5-1
◆
「う、うぅ……首、首ぃ……はっ!」
うなされながら捨丸が目覚めると、そこは布団の中でした。
「夢、か。相も変わらず悪夢だった。……ちゃう、現実が悪夢だった。クソ」
悪態をつきながらも布団を手繰り寄せ、その感触に包まれます。
「(この異世界転生で唯一の至福。それはこの布団の存在だ。いつまでも包まれて居られる。ああ、寝ることの喜びよ。当分このままでいい。目が覚めたということは、どうせ今日も厄介なことになるのだから。少しぐらい、数百年ぐらい惰眠を貪っても許されるに違いない)」
などと思っている捨丸は、ふと違和感を覚えます。
布団の中に、何かじゃりじゃりした触感があるのです。それは何か長く細い糸が布団の中に散りばめてあるような感触です。しかも仄かに生暖かい。それだけではなく、何か丸い物があり、そこからじっとりと湿った蒸気が発せられているのです。
それは違和感と好奇心の下、触れば触るほど謎の熱気を発し……
「(動いた!?)」
ついに捨丸は布団を剥ぎ取りながら飛びのきました。
「あら、見つかってしまいました」
そこには見知らぬ女性が居ました。
「もう少し、
艶めかしく悩まし気に、優美な曲線を描いたその体に黒く長い髪がさらさらと流れます。細い眉にはっきりとした目と鼻という整った顔から、なんとも寂しげな微笑みが捨丸へ投げられました。
誰だ、この女は。などと思っていても、それを口に出して良いものか。クトゥルフは知らずとも、捨丸は知っているのではないか。そう思い必死に捨丸の記憶を探ります。
確か、ひと月後に大きなイベントがあるから、それに備えてひと月前から準備しろよ、と通達を受け、でもひと月先なら特に何もしなくていいかと、今日は早くに就寝したはず。そう、一人で。
「(あれ? “捨丸”もこいつを知らんぞ?)」
しかし、いくら記憶を探ろうと捨丸もこの女性を知りません。
「え、えーっと、その、なんで布団の中に?」
「え? ……そういえば、何故でしょう?」
「いや本人も解らんのかい」
どうしたものかと悩む捨丸を見て、残念そうにしながら女性は立ち上がり言います。
「では、殿方の寝所に忍び込むのは、仮にも婚姻前の女子のすることではないことは、私も存じておりますので……」
しゃなりと腰をかがめて、笑顔でお辞儀して。
「本日は、この辺りで……」
と思いきやすさまじい跳躍で天井へ吸い込まれるように消えていきます。見れば、天井には大きな穴が。
捨丸は布団片手に寝巻姿で、一人天井の穴を見つめていました。
「な、なんなんだ?」
などという先月のこと。あれは何だったのか。あれ以来、布団の中に女の髪が溢れるビジョンが浮かんで布団を素直に愛せない捨丸でした。
そんな先月のことを寝ぼけ眼で思い出す捨丸の前に、御御御家の家臣、重鎮、世話になっている諸々の人を集めて、今日の御御御の屋敷はとても賑やかです。
「(あー、先月のアレ以来、まともに寝れてない。そういや、準備期間に一か月もかける大事な儀式とやら、今日だったか)」
家臣は見たことのある顔、見たことの無い顔、“捨丸”の知っている顔、ゴリラ、様々な者が居ます。
「(んんー? 今、類人猿が居た!)」
真っ黒な体毛に覆われた真っ黒な顔をした、文字通りのゴリラが和服を着て、寡黙に床の上に座っています。隣にいる銀暮をはじめ、周囲の家臣も御御御の家族も誰一人、ゴリラに違和感を覚えていないようです。
「ちょ、ちょ、あの、なんでゴリラが?」
その言葉に銀暮が平然と答えます。
「我が主よ。
「なんとゴリラ、生きてたのか。じゃねえよ。そこじゃねぇんだって。いやどう見ても死んでたけどそこじゃねぇんだよ」
ゴリラは鼻を鳴らして何か言いたげに、優しいまなざしを捨丸に投げかけます。
「ええ、そうですな、助兵衛殿。助兵衛殿の忠誠心は、この銀暮も証明いたしますぞ」
「え? 今なんて言ったの? というか人間の言葉を話してないよね今」
「はは、御冗談を。助兵衛殿の雄弁も、主の前では霞んでしまいますな」
「いや、鼻をフゴフゴ言わせただけでは?」
ゴリラは黙ってどこか遠くを、その愁いを帯びた優しい瞳で見つめています。
「というか、五里良騨じゃなくてマジもんのゴリラなんだが誰もそこは突っ込まないのか!? これ普通なのか? 流石にダメだろ。なぁ、なあ! 誰か異常だと言ってくれ!」
ゴリラは長い腕で捨丸に、捨丸の座るべき席を指さします。
「おお、そうですな。助兵衛殿も言っておられる通り、今日の主賓は主殿。そろそろ、席に戻られた方が良さそうですぞ」
「いや、ゴリラ何も言ってへん。ゴリラなんだから喋れへんって……」
すごすごと、何か変な幻覚に襲われているような気分になりながら捨丸は自分の座るべき位置へと腰を下ろします。
そう、今日は捨丸の元服の儀式があるのです。
この儀式を通じて、捨丸は幼名を捨て、
儀式は粛々と、且つ淡々と進んでいきました。
「(ここひと月の睡眠時間が日に九時間しか寝れてないせいで何にも頭に入らん)」
十分に寝れている捨丸を他所に御爺様から、捨丸の新しい名前が告げられます。
「今この時より、お主の名は“
そういって、半紙に既に達筆で書かれたその名を示し御爺様は続けます。
「さしあたり、諱は当代の大将軍である親方様、
そういって、御爺様は温和な笑みを浮かべて優しい声で言います。
「では、変わらぬ安寧と、さらなる飛躍を願って。九十郎に!」
杯を一献。
「(なんで、名前が変わるんだ? ややこしいが……あれか? 出世魚なの? ならなんとなくフィーリングで解るわ)」
儀式は滞りなく進んでいきます。
父、母、祖父、重鎮の家臣、ゴリラ、他数名に囲まれ、儀式は次第に宴へと移り変わっていきました。
とまぁ、儀式の最中には、ちょんまげを結うことに恐れおののくなどの小さなイベントはありましたが……全面カットで。ここの描写が足りないことで助かる人も居るんです。主に作者が。主に作者が! 資料が無いのよ! 資料が有ってもページ数が足りないのよ!
で、さてここからが……なのです。
「では……そろそろじゃな」
元服の儀の宴も
御爺様は酒気による赤みを帯びながら捨丸、九十郎に言います。
「お前に、そろそろ嫁をと思ってな」
「要らないです」
「本当は元服前にいくつかの家とそういう話があったのだが……」
「あ、これ聞いてもらえない奴だな?」
「それらの家はすべて何の不幸か、嫁を寄こして来る前に没落か、あるいは謎の刃傷沙汰になってな。どこも御家断絶よ。流石にそうなっては嫁は取れん」
「謎の刃傷沙汰で御家断絶……ん?」
ふと、九十郎の腰から尻にかけて寒気が走ります。
「(それちょっと心当たりあるぅ)」
九十郎の脳裏に過るのは、あの過剰ブラコンの兄、徳兵衛です。
あの兄、過去の発言で「愛しの弟の嫁になろうと言う者。滅すべし。慈悲はない」とか何だかそんなニュアンスのことを言ってたような?
「(いやしかし、すべて、って……あの兄、何者?)」
複数の意味で戦慄を覚える九十郎を他所に、酒に酔ってもいる御爺様は微笑みと共に続けます。
「他所の家や国からは、うちが優秀なシノビを有していて、政略結婚の話を持ち掛けると見せかけて闇討ちしていると噂されていてな。まぁ、優秀な隠密が居ることは間違っては居らんが、婚姻相手の家を潰そうとしたことはない。戦じゃないと詰まらないし」
「でしょうねー」
あれ? つまり、徳兵衛兄さんは単独犯ということに? というか、単身で相手の領地に潜り込んで一家全滅させるって、ポテンシャル高すぎない? あれなの? マーシャルアーツ+キックなの? 組み付き派生なの? これ以上いけない。
「だが、捨丸よ。いや九十郎よ。安心せよ」
御爺様は九十郎に言います。
「今回の嫁は無事にやってきた。向こうの家は元々断絶済みであったが、この際もはや同じこと。向こうの、お前の義父に当たる男は儂と“生前”仲が良くてな。その関係で、そこの末の娘を貰うこととしたんじゃ。もう彼女はこの屋敷に来ておる」
ん? なんて言いました?
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