6-1





「あ、やっべ、寝落ちしたわ。前振り長いんだもん」


 九十郎は、御御御家の応接室、謁見の間で、父親と対面している最中に“目覚め”ました。

 あの男は何だったのか。正直、眠い時に古語めいた言葉を並べられるとマジでブラウザバックしたくなるから駄目だと思う。というか、クトゥルフは寝落ちした。肝心の本題を聞く前に。

 あのままだとあの男、深きものどもの餌になっちゃうのではないか、まだ話聞いてないのに。


「九十郎、話し、聞いておるか?」

「いや、さっぱり聞けませんでした」

「おい……」


 はっ、と我に返ると、困り顔の父とその脇に控える苦笑する母。自身より背後に控える徳兵衛は咳払いをして茶を濁そうとし、周囲を見るに、他にも御御御家の臣下が総出で九十郎を後ろから眺めるように並んでいることに気付きました。


「あ、えーっと」


 そういえば、この父親、かなり久々の登場では……

 九十郎は思いました。


「(名前、なんだっけ?)」


 作中で登場してな、じゃなかった、自身九十郎の父の名を思い出せないでいる彼を、父親は深い隈のできた目で見つめています。

 そして、鼻で笑いながら言いました。


「ああ、やはりか。だが儂には関係ない。お主が“捨丸になって”から十七年。儂はようやくこの家を離れることができるのだからな」

「……はい?」


 今、この父親、“捨丸になった”と言ったでしょうか? それはどういうことか……などと思っている九十郎、いや、クトゥルフを見透かすように、虚ろな目で彼を見ながら父親は続けます。


「お前に見つめられた者、お前の声を聞いた者、お前を見た者、ついにはお前の存在を伝え聞いた者すら、次々に常軌を逸し始めるのだから、流石に正気の者は気づくというものだ」

「え、あの、も、もしや、気づいて、らっしゃる?」


 父親は笑って続けます。


「安心するがよい。お前が神だか怪異だか知らんが、この手の話題をしようと、お前の影響を受けた者たちは会話の内容を覚えて居られんのだ。いや、会話が聞こえないのか聞こうとしていないのやもしれん。そのどれもが共通して、形はどうあれお前に助力しようとするのだから、儂には手に終えなかった」


 周囲の人々は、会話の内容が聞こえないのか耳を向けて眉間に皺寄せる者、急に天を仰いで口をぽかんと開ける者、落ち着きなく自身の爪を噛みながら頭を抱え込む者、なぞの呪文をぶつぶつと口にする者など、急に煙に巻かれたかのように二人の会話が聞こえていないように見えます。

 父親は続けます。


「ならば、我が息子には心苦しいが、その首を落とそうかとも考えた」

「ひぇっ、オートスキルなんです、というか制御出来たらしてます」


 制御してもっと抑えるんじゃなく、制御して任意の狂気内容にしたかった邪神。


「が……一つ、お主に感謝していることがある」

「感謝、そ、それは?」


 父親は隈の刻み込まれた目をそっと閉じて言います。


「我が父、つまり、九十郎の祖父、御御御 十兵衛じゅうべえ 虎信とらのぶが、活気を取り戻していたことよ」

「御爺様……そういえば、御爺様はどこに?」

「……本当に、九十郎ではないのだな、息子ではない者よ」


 そんなこと言われても、と九十郎の表情に浮かんだのを見て、またまた鼻で笑った父親は続けます。


「父は死んだ。先日の事よ。喪もまだ明けておらん。ああ、戦場でも病でもない。大往生で、だ。……実はな、お主が来た頃、父は呆け始めていた。かつての猛将、音に聞こえし武名も霞むほど……見るに堪えぬほどにその面影もなく。忍びないほど、労しいほど、苦しいほどに呆けていた」


 その視線は、九十郎ではなくどこかの誰かを見ているようでした。


「神仏に祈ろうとも神仏が黙したため、当時の儂は神も仏も呪うほどであった。それが故に、お主が我が父を救ったのであれば……お主が周囲をどんなに狂わせようとも、良しとしていたのやもしれん。そのことに関しては、深く、感謝に堪えず……如何に言葉で尽くそうとも足りぬほどよ」

「そういえば、赤子の時は御爺様はもっとこう、よぼよぼ、という感じだった気が」

「思うに、お主は儂が呼んだのやもしれんな。神仏を呪うが故に、それ以外の邪なるものであろうとも、なんであれ助けてくれるものに……儂は己の父を助けるために家族も、臣下も、領民も、隣国の者すら売ったのだ」


 いえ、呼んだのはニャルラトホテプです。あなたの事情は偶然です。……とは黙っておいて……

 ふと、九十郎は疑問が浮かびました。


「ん? でも、それはそれとして今まで碌に姿を現さなかった理由にはならんのでは?」


 父親の視線がさっと泳ぎます。


「いや、それは、単純に……面倒でな」

「ちょっと?」

「半分隠居みたいな生活は正直楽しかった。自由に寝れるの、最高だったし」

「いやいや……解るけど」

「でも、我が父が大往生を成したせいで家督が儂の元に来てしまってな」

「ん? ああ、そうでしょうな」

「というわけで、皆を集めて家督をもうお主に譲っちゃおうと。儂は自由な隠居生活を続ける」

「おぉおお? 何を言ってるんだ? ふざけるな!? ってか何だか分らん者だと他でもないあんたが言ってんでしょうが!? そんなのに譲るな家を!」

「だが儂は謝らない」


 すっと立ち上がった父親は、柏手を一つ。すると周囲の皆々が微睡みから目覚めたようにはっとした様子で、彼を見ます。


「今日この時より、御御御の家の家督は次男、九十郎に譲るものとする。これは嫡男である徳兵衛の希望も考慮してのこと。皆、九十郎を、御御御の家を引き続き支えてくれ。儂からは、これにて」


 では、と一言。手刀を斬ってさっさと居なくなる父。そういえば彼の名前を書き忘れたとか思うけどももう出番はない。

 そして、それを聞いて家臣一同の感の声。喜び溢れる様子で言祝ぐ徳兵衛と龍姫。ホホホと笑う母。


「ちょ、ちょっと待って。家督を譲られたって、どういう、待って、どういうこと!?」


 九十郎のその言葉に応えるように、部屋の障子戸が勢いよく開け放たれます。


「お答えしましょう、九十郎!」


 そこに現れたのは黒貌和尚……ニャルラトホテプでした。


「うわ」

「うわ、とはなんですか。失礼な」

「うぅわっ」

「言い直せということではないんですよ?」


 一つ咳払いをしてニャルラトホテプが何か言わんと口を開いたところ、脇から銀暮が割って入り、斜視の目を目一杯見開いて早口で捲し立てます。


「家督を譲られたということは、九十郎様がこれからは御御御家の当主。御御御の領地、民をはじめ、あらゆるものが九十郎様のものとなり皆が九十郎様を天下人へ押し上げるために更なる粉骨砕身の働きを見せる事でしょう! 場合によっては文字通りに粉になってでも!」

「いやそこまでは望んでない」

「すなわち、これよりもっと忙しくなるということですぞ、九十郎様!!」


 忙しくなる……


 忙しく、なる?


 もっと??



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