2-3
思わず捨丸は半ば叫ぶように言います。
「兄って、あれか! 貞操の危機!」
「すごい覚え方ですけどそれで合ってます」
世界広し、異世界であったとしても、邪神クトゥルフのケツの貞操を狙う人類など存在するとは思ってなかった捨丸は頭を抱えました。
捨丸の兄、弁助は過去の発言で「捨丸を嫁に欲しい」と口走ったことがある人物です。それどころか、弟を取られないためならばどんな労力も惜しまない、悪い方向での努力家でもあると“記憶”しています。
「狂気で若返った爺さんの後であの貞操観念が発狂してる兄とか胸焼けするわ!」
捨丸は部屋の障子戸を閉めてつっかえ棒をし、窓を閉めては
その警戒の様子に黒郎が聞きます。
「そこまで警戒します?」
「いや、大丈夫だとは思うんだけど……私の中の捨丸が囁くんだ」
などと言っていると、部屋の障子戸がガタガタと鳴り、その向こうから青年の声がします。かすかに人らしきシルエットも見えました。
「捨丸ー、兄ですよー。兄が帰りましたー。あれ? 開かない? 建付け悪いのかな?」
捨丸は静かに仏壇の中に入り込み、その扉を閉めようと手をかけます。
黒郎がまた聞きます。
「いや、そこまで警戒……しろと囁くんですね」
「うん。私の中のゴーストが」
「はい。面白そうなんで黙っておきますね」
「こやつ! 他人事だと思って」
部屋の障子戸をガタガタと動かす音が止み、少しの間、部屋に静寂が訪れます。が、捨丸は悪寒を感じ、思わず手をかけていた仏壇の扉を閉めます。
その最中に見えたのは、床板を外して部屋に侵入する何者かの白い手でした。
閉じた仏壇の扉越しに会話が聞こえてきます。
「あれ? 黒郎だけ? 捨丸は?」
「ああ、
仏壇の扉の向こうから、黒郎と兄 ――弁助は今は元服し名前を徳兵衛、
「もう、部屋にいるなら開けてくれればよかったのに。黒郎も居たんでしょ」
「徳兵衛兄さん、勘弁してください。私からは何も言えません」
「あー、大丈夫大丈夫」
何かが床を這うような音がし、何かを吸い込むような音がします。
「ああー……捨丸の匂いがするぅ……この部屋に、まだ居るね?」
あ、作者が思ったより、はるかに気持ち悪い。
「日が昇った後なのにまだ布団が敷いてある。ということは……はっ! 捨丸、疲れて帰ってきた兄を慰めようと待っていたんだね! 衆道的な意味で!!」
「(んな訳があるかぁあ!!)」
思わず突っ込みを入れたくなったのをこらえた捨丸でしたが、そのわずかな気配を徳兵衛は察知したようでした。
捨丸の隠れる仏壇の扉がガタガタと揺れ、思わず捨丸は内側から扉を抑えました。
「(ほ、ホラーだ! 未知の恐怖に今、接触している! いやー! いやー! 助けてダゴン! 助けてハイドラ!)」
が、祈りはもちろん届かず、仏壇の扉が、開くのではなく外されました。
徳兵衛、黙っていれば整った顔立ちの青年が優しく微笑みかけます。が、イケメン補正を無効化するほど視線が気色悪い。行動が気色悪い。
「捨丸。そんな暗く狭いところに居たら、目を悪くしてしまうよ。それに……」
徳兵衛は捨丸に顔を近づけます。近くで見るととてもイケメン、ということではなく、その狂気の光を宿した目と近い距離で目が合います。
「そんな閉所じゃ、私から逃げられないだろう?」
「に、逃げたがっていると解ってるなら追い詰めないで貰えませんか!?」
「まあまあ、そこに居たんじゃ襲いにくい、じゃなかった、襲った際に体を傷めかねないし出てきたらどうかな? ほら、兄は一歩下がるから。それともそういう痛い房事を求めてるなら全力で応えるけれど」
徳兵衛は一歩引いて、捨丸に仏壇から出るように促しました。それを脇目に警戒をしつつも、捨丸は這い這いしながら仏壇から飛び出します。
仏壇の外では黒郎が関わりたくないという顔で徳兵衛を眺めていました。
「というか、黒郎が双子なら同じ顔じゃないのか? 私じゃなく黒郎でもよくない!?」
そう叫びつつ更に距離を取る捨丸に、徳兵衛は少し考えてから答えます。
「なんとなく、捨丸のが……ふ、ふふ……そ、そそる」
「そそる!? ってどういうこと? いやいや、答えなくていいです止めて下さい!」
「え? 遠慮しなくてもどこがそそるか、手取り足取り腰も取って教えるのに」
にじり寄る徳兵衛に恐怖を、憐みの視線を投げつけてくる黒郎に怒りを覚えつつ、捨丸は話題を逸らそうと切り出しました。
「そ、それはそうと、兄上はどこに遠征に行ってらしたのですか?」
徳兵衛の足が止まります。
「(よし、真面目な方向に話を振れば……その間に退路を確保せねば!)」
が、帰ってきた答えは予想外なものでした。
「捨丸の政略結婚の嫁を寄こしてきそうな家を滅ぼしてきた」
一瞬の静寂。
「は?」
「いやだから、捨丸の政略結婚候補の相手の家を滅ぼしてきた」
「いやいや、あの……は?」
「あれ? 捨丸の、生意気にも嫁になろうとする不快な畜生の家を、根絶やしにしてね」
「聞き取れなかったわけじゃないから! そうじゃなく……」
何を言ってるんだろうか、この狂人。
「確かに、過去にやるとかなんとか言ってたのは覚えてますけどマジにやる? 戦争待ったなしじゃねぇの、こういうの? って戦争にならねぇ、相手既に絶滅済みだ! ぶっ飛びすぎてて理解が追い付かんぞ!」
「いやあ、照れるなぁ」
「褒めてるように聞こえたなら、弟は悪い意味でそこに痺れる、悪寒がする!」
更に徳兵衛は続けて言いました。
「でも、戦争云々は大丈夫だよ」
「まあ、相手すでに滅びてますからね。確かに戦争は起きないでしょうとも……」
「もし兄が滅ぼさなければ、お爺様が戦を仕掛けていた予定でもあったから」
「……
Pardon、の意味が解らずに困り顔を浮かべた徳兵衛を他所に、捨丸は黒郎を連れて部屋の隅へと行きます。
「待って、この家の人間、狂気に落とし過ぎたんじゃね? 流石のクトゥルフさんも責任感感じてきたんだけど……これじゃ、私、のんびりする余裕がないのでは?」
「今更ですかクトゥルフ。というかですね、あなた誤解していますよ」
「誤解?」
黒郎は捨丸の肩を叩きながら笑顔で言いました。
「戦が大好きなバーサーカーなのは、狂気のせいではなく、元からです」
「も、元か、ら……?」
「そう。この世界の人ら、元から、
捨丸、クトゥルフは、自身の足元からのんびり異世界ライフの構想が音を立てて崩れるのを感じ取りました。
そして、となりには満面の笑みで親指を立てるニャルラトホテプ。
捨丸はゆっくりと立ち上がり、黒郎の胸倉を掴んで背負い投げしました。
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