4-3



 思わず、捨丸は目の前の蠅を両手で潰そうとします。が、乾いた音がした後でも変わらず羽音とニャルラトホテプの声は続きます。


「だから危ないでしょ!? 潰れたらどうしてくれるんですか!」

「くそぉ、思ったより早い。潰そうと思ってんだよ。憎き現状の元凶が両手で潰せる状態とか、そら潰すでしょ」


 今一度、捨丸の両手が乾いた音を立てます。


「潰されるわけ無いでしょ? 蠅からすれば人間はノロマすぎるんですよ」

「誰のせいで人間になってると思ってんだ」


 また潰そうとしますが、またしても撃墜は叶わず……


「はー、三振決めてるじゃないですか。三十三対四のスコア差ですね」

「なんでや! どっからそのスコア差になったんや! ええい! 落ちろカトンボ!!」

「だから蠅だって!!」


 夜の静かな、他に誰も居ない廊下の真っただ中で他の人には聞こえない蠅との会話をしながら両手であちこちを叩き続けるこの様は、後にクトゥルフの盆踊りと呼ばれるように……なるわけもなく。


「パチパチと音を鳴らして自身の居場所を教えるとは殊勝なことだな」


 唐突に背後から聞こえた声に、捨丸は固まりました。

 そして、自分の背後から迫る影の方へ、恐る恐る振り返ると、予想に難しくない人、あ、いや、ゴリラがそこに居ました。


「やはり面と向かうと不思議と……とこに連れ込みたくなる!!」


 彫りの深い顔の強い目力を感じさせる顔で、元々長めの鼻の下がみるみる伸びていく五里良騨を前に、蠅が他人事として言います。


「ああっと! 突然のエンカウント、というよりあれだけ隠れる気のない行動をしてたらそりゃ見つかりますよね。いやぁ、なんであんなに音を出してたんだろうなぁ、捨丸くんは」

「謀ったなニャル!?」

「君は良きおもちゃだが、君の行動が悪いのだよ」


 五里良騨の巨体が両手を広げ、その口元を緩めながらにじり寄ってきます。


「待ってこの状況ヤバくないか!?」

「大丈夫ですよ。旧支配者としてのプライドとケツの穴がズタズタになるだけですから」

「十分にアウトじゃねぇか!!」

「あ、確かにまずいかも? このままでは、R18ネタが行ける所へ変える必要が?」

「ちょっとお前何の話してんの!? いあー!! 助けてダゴン! 助けてハイドラ!」


 と、捨丸が叫びながら身構えようかという正にその時、唐突に五里良騨の背後から胸を何者かの刀が貫きました。その刀はすぐに引き抜かれ、五里良騨は血を吐きながら目のめりに倒れます。

 そうして五里良騨の背後から現れたのは……捨丸のブラコン過ぎる兄、徳兵衛でした。

 徳兵衛は刀から血を振り払いながら、倒れ伏した五里良騨の背中を踏みつけて言います。


「うちの可愛い弟、いや、私の可愛い将来の嫁に手を出そうという輩は生かしておかぬ! 断じて許さん!!」


 そう言いながらトドメの一撃を加え、その後も何度も五里良騨に刀を振り下ろします。


「おーっと! これはまさかのR18Gグロのほうかー?」

「ひぇっ……もうどこから突っ込めばいいのか分からないよ」


 そんな捨丸の様子を見て、徳兵衛は手を止めて何事も無かったかのように微笑みを浮かべて歩いてきます。


「おっと、つい熱くなってしまった。大丈夫だったかい? 捨丸」


 が、返り血にまみれながら笑顔で近づいてくるその姿は誰がどう見てもホラーそのものです。


「いやあの、ち、近寄らないでもらえますか……」

「え……あ、ああ! そうか、汚れてしまっているからね。兄の方が気が利いていなかった。すまない」

「というか、何で居るんです?」

「それはもちろん、可愛い弟の危機を、虫の知らせで受け取ってね。あとは捨丸の匂いを追って来たんだ……冗談だよ?」


 冗談に聞こえない気持ち悪さが捨丸の体温を下げます。


「実際は、すぐそこまで智爾ちじの国の軍勢が来ていてね。煉の国に。元々この井々是の城を攻め落としたかったんだが、ちょうど良い好機ともいえる手引きがあったんだ。それで、城に忍び込んでここまで来たってことだよ。でもまさか、既に捨丸が忍び込んだ後だったとは。流石は私の嫁、じゃなかった、弟」

「えぇ……いつの間に攻め込んだの!?」

「おじい様の突然の思い付きで」

「突然の思い付きで戦争を起こすな。しかも勝ってるのかよ怖いわ」


 と、捨丸、ここで徳兵衛のとある一言に引っかかります。


「……ん? いやそれ以前に、手引き? ……つまり、ゴリラの部下が裏切って内通して、徳兵衛兄さんを城に招き入れた、ってこと? いったい誰が?」


 そんなことを捨丸が口にした直後、近くの障子戸が見計らったかの如く勢いよく開け放たれ、銀暮が現れます。


「拙僧の読み通りです! 策はなりました!!」


 歯茎をむき出して唾を飛ばし、斜視の目を目一杯見開きながら、銀暮は喋ります。


「一目見た時から、あなた様は拙僧の真の主にふさわしいお方! 啓蒙新たかに脳が震える偉大なるお方に違いないと、拙僧の鼻奥におわす五人囃子の銅鑼回しが蜜を注いだのです! 極彩色の経年劣化したワビサビが那由他の極小ブルゴリラを拙僧が許さないことぐらいルルイエじゃ常識なんだ!」

「何言ってるかマジで分からねぇ、ってか、今、ルルイエって言った!?」


 クトゥルフが封印されている海底都市ルルイエの名前を、地球ではない世界の住人が口にしたことを、捨丸は確かに聞きました。

 そのことに関して、捨丸の耳元で羽音共に件の声が告げます。


「どうやら、この銀暮という修験者、元々そういう素質があったようですね。その才能の高さ故に、捨丸と接した際にその内部に居るあなたクトゥルフを覗き見てしまい、正気度を失ってしまったというわけでしょう。ただでさえ、周囲の人間が狂うような謎の怪電波を発してる奴の内部を覗き込むとか、よく脳みそが破裂しませんでしたね、こいつ」

「と、ともあれ、狂信者、ってことは捨丸というよりクトゥルフの味方、でいいの?」

「本人も自分の口が何を言ってるか解ってないどころか、下手すると今の記憶も飛んでるでしょうけどね」

「つまり頼りにはできないってことじゃないか!」


 自身の事かと気づいたのか、銀暮がまた何やら喋ります。


「おお偉大なる方、大いなる方。あなたの威光を世の隅々の果ての果て、針孔の隙間から……不思議な時空にデブを形どるソーラーレイ」

「今デブって言った?」

「不思議な時空に蛸を形どるコロニーレーザー」

「こいつほんとはふざけてるだけなんじゃないの? というか、狂い過ぎてて全く役に立たなさそうなんだが!?」


 耳元でとても楽しそうな声が捨丸に聞こえてきます。


「狂信者が増えたよ、やったね捨丸!」

「おいよせやめろ」


 狂信者に戦々恐々とする邪神に、そうとは知らずに徳兵衛が言います。


「しかし、捨丸は元服前だというのに、城を落とす糸口を作るとは……これは捨丸の手柄だ」

「手柄? とは?」

「捨丸が出世するってことだよ」

「出世……出世!?」


 徳兵衛は満面の笑みで捨丸の肩を叩きながら言います。


「おめでとう! きっと次は最前線で一番槍を預けさせてもらえることだろう」


 それはつまり……捨丸が目指す“ぐうたらライフ”からまた一歩遠ざかったということ。


「おお! おお! この銀暮、我らが主が更なる触手の伸ばす先を確保できるよう、粉骨砕身直葬で、より多くの信徒を増やして行きましょう! 菌糸類、近視のたぐいみたいに! 拙僧、歴史上の偉人を女体化させますので!」


 銀暮はヘドバンの如く首を振りながら理解不能なことをしゃべります。いやもう怖いから。


「死に場所が増えるよ、やったねクトゥルフ!」


 一段と楽しそうなニャルラトホテプ。


「か、勘弁してくれ! いやだぁぁ! ゾスに、せめて地球に帰りたいぃぃ!」


 嗚呼、明日もまた、ぐうたら出来ないことでしょう……





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