Ⅲ 祝日 ー父の場合ー
今日は、久々に仕事が休みだった。
普段ならこの時間はもう会社にいるのだが、今日が国民の祝日だから、仕事も休みになったのだ。
そして、長男の通う高校も、次男の通う中学校でも、同じように今日は休みだった。
だから今日は家族でどこかへ行こうかと提案するつもりだった。
しかし、それはどうやら叶わなかったらしい。
「ごめんなさい、昨日から熱っぽかったみたいで……」
そう言う間にも長男は二回ほど咳をしていた。
「大丈夫なのか?」
そう声を掛けてから、自身の言葉の愚かさに気付く。
熱っぽいと言っているのだから、大丈夫な訳がないだろうに。
しかし、そんな私の言葉にも、長男は穏やかな笑みを浮かべていた。
「ありがとう。少し休んでいたら治ると思う……部屋で寝ているね」
そう言って長男はゆっくりと階段を上っていく。
二階にいた次男が、階段を上った長男と会話している声がどこか遠くの方から聞こえた気がした。
長男は、いつから体調が悪かったのだろう。今朝からだろうか、それとも昨日からだったのだろうか。
どちらにしても、私は長男から言われるまで気付けなかった。
仕事の関係で、子供二人と顔を合わせる時間もほとんどなかったし、休日も団らんの時間が中々取れなかった。二人には寂しい思いをさせてしまうことも多かったと思う。
普通の家庭であれば、気付けたのだろうか。
働いているのは仕方ないとはえ、少しだけ憂鬱になった。
「……あれ、親父今日は休みなのか」
いつの間にか長男との話は終わっていたらしい。
階段を降りてきた次男が、私の姿を見て驚いた顔を見せた。
「今日は休みだよ」
「……ああ、今日って国民の祝日だからか」
答えると、次男が納得したように呟く。
「兄貴は体調悪いから、二人で飯食ってくれってさ。父さんは昼飯何がいいとかある?」
「気が早いな」
「じゃあ昼前にもう一度聞くよ」
淡々と告げる次男の背中に、私は声をかける。
それは、私が常々思っていて、でもそれを伝える時間もなくて今まで言えていなかった言葉だった。
「いつも、大会を見に行けなくてすまない」
私の言葉に、次男がゆっくりとこちらに振り返る。
「――仕方ないだろ、仕事なんだから」
そう言って、気付けば自分とほとんど目線の変わらないほど身長が伸びていた次男は、こちらを一度見た後、目を伏せて笑った。
十一時を過ぎたところで、私と次男は昼に何を食べるか決めるためにキッチンの前に立っていた。立ち止まった次男が、戸惑うように私に視線を向ける。
「……ところで親父、料理得意なの」
「大学時代は一人暮らしをしていたから、それなりにできるぞ」
「……へえ、そうなんだ」
意外そうに、次男はこちらを見ていた。
確かに、あまり料理をしている姿を見せたことがないかもしれない。そもそも仕事で帰りが遅く、二人の夕飯の時間に顔を出すこと自体稀だったのだから、当然のことなのだろうけれど。
さて何を作ろうかと冷蔵庫を開けると、存在感の強い大量の卵と目が合った。パッケージに書かれている賞味期限を見てみると、日付は明後日を示している。
「……なんでこんなに卵が残っているんだ?」
私が呟くと、「きっと、兄貴が安いからって買い込んだんだと思う」の言葉と共に、隣にいる次男の苦笑した声が聞こえた。
これだけの卵を消費できる料理となると、レシピも限られてくる。
その中でも、何日か保存がきくものを頭の中で選んで、私は次男に顔を向けた。
「味卵を作ろうか」
私の言葉に、次男の目が少しだけ輝いた気がしたのは、うぬぼれだったのだろうか。
味卵を作ることに決めた際に、ついでだから昼はゆで卵を入れたラーメンにしようと、麺やメンマを買ってきてから再び私と次男はキッチンに立つ。
卵は、昼にラーメンに入れるゆで卵用と、夜以降に食べられる味卵用に複数個取り出して、底の広い鍋に湯を張って沸騰させていく。
その間に次男には、醤油と水とみりん、それに砂糖を入れた漬けだれを作ってもらっている。個人的には、砂糖を少しだけ入れることで甘めにできるのが気に入っている。二人が気に入ってくれるかは分からないけれども。
「これってどれくらいで染みるものなの」
味卵を作る用の袋に、全ての調味料を入れたらしい次男が私に尋ねた。
「半日くらいかな。でも、日を置けばどんどん染みていくから、より美味しくなる」
「ふうん。じゃあ夕飯にぎりぎり食べられるか」
「……まあ、染みてなくてもゆで卵だから美味しいけどね」
食べ盛りだからなのか、次男はいかに早く食べられるか気になっているらしい。
鍋が沸騰したので、卵を入れて中火にしてゆでていく。
「……それにしても、いつから体調が悪かったのだろうか」
独り言のように呟くと、次男が少しだけ気まずそうな表情を浮かべたのが視界の端に写った。
「…………もしかして、昨日のことが理由じゃないよな」
「昨日? 昨日は確か日曜だったけど……日曜も部活だったのか?」
「いや、昨日は顧問の都合で休みだったから家にいた。その時、兄貴に変なことを言ったから、それが理由なのかもしれない」
「変なことって?」
尋ねてみるが、次男がそれきり口を閉ざしてしまったので、それ以上追及することをやめた。
先ほどの二階での会話の雰囲気的にも、喧嘩したわけでもないだろう。
きっと時間が解決してくれるに違いない。
そうしている間にも、湯に入れていた卵はいい具合にゆで上がっていたようだった。
ゆで卵が無事にできたところで、一度お湯を捨ててラーメンをゆでる用にもう一度お湯を入れて火にかける。隣のコンロでは、長男用に溶き卵を入れたうどんをゆでていた。
これで卵が一つ分さらに消費され、いつも家族のために食材を買い込んでいる長男も助かることだろう。
「……あのさ、俺の母さんって、どんな人だったの」
麺がゆで上がるのを待っている間に、次男がおずおずと尋ねてきた。
母さん――つまり私の妻は、次男が小さい頃に病気でこの世を去ってしまったから、次男にとっての妻の思い出は数えるほどしかない。
もしかしたら、リビングの棚の上に置かれている写真の中だけの存在になっているのかもしれない。
ただ、次男自ら妻について尋ねてくるのは始めてのことだった。
記憶の中の彼女を思い起こし、私は口を開く。
「そうだなあ……とにかく辛いものが好きな人だったよ」
「……辛いもの?」と、次男が首をかしげる。
「結婚する前は、よく激辛店に連れられて行ったが、子供ができてからは自然と行かなくなったな。まあ父さんは辛いものが苦手だから、そんなに楽しい思い出ではなかったけどな」
「……そう」
「でも、いい思い出だった。今度休みが取れた時に家族で行こうか」
「……辛いものが苦手なんじゃないの」
そう言って、次男が疑わしそうな目をこちらに向けてくる。
「この数年で平気になっているかもしれないからな」
「……俺は、そうは思わないけど」
いいアイデアかと思っていたが、次男からはあまり良い反応は得られなかった。
「もしくは、行っていない間に店側が味付けを変えたかもしれない」
「それは、あるかも。てか、めちゃくちゃ行きたいんじゃんか」
そこでようやく次男は表情を崩した。
私に似て、あまり感情を表現するのが得意ではないのだろう。
――次男にもいつか、それでも感情を表現したいと思い、誰かに自分の言葉を素直に伝えるようになれる日が来るのだろうか。
そんな日が来るといいと思いながら、私はゆで上がった麺を容器に移し替えていった。
自分達の食事とほぼ同時にできた、溶き卵を入れたうどんをお盆に載せて階段を上り、長男の部屋のドアをノックする。
返事がかぼそく聞こえた後、扉を開けると、長男は大人しくベッドで横になっていた。
「……うどんは食べられるか?」
「……ありがとう、お父さん」
声をかけると、長男がそう言って申し訳なさそうに笑う。妻に似たその笑みを見て、恋人時代に彼女と行った激辛料理を前にして「大丈夫だ」と見栄を張っていた頃を思い出した。
「いいさ、早く良くなるといいな」
お盆をテーブルに乗せて長男の頭をなでると、長男が少しだけホッとした表情を浮かべた。
長男の食事を持っていくという用事も終えたので、私はそのまま部屋を後にする。
夕方頃には、朝見た時よりも体調が回復していた長男がリビングに顔を出してくれたのでホッとした。
そうして貴重な休日の中での家族との日々は、緩やかに過ぎていった。
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