殿、を!」
「捨丸はいつまでもこの兄の中では捨丸なんだよ。後から来た者には分からんだろうが、捨丸の
「ぐっ、九十郎様、今度、御湿を付けてください! そして私に御湿を変えさせてください!」
両者一歩も引かず。お互いに視線で『抜け駆けは許さん』と言い合いを繰り広げております。
その板挟みに合う九十郎。
「せめて他所でやってくれないかなぁ!? いや他所で勝手に私の所有権を巡るな。そもそも来るな! というか何なんだその会話の内容は! やっぱ他所でするなそんな会話! それ以前に色々やめて!!」
もう嫌だと、九十郎は逃げるように馬に鞭うち、二人を置いて行かんばかりに速度を上げて熾守家の屋敷を目指します。
「ああもう! なんで二人も来てるんだよ! そりゃ長旅になったよ、想像と違って。だけどなんで旅先でまでこのバチクソ喧嘩ムーブからの羞恥プレイをキメてる奴らの間に居なきゃならんのだ!」
二人はお互いを睨み合っていたばかりに出遅れ、九十郎から離されてしまいます。まぁ、この二人なんで、そのうち追いつくでしょう。嗅覚とかで。
その二つの不満点……三つな気もしますが……それとは別に、一つ気になることが九十郎にはありました。
というのも、この旅路、ニャルラトホテプが付いてきていないのです。え? あの愉悦の塊みたいな性悪が? 九十郎、クトゥルフがひいひい言う様を見たくて犬や蠅や双子の弟にまでなった奴がこの旅路について来ていないとは……
何か、嫌な予感がする九十郎です。
「止まれ。この先は熾守家の城である。用の無いものは
そうこう考えている間に、熾守家の屋敷へ。
深く笠を被った、門番らしき者に止まるように促され、九十郎は馬を止めて周囲を見ます。
既に日は没し、夕焼けというには色の濃い赤が空に広がり、その赤を追い出すかのように地平からこれまた濃い紺色が押し寄せています。
加陀須の街並みは異常なまでに均斉が取れており、先日出来たばかりであるかのように傷一つない群青色の均一の建物が均等に並んでいます。しかし気になるのは、この門番以外に加陀須の領地内で人に会っていないということです。せいぜい、牛車の牛や馬屋の馬、主のいない家屋の鶏小屋の鶏、といった具合に、異様に人が居ない気がしてなりません。その生活の気配は感じるのに。まるで、加陀須から人が急に消えた後のような……
目の前にある熾守家の屋敷もまた、どこか座りの悪さを感じる異質さを覚えてなりません。その屋敷のことを城というだけはあるようで、純白で染み一つない背の高い塀、その塀の向こうから周囲一帯を見渡せるであろう巨大な物見櫓がいくつか見て取れます。屋敷を取り囲む堀も深く、見れば石畳で補強してある様子。そもそも、今九十郎が臨んでいる正面門ですら、見上げるような大きさ。
権威の象徴として作ったにしても、かなり大規模なお屋敷の様です。
九十郎は門番に言います。
「あー、御免。御御御家の当主、御御御 九十郎 信影と申す者。我らが御屋形様であらせられる熾守 三四郎様の召喚の命に応じ、疾く参上した次第。御取次願いたい……で、良いんだっけ?」
それを聞いた門番、くすくすと笑い始めます。
何がおかしいのか、と聞こうとした時、門番が被っていた笠をずらして九十郎を見上げます。
その肌は黒檀のように浅黒く……っていうだけで、誰だかわかりますね。
「いやあ、思ったより早かったじゃないですか。クトゥルフのことですので遅れるかと思っていましたよ」
「お? 次は門兵になったのか、腹黒邪神」
「腹黒、ですか……まあいいでしょう」
「(なんだ? なんか変だな)」
そんな違和感を覚えた九十郎を他所にニャルラトホテプは粛々と門番としての仕事をこなしていきます。
ニャルラトホテプ扮する門番が門の向こうへ声をかけると、門が大きな音を立てながらゆっくりと開いて行きます。
九十郎が馬屋を探して周囲を見回すと、何やら奇妙な格好をした人と思わしき者が、馬を預かるために手を伸ばしてきました。
その者は、巨大で顔のない頭をしていました。髪はなく、真っ白ですべすべした素材で出来た丸い頭部に見えます。首は無く肩もほぼ無い、寸胴の体に手足が一対付いています。その顔があるべき場所を覆うように黄金色の巨大な眼球のようなものが収まっていて、周囲を鏡のように反射しています。瞳や光彩に当たる部位は見つけられません。これが眼球であるならば、この頭部のほとんどはその一つの眼球で占められていることでしょう。体は頭部とは別の白くてごわごわした素材で全身を覆われており、胸や腕、背中には何色かの小さな光を放つ箱が付いています。
その異様な外見に面食らって立ち止まった九十郎を門番が急かします。
「なにをぐずぐずしてるんですか。地球人の宇宙服を見るのは初めてですか?」
「宇宙服? え、加陀須の人々は宇宙に行こうとしてる、わけじゃないよな? まさかあの物見櫓がシャトルとか言うわけじゃないだろうし、そもそも宇宙飛行士がなんで馬屋で働いてるんだよ、って話で……地球人って言った、今?」
門番は質問に答えず先を促す様に、さっさと歩いて行ってしまいます。
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