4-2
などと困惑している間に、捨丸は取り押さえた男の首を掻っ切り、男が絶命するまでその口を左手で塞いでいました。
捨丸の左手は男が吐いた血で汚れましたが、動かなくなった男の服で手を拭き、何事もないかのように男の遺体を血まみれの書庫に置いてその場を後にします。
廊下へ出た捨丸を夜風と月光が優し気に包みます。その穏やかな光景とは真逆の恐ろしい所業の後であるにもかかわらず、捨丸の行動からは焦りや恐怖などは捨丸からは感じられません。足音を立てないように、かつ素早く、捨丸は廊下を歩きます。
「(捨丸の目的が解らない以上見守るしかないが、一体何をするつもりなのだろうか?)」
いえ、過去のことなのでどっちにしろ見守るしかないですよ、クトゥルフ様。
と、廊下を歩いていた捨丸が、廊下の角でしゃがみ込み、聞き耳を立てます。どうやら、角の向こうの部屋の会話を聞こうとしているようで……
「助兵衛殿、件の、連れ込んだ
声からして、あの銀暮とかいう修験者のようです。話し相手は助兵衛と呼ばれているゴリラ、じゃなくて人……五里良騨のようです。
「ああ、それなのだがな、銀暮よ。俺は……なぜあの小童を連れ込んだのだ? 確かに、あの小童の顔を見た時に、こう、何か得体のしれない……頭の中で何かがうごめくような感触があってだな……」
「それはもしや、頭蓋の中で蛸のような生き物が……」
「おお、そうだ。蛸のような生き物が……」
それを聞いていたクトゥルフが思います。
「(お? なんだぁ? もしや、余と触れ合ったことでSAN値が下がり、余の本来の神々しい姿を拝してしまったが故に狂気に落ちてしまったということか。そうかそうか)」
妙に誇らしいような、勝ち誇ったような気持ちをクトゥルフは感じました。
「(そうだよなぁ、そうだよなぁ! 人間芥を恐れるなど、余はどうかしていたぞ。例え魔術を使えずとも、例え人間の身に堕とされようとも! 余は偉大なるクトゥルフ! 人間など、余の玉体を拝することすらできん種族なのだ!)」
そうと知らぬ銀暮が口を開きます。
「助兵衛殿にも見えたのでしょう」
「(見えてしまったのか、偉大なる余の姿が)」
「蛸のような生き物が、怠惰で締まりのない腹をして寝ているような、そんな幻覚を」
「(んんー??)」
五里良騨もそれに強く答えます。
「そうだ。あの巨大な蛸の、あの見っともない腹回り……よほどの怠け者に違いない」
「(おい!?)」
「大昔の貴族のように全く動いていない怠け者か、あるいは何かしらの病なのやもしれんな。あの腹回りは筋肉ではあるまい」
「(待てゴルァ! 誰がデブじゃ!)」
しかしクトゥルフの怒号は過去にはもちろん届かないので……
五里良騨が銀暮に言います。
「ともあれ、俺はあの小童を捕える。あやつは危険だ。得体が知れぬ。対面すれば不思議とあの巨体蛸の幻覚で頭が満たされてしまう。なにやら、蛸の他にも、黄色くて長い刀のような形状の果実の味と匂いの幻も見るのだ。……とても旨そうな果実なのだ」
「(なんでバナナの空想に耽ってんだよ。やっぱりゴリラじゃねぇか)」
少し離れたその部屋の障子戸が勢いよく開け放たれる音がした直後、ドカドカとした足音が捨丸の方へ迫ってくるのが聞こえます。
同時に、五里良騨の声も近寄ってきます。
「相対すれば幻術に囚われるなら、見つけ次第殺せばよかろう!」
捨丸は五里良騨の姿を確認する前にその場を離れ、近くにあった人の気配のない部屋へ飛び込みました。即座に押し入れを見つけ、その押し入れの奥へと身を潜めます。
「(上等じゃコラァ! こっちとらニンジャ=ソウルを持った捨丸サンやぞ! ゴリラなんぞ忍者に勝てるわけがないだろうが! バイオゴリラになって出直せぇい!)」
などと息巻くクトゥルフを他所に、捨丸は押し入れの中で珍しく焦った様子で息を潜めます。
「(って、あれ? あの、捨丸サン? 捨丸?)」
見る見るうちに捨丸の視界は揺れ、何かに吸い込まれるようにその意識が薄まっていきます。
「(待て、待て待て! こんな時に眠気に襲われる奴があるか! おいこら! 何故だ、何故唐突に眠気に襲われているんだ! 立て、立つんだ捨丸ぅぅ!)」
そして、捨丸はまるで今までと別人のように、まるで寝ぼけているかのように目を擦りながら周りを確認し始めました。
「(……も、もしや?)」
そんなところに、五里良騨が捨丸の潜む押し入れを勢いよく開けて言います。
「うほっ、見つけたぞ、俺の今夜の
それに対して捨丸が叫びながら五里良騨を蹴ります。
「ぎぃぃあああああああああああ!! 食われるぅぅう!!」
クトゥルフは事態を察しました。
「(これ、もしかしなくても、余は最悪のタイミングで捨丸と入れ替わったのでは?)」
いわゆる、ピンチですね。
「ま、待て。まだあわ、あわわ慌てるような時間ではない」
夜風が通り抜ける、静かな吹き抜けの廊下の床板は木製で、おろおろと歩を進めれば音を発し戻れども音が鳴ります。物言わぬ月光さえも自分の居場所を密告するのではと思うと気が気ではありません。
記憶を探るに、五里良騨は捨丸を探していました。ニンジャのような動きをする捨丸ではなく、今の
「やっぱり慌てるような時間なのでは!?」
何を今更。
敵方の城のど真ん中、帰り道も現在位置も解らず、その上、既に敵の兵士を一人始末済み(死体処理が雑)……役満ですね。
「ああー……どうしたらいいんだ!?」
そんなことをぼやきながら頭をかき乱す捨丸の耳元に何やら聞こえ始めました。
「聞こえますか……聞こえますか……」
一体誰だ! と思うより先に、捨丸は気になることがありました。
羽音です。小さな虫の飛ぶ音が聞こえます。
「聞こえていますか……捨丸」
プーン
「捨丸よ……」
プーン
「今あなたの心に」
プーン
「直接」
プーン
「語り掛け」
プーン
「ています」
プーン
「良いですか? あなたが」
プーン
「この先生きのこ」
プーン
「るには」
捨丸は思わず羽音の主を両手で潰そうとします。
渇いた打撃音が響き、同時に悲鳴が聞こえますが、羽音は続いています。
そして、先ほどまでのような静かな口調ではなく、どこかで聞きなれたような喋り方を羽音の主はし始めます。
「ちょっと! 何するんですかこの寝坊助蛸! 潰れたらどうしてくれるんですか!!」
「いや、羽音めっちゃ気になってんもん」
「私が珍しく助け舟を出そうとして来てやっているというのに、そんな私を蚊のように潰そうとするとは何事ですか!!」
「その口調からして……もしかしなくても、這い寄る混沌?」
見れば、小さな羽虫が捨丸の目の前で八の字を書きながら飛んでいます。
「如何にも。千の顔を持つ麗しの神と呼ばれる私の姿の一つ、蠅の王の縮小版です。隠密に最適でしょう?」
「てっきり蚊かと……」
「蠅だっ
咳払いをしてニャルラトホテプ、蠅は言います。
「良いですか捨丸。このままではあなたは死にかねません。そこでですね、私の言うとおりに動いて生存を……」
「いや、這い寄る混沌の口車に乗ってはいけないって、宇宙では常識では? だいたいニャルのせいだからなぁ」
「は? 酷くない? こんなにも良心に従って言っているのに!」
「酷くなくない。その良心の倫理のネジが緩いっていってんだよ。あと、実際、余が捨丸になった経緯はどう考えても“ニャルのせい”そのものじゃねぇか」
「なくなくない?」
「なくなくなくない」
「なくなくなくなくない?」
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