3-1





「捨丸、捨丸、馬上で寝ると落馬しますよ」


 ふと気が付くと、捨丸はゆっくりと歩く馬の背に揺られていました。

 近くには、同じく馬に乗った黒郎が並走しています。また、先行するように、これまた馬に乗った徳兵衛が居ます。

 穏やかな日差しの中、青々とした田んぼ沿いの、ある程度舗装された土の道の上、栗毛の馬の背に揺られどこかへ移動しているようでした。


「あれ? なんか、飛んだような? というか、いつ寝てたんだ?」

「おかしな夢でも見ていたかのような言いぐさですね、捨丸」


 黒郎が捨丸の顔を覗き込むようにしながら言います。


「あるいは現実逃避ですか? 辛い現実から早くも逃げたくなっちゃいました?」

「……眠い」

「いやだから、話を聞きなさいよ。寝坊助ダコ。馬上で寝ようとするなっての」


 黒郎は捨丸の乗る馬と並走している黒毛の馬に乗りながら、捨丸の肩を揺らしていました。

 クトゥルフ……捨丸は眠気に目を擦りながらあくびをします。


「クソ……やっぱり転生させられてたのは夢じゃないんだな」

「何を今更。落馬したら打ちどころが悪いと死ぬんで起きてくださいね」

「え? この高さでダメなの? 人間は脆いなぁ……」

「船に脇腹どつかれたぐらいで霧散する邪神も脆いと思いますけどね」

「あんなゴテゴテに装飾した蒸気船、結構痛かったからな。そうだ、お前がぶつけてきたタンカーのが更に痛かったぞ」

「蒸気船に関しては私のせいではありませんし」


 ゆっくりと歩く馬の背の上、視れば近くに木造の平屋がいくつか見えます。

 田畑に立つ人々は、捨丸たちを見て手を振ってお辞儀をし、人によっては作業の手を止めて路上に伏せます。

 それに先行している捨丸の兄である徳兵衛が、「気にせずに作業へ戻るように」と笑顔で告げていきます。


「あの泥だらけで簡素な服装の人間たちは……」


 疑問を口にした捨丸へ黒郎が答えます。


「あれはこの国の民草ですね」

「この国? ……なんだっけ?」

「え、ちょっと、真面目に言ってます? 寝ぼけてます? あるいはインストールの不足?」

「不足じゃない? 転生させた奴が禄でもなかったばっかりに」

「んだとこら」


 民草の視線に気づいて咳払いをし、黒郎は続けます。


「えーっとですね、この国は智爾ちじという国で、南を内湾に、西は大海に面した、この世界では南西に位置する国です。主な生産物は海産物全般ですね」

「あー、蛸を食べたもんな……う、気分が……」


 お爺さんへの恐怖を反芻はんすうし気分を悪くした捨丸を他所に、黒郎は更に続けます。


「この国は捨丸の家である御御御おみお家の領地ですね。まさかとは思いますが自分の家名が解らないなんてことは流石に……なぜ目を逸らすんですか、捨丸」

「御御御家とか、すごい苗字だなぁ」

御御御おみお 捨丸すてまるですよ、あなたは」

「いいや、余はクトゥルフ。偉大なるゾスの……」

「寝坊助ダコを名乗りますか。蛸は御御御家の当主である、御御御おみお 十兵衛じゅうべえ 虎信とらのぶ様の好物。……お爺様の好物ですけど良かったですか?」


 思わず捨丸の口が閉じました。

 不満を目で示しながらも押し黙る捨丸をしれっと無視して黒郎が話します。


「今から向かうのは、北の国境くにざかいの村です。北の敵対国であるれんの国が兵を集めているのではないか、とのうわさの確認が今回の任務ですね」


 黒郎が捨丸の視線を導くように遠くを指さします。


「あの向うに国境の川があります。幅が広くも浅い川ですので、戦の際にはその前後が戦場になると思われますね」

「はぁ、そいつはご苦労なことで……」

「煉の国は海が無いので、海を求めて侵攻したいんですよ。噂では地下トンネルを掘り進めてたとかいう話もあります」

「はぁー、んだ話だなぁ」


 捨丸の口からため息が漏れました。


いくさ、戦争かぁ。大変だなぁ」

「すごい他人事のように言ってますけど、捨丸、あなたも戦場に立つことになると思いますよ」


 穏やかな午後、穏やかな日差し、その最中の全く穏やかじゃない一言に捨丸は思わず黒郎を凝視します。


「は?」

「戦場に立つことになります」

「はあ?」

「そりゃもう最前線に」

「はぁあ!?」


 捨丸は首を振って拒否を示しながら言います。


「なんでだよ! なんか私は良いとこの家の人間じゃないの? なんで司令官クラスじゃないの? なんで指揮官が前に出るんだよ」

「指揮官というか小隊長レベルの立場じゃないですか」

「それでも最前線に立たないって! 討ち取られたら指揮系統乱れるでしょ!?」


 黒郎は何かを察したように意地悪な笑みを浮かべました。


「あー、そうでした。説明不足でしたね。この世界では、“一番槍はほまれ”と言われてるんですよ。つまり、率先して指揮官だろうと突っ込んでいって敵の大将首を上げるのが良しとされています」

「それってつまり最初に狙われるのが私では!? いやだから、司令官が討たれたらどうするんだよ!」

「ですから小隊長レベルですって。……まぁ、小隊長が討たれたら個人単位で戦うのでは?」

「んな無茶な!」

「良かったですね。みんながあなたに栄誉を譲ってくれるんですよ」

「名誉ある死になりそうですが?」

「お、主人公らしくなってきましたねぇ」


 笑い声を上げる黒郎を見て、捨丸は怒りを覚えましたが、馬上なので「あとで覚えていろ」と視線を投げるだけで我慢することにしました。

 あからさまに嫌な顔をする捨丸に黒郎が言います。


「おや? かつて地球の支配を巡って戦ったゾスのお偉いさんであるクトゥルフが戦うことが嫌いだと?」


 クトゥルフは、人類が生まれる遥か昔に地球に飛来し、地球の覇権を求めて他の地球外生命体などと争ったことがあります。その結果、戦に負けて地球の奥深く、海底都市ルルイエに閉じ込められることになったという過去があります。


「あの頃はほら。起きてることの方が楽しいと思ってたけど……今は布団という娯楽を知ってしまったから。睡眠ほど楽しい娯楽もないだろ?」

「なんですかその三秒有れば寝れそうな小学生が言いそうなセリフは……だいたい、あなたの場合はそのまま他者の夢に入り込んであれこれ悪化させるのが趣味でしょ? 流石にそれはあなただけです」

「え? そうか?」

「……いえ、ありかも? ありですね」

「だよね。そのまま破滅していくところまである方が見てて楽しいよね」


 この邪神どもめ。


 ふと、捨丸の視線の先に領民の中で一段と年を取った男性が目に留まりました。

 その男性は、腰ほどまで伸びた髭を腰帯で止めていながら、それほど年を感じさせぬ伸びた背筋をした老人でした。頬にまで届く長さの眉と垂れ目で微笑みながら、愛想良さそうに何かを竹のザルに乗せて、捨丸たちを待って居るように見えます。

 その男性が捨丸と黒郎にお辞儀をしながら近寄り、ザルの中身を見せながら言います。


「捨丸様、黒郎様、御覧くだせぇ。今年もまたナスがこんなきれいに実りまして……」


 どうしたものかと焦り始める捨丸に、男性は何かを察したように話を切り上げて話題を変えて話します。


「そうでしたそうでした。この度は領主様のご子息である徳兵衛様とその弟君をお迎えでき、恐縮にございます。煉の国との境を見に来たのでしたな?」

「え? あ、ああ、うん。……はい」

「では、馬はこのわたくし、ケタミキにお任せ下さい。ささ、国境の川はあちら、その傍の馬小屋まで、ご案内いたしますで」



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