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「おや? “捨丸の記憶”を思い出してみては? 今、捨丸はお爺様からの任務で国境の村へ視察と偵察を兼ねていく任を仰せつかっているはずですが……」


 そういえば……そんな気が、と捨丸は思い始めます。

 黒郎は改めて大声で続けます。


「いえいえ、捨丸の体調が悪いなら仕方がないですが、二度寝がしたいと言うだけでは困りました。嗚呼、これをお爺様が知ったらなんと仰せになるでしょうかなぁ」


 お爺様……お爺ちゃん……爺……ふと、捨丸の脳裏にトラウマが蘇ります。


 蛸墨で黒く染めた歯を見せながら笑う、老人の姿を……

 彼に喰われた眷属の忠告『お前、蛸だし喰われるんちゃうん?』確かこんなだった……気がする。

 そして、自らの頭を掴みながら彼が発した言葉『クトゥルフって美味そうな蛸じゃね?』……そんなこと言ってたような? 言ってなかったような?


 捨丸は飛び起きます。


「お、お前……爺を召喚するつもりか!?」

「嗚呼、困った困った、なー。どうしよおー、お爺様から何か言ってもらった方がいいかもしれないなぁー」


 しかし、捨丸はふと気づきます。


「いや、待てよ。爺様……いや、爺は、余の記憶では耄碌して耳も遠いしょぼくれた老体ではなかったか? 確かに、赤子であったころならいざ知らず、今では私は、余は成長した。あれから時間が過ぎているなら、老体は劣化の一途を辿っているはず! もはやあの爺など恐れるほどではないのではないか!? 私が、いいや、余が勝てるはずだ!」


 この邪神、すぐ調子に乗るようです。


「ふはは! そう、そうだ! そうとなれば、爺など恐れるに足りぬ! むしろ余が老体を虐める絵になって……」


 その時、勢いよく障子戸が開け放たれ、外から冷たい風が吹き込みます。

 現れた人物は、赤備えの甲冑に身を包み、赤漆拵えの太刀を帯刀していました。切りそろえられた口ひげと射殺さんばかりの鋭い眼光。歳を感じさせぬ伸びた背筋……

 思わず捨丸は思いました。


「(いやコイツ誰だよ! 爺だけど爺じゃない!)」


 現れた人物は捨丸に言います。


「捨、お前には儂は期待しておる。その意味が解らぬではあるまい?」

「え、あの、その……」

「なんじゃ? 何か言いたげじゃな?」


 確かに、顔の作りは歯固めの儀式の時に見かけたお爺さんと同一人物であると分かるものの、当時はもっとこう……


「あの、お爺様、気のせいか……とても、若返っていらっしゃる?」


 髪は白髪交じりではあるものの、気のせいか黒髪が増えており、ぼそぼそと捨丸がぼやいた言葉にも反応するように耳の遠さも無くなっているようです。というか、足元のおぼつかない背中の曲がった老人はどこへ?

 お爺さんは笑って答えます。


「おう、そうじゃな。孫の顔を見てから元気が出て来てな! 儂は今から南方へ内海を越え、兵を連れて戦じゃ。大国に媚びと恩を売っておかねばならんからな。とはいえ、手柄を立てれば、まだ、この智爾ちじの国は大きく出来るはずじゃ。まだまだ、戦が儂を呼んでおる!」


 いや、元気になり過ぎでは?

 更にお爺さんが続けます。


「そのためにも、捨。お前には、北方の国境へ行って、様子を見てきてほしいのじゃ。いずれは、お前も戦に出る時が来る。その為にも、その空気の片鱗を知っておくのが良いと思うてな。行ってくれるな? なんてことはない、失敗してもというわけではないぞ」


 捨丸の脳裏に先ほどまで浮かんでいた、耄碌爺もうろくじじいを返り討ちにして異世界でのんびりライフというイメージは、お爺さんの射貫くような眼光によって無残に消え去りました。


「わ、わかり……ました」


 お爺さんはにっこりと笑って、服の袖を強く握りしめる捨丸の肩を叩き、部屋を後にしました。

 捨丸は理解し始めました。


「(あかん。これは……のんびり出来へんのではないか?)」


 にやにやと笑いながら、黒郎が捨丸に言います。


「どう? 辺境へ、見回り? 行くよね? ね!」

「あの、質問よろしいでしょうか? というか答えて欲しんだが……」

「質問に応えましょう」

「なんで爺さん若返ってるの?」


 恐怖で脂汗をにじませながら、捨丸は黒郎に聞きました。

 少し考えるそぶりを見せた後に、黒郎は答えます。


「おそらく、狂気を誘発する精神汚染によって、ワンパンチ的なリミッターのスイッチが入り……」

「もうちょい分かりやすく。この理解力が低下した頭でも解るように頼める?」

「……狂人になった結果若返った」

「なにその恐ろしいトンデモ健康法は!」


 狂気アンチエイジング。


「君が不用意に狂気を振りまくから、お爺さんがバトルジャンキーに若返ったんじゃないの?」

「誰もこんな結果予想してないって! 怖いんだよあの人ぉ!」


 ふと、捨丸はあることに気付きました。


「そういえば、あの人、私がクトゥルフだと気づいてるかのような発言を過去にしてた様な……緑の蛸とか、どう考えてもそうでは?」

「え? ナンノコト?」


 捨丸が目を見開き、訝しむような、あるいは犯人を見つけたかのような顔で黒郎を睨みます。


「そんな顔で見ないでくれますか? いくら私が美しいからって」

「いやそんなこと言ってないから。ってか、どういうことだ?」

「ほら、一定時間内に一定の正気度を喪失すると、アイディアロールが発生して、そのアイディアロールに成功した場合、SAN値の減少の代わりにシナリオのヒントが……」

「OK、言ってることの意味が解らんからお前を殴ろう」


 殴りかかろうとした捨丸をなだめながら、黒郎は咳払いをして言い直します。


「おそらく、あれが世に言う『狂人の発想』なのだと思います。狂気に巻かれた結果、本人すら気付いていなかった世界の真理の一端に気付いてしまう、とか……あるいは、そう口にした当人も知らなかった隠れた真実を言い当ててしまう、とか……」

「えーっと、つまり?」

「あなたが適当に精神汚染を発した結果、あのお爺さんにはきっとあなたの正体がバレてます」

「ひゅぃ?」


 思わず変な音が捨丸の口から洩れました。


「ま、待て待て、待て、まだ、まだ慌てるような時間じゃない」

「そうですね。あなたが自身の孫の捨丸なのだとは思いつつも、あなたが普通の孫ではないことは気づいているでしょうね」

「それ十分に恐怖なんだが!?」

「大丈夫ですよ。あなたが有用である限り、あるいは害悪をもたらす存在ではないと思われている限りは、悪いようには……殺されたり食べられたりはしませんよ」


 まるで陸に打ち上げられた鯉の様に口をパクパクとしながら、捨丸は青くなりました。

 流石にカニバリズムの文化はありませんが、そのことに捨丸が気づくことはありません。


「う、うちに、帰りたい……」

「捨丸、ここがおうちですよ」

「寝て暮らしたい……」

「布団がまな板にならないと良いですね」

「へ、平穏を、ください……心が折れそうだ」

「心まで軟体動物にならないでください。いや、軟体動物というより豆腐か桃ですね」

「生き延びたい。生き延びたい……」


 そんな話をしている最中、何やら遠くからドタドタと物音がし、それが足音に変わり、そのままこの部屋に近づいていることに捨丸は気付きました。

 同じように物音に気付いた黒郎が言います。


「ああ、平穏はもう少し遠そうですね」

「ん? 誰か、近づいてくる?」

「ですね。遠征帰りの“兄上”でしょう」

「あ、に……? 兄……兄!?」


 ふと、腰のあたりに生暖かくも感じる悪寒が走るのを、捨丸は感じました。そして思い出される“兄”の存在……



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