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その姿は、泥まみれで汚れだらけ、乾いた血のような物の跡で上物の衣服を染め上げ、髪は乱れ頬は痩けて、目は鈍く不気味に部屋の明かりを反射していました。敵意を現わすかのように歯をむき出しに噛みしめ、そこから漏れる吐息は唸り声と混ざり、害意を隠す気もないかのようでした。何よりそのモノが持つ刀は血にまみれ、ボロボロに刃こぼれを起こしており、それはさながら、死してなお戦い続けた落ち武者のようでした。
と、その落ち武者のようなモノが九十郎と目が合うと、途端にその邪悪な気配が収まり、見る見るうちに人の様になっていきます。いえ、存在自体は変わっていないので、雰囲気の問題なのやもしれませんが……
九十郎はその人物に見覚えがあります。かなり、とてもかなり汚れていますが……
「ま、まさか、徳兵衛、兄上?」
「捨丸ぅ……捨丸よぉ……」
目の前で膝から泣き崩れ始める徳兵衛に九十郎が困惑し始めた矢先に、四つん這いで徳兵衛は詰め寄ってきます。
「なぜだ、なぜ……この兄の嫁になってくれるんじゃなかったのか!?」
「何がどうなってもそうはならんって! というか怖い! 距離を詰めるな距離を」
「ことごとく、あらゆる捨丸の嫁候補の家を滅ぼしてきたのに……よりによって没落済みの、つい最近滅んだ家の嫁とか、予想してなかったよぉ、捨丸ぅ……兄に、兄に嫁いでくれ今からでも遅くない」
「やっぱり兄上が方々の家を滅ぼしてたのか。予想余裕だったわ……」
徳兵衛は泣きながら九十郎の足に縋りつき、ついでに頬ずりをし、その裾で鼻をかみ……
「やめろ汚い!!」
そのまま更に亡者の如く引き倒そうとし始めたので、九十郎はそれを押し返そうとし、そのまま両者は一歩も譲らぬ綱引き状態になりました。
そこで黒貌和尚が「そういえば」と、何かを思い出したように口にします。
「今日、この後来るはずでは? 九十郎の嫁」
その言葉に徳兵衛は固まり、あっさりと九十郎の足から引きはがされて床にころがります。全く動かぬその姿はもはや死体か蝋人形か。
ただその口からぼそぼそと、世界を呪う怨嗟が漏れ聞こえてきますが……聞かないこととしましょう。
九十郎が先ほどの黒貌和尚の言葉を聞き返します。
「あの龍とかいう女、この後来るんだったか? 人間の婚姻の儀はよく解らん。特にこの世界での三日かけて行う意味が解らん。儀式とは大体そんなもんかもだけど……というか、本当に来るの?」
「ええ、来るかと。そのためにここに化粧道具とかがあるわけですし」
「うぅ……逃げて良いかな?」
と、そのぼやきを聞いた徳兵衛がバタバタとせわしなく息を吹き返して起き上がり、九十郎に言います。
「や、やはり! やはり捨丸は、兄の嫁になりたいのだな!?」
「ならんです。というか何でそうなるんですか」
「だって、嫁を貰いたくないんだろう? 結婚する気が無いんだろう? 本当はこの兄の嫁になるために!!」
「なるわけねぇです」
途端、徳兵衛は今一度突っ伏して床に頭を打ち付け始めます。
「嫌だぁ!! 捨丸が、私の、嫁じゃないなんて! ……いっそ、ここで張ってその嫁が来たところを三枚に下ろしてやる。魚介みたいにぃ、殺してやる!!」
思わず黒貌和尚に視線で助けを求める九十郎でしたが、黒貌和尚は静かに首を振るだけでした。……心なしか楽しそうな気がしないでもないですが。
なおも床に額をぶつけ続ける徳兵衛に、なんとか九十郎は言葉を絞り出します。
「流石にやって来たその嫁をその日のうちに殺してしまうのは角が立つのでは?」
「知ったことではない! 既に滅んだ家なら角も何もない!」
「いやほら、あー……御爺様の考えで来た女だから、角が立つのは御御御家の中で、じゃないかと?」
徳兵衛の動きが止まります。
「それも……そうだ」
「でしょう? ほら、ね?」
とはいえ、九十郎としては、御爺様が一番怖い。
「御爺様が招いた娘であったな」
徳兵衛も流石に御爺様には頭が上がらないようで……
「よし。娘を殺した後、捨丸と心中だな」
「なんで!?」
流石にその着地地点になるとは、九十郎の目を持ってしても見抜けなんだ。
「御爺様にこの家を追い出されても私は捨丸を嫁として養う覚悟だが、しかし捨丸が嫁を貰いたいなどと言うのなら、嫁その者を亡き者にするかなく、そうすると捨丸の身が危ないし私も危ない。だったら取る道は、あの世で結ばれる道しかあるまい!!」
「おい誰か止めろこの狂人を!!」
そんな話をしていると、部屋の出入り口のところに何やら、真っ白な服に身を包んだ女性が一人。それは白無垢姿の龍姫でした。
彼女は部屋の入り口で膝をついて微笑みを浮かべて九十郎を見た後、ゆっくりとその頭を垂れます。長く豊かな、手触りの良さそうな艶やかな髪が細い肩を流れ、白く細やかな、床に突いた彼女の綺麗な指の傍に添えられます。きめ細やかで白く美しい首筋が露わになり、小さな体に留まり切らぬ麗らかな雰囲気を周囲に示すかのようなその造形美は、人間の殿方相手であれば思わずニヤケてしまうほどだったでしょう。
人間の殿方相手であればの話です。ええ……そこは邪神×2と狂人でしたから……
ともあれ、彼女は頭を下げたまま挨拶の言葉を口にします。
「改めまして。私、龍と申します者は、御御御家の九十郎様へ嫁がせて頂き……」
直後、徳兵衛が弾かれたかのように龍姫の前に踏み込み、鯉口が鳴るが一閃、床もろとも障子戸を斬り裂いた刃が龍姫に迫るも、彼女はその神速ともいえる一撃を紙一重で躱し最小限の動きで徳兵衛の首めがけて手刀を放ちます。徳兵衛もこれに気付き躱そうとしますがその手刀が直前で伸びたかのような錯覚を覚え、体制を崩してまで一度距離を取りましたが、徳兵衛の首には赤い筋が一線引かれていました。見れば彼女の手には匕首があり、それが彼女の間合いを伸ばしていたようです。
これが一呼吸を吸う間に行われ、一呼吸を吐く間にまた二人は切り結びます。
そして、二人して言うことには……
「こいつ、狼藉者だ! 逃げろ、捨丸!」「こやつ、狼藉者か! お逃げ下さい九十郎様!」
その一言を置いて、二人はまた切り結び始めます。
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