第29話 火葬後

 無事、霊柩車の中に納まった母は、そのまま火葬場へ移送されました。


 兄は大きなショックを受けつつも、長男として親戚に「じゃあ次は火葬場で」としっかり声掛けをします。


 さすがのサイコパス姉も、兄や私、そして親戚連中の「え、何が起きてるの? どうして遺体袋のまま?」という空気感に、「もしかして私、何かやらかしたのかも知れない」という意識が芽生え始めていました。


 私は呆然としつつ、とりあえず車で火葬場まで移動しました。


 漠然と「死に顔を見れば、さすがに泣くだろうな」と思っていて……その時ぐらいは、泣いても許されるだろうと。


 父や祖母の葬儀でエンエン泣く姉を見て引いた経験から、「泣くだけの理由が、自分にあるのかどうか。自分は泣いてもおかしくないだろうか」なんて、変なことを考えていました。


 自己破産する前ならまだしも、破産後はかなり冷たく、他人のように距離をとって暮らしていたものですから。


 火葬場についても、やはり遺体袋を開くことは許されませんでした。

 親戚は「エッ、マジで顔見れないの?」という驚愕で、誰も涙が出ない状況です。


 申し訳程度の焼香だけはできましたが、用意した花束も棺の上に置くよう指示されました。

 点火スイッチは姉が押して、兄は集まってくれた親戚に「ありがとう、顔も見せられなくてごめんな」と声掛けをして。


 結局お骨は3兄弟だけで拾うことになって、親戚とはそこで解散しました。


 兄は姉を怒鳴り散らすようなことはありませんでしたが、目に見えて憔悴していました。

 サイコパスだと分かっているので、下手をすると母と会話するよりも、姉と会話する方が疲れるのだそうです。


 焼き終わるまでの間、昼食をとることになりましたが――よりによって「マクドナルドに行こう」なんて言われて、余計しんどかったです。

 母が最期に私に買って来てくれたものですから、ひとつも食欲が湧かなくて。

 ……何も食べないと姉が気に病むだろうと思って、軽く食べましたけどね。


 姉はようやく「やらかしたっぽい」という意識を持ちましたが、ずっと言い訳をしていました。


 ――だって、「布団を用意してください」って言われたから、まさか顔も見れずに焼くことになるとは思わなかった……と。


 私もまんまとその発想に至っていたため、何も言えませんでしたよ。

 むしろ下手に責めて姉まで弱ると面倒なので、適当に「そうだね、思わなかったね」なんて話を合わせて。


 火葬場へ戻ったのち、車内で昼食を済ませました。斎場内はコロナもあって、飲食禁止だったのです。

 頼んだ商品が少なかった私は一番に食事を済ませて、お手洗いついでに斎場の中で焼き終わりを待つことにしました。


 重苦しい車内で兄を励ますのも、姉の言い訳を聞いているのも疲れたのです。

 私は、どちら側につくこともできませんでしたし。


 もちろん心情的には、圧倒的に兄側でした。

 しかし、私まで姉と敵対すれば泣いたり引きこもったりするのだろうなと思うと、少なくとも3人で過ごしている間は、中立で居ることしかできなかったのです。


 相変わらずのバランサー、事なかれ主義ここに極まれり。


 結局、姉と2人きりで居られないと思ったらしい兄も「俺もトイレ行く」と言って同行して、気まずい思いを抱えている姉は、「食事が済むまで入れないし、車に残る」と言いました。


 兄は限界だったのか、私と2人きりになると愚痴を漏らし始めました。


 姉が自発的に動き出すとロクなことにならない。

 どうして昨日の内にまともな説明をしてくれなかったのか、聞いていればまだ修正できた。

 母が死んでいることに気付いて「母さん起きて! どうしよう、どうしよう!」なんて泣きじゃくっていたくせに、サイコパスにも程がある。


 どうして葬式を無料で済ませて「良い」なんて思考に陥るのか。

 前日に10万円セットを頼むという話をしていたのに、どうしてそんな勝手な真似ができるのか。

 こんな葬り方、まるで俺らが虐待して殺したみたいじゃないか? 俺がフロントに立って仕切っていたのに、親戚からどう見られたと思う――なんてことも、気にしていました。


 私も、姉から「市の無料のヤツ」と聞いた時点で、兄に確認すべきだったのでしょうね。


 とにかく兄は、丸2日間母を無視したことを後悔していて、ずっと辛そうでした。

「頭が痛いって言っていたの、知っていたのに。俺が無視しなければ、もう少し耐えたのかと思うとやばい。俺、母さんからのラインも未読のままだ。死んで責められているような気がするから早く未読通知を消したいのに、今更これを開いて消すのは、なんか道理が通らん気がするから消せん」と。


 涙こそ流していませんでしたが、かなり参っていました。

 私はこの時、亡くなった母に対する哀悼の意よりも、これから罪悪感を抱えたまま生きなければならない兄の心情を想って、しんどかったです。


 正直「ざまあねえな、すぐブチギレるからじゃ」とは思っていましたけれど、それにしたって「キツイよな」と。


 私もずっと「死に顔を見れば泣くだろう」と思っていたものの、見られずに焼くことになって。

 亡くなった当日、刑事さんに回収される前に訪れていれば見られたんですけどね。


 実は兄も、後ろめたさから直視できなかったのか――母の遺体は見たけれど、顔は見ていなかったそうです。

 腕が顔を隠す位置で硬直していたため、亡くなったかどうか確認するのも、固まって動かない腕を触った時の冷たさで、「死んでるわ」と察したらしく……。


 ――根っこはHSPの私が、この辺りでようやく息をし始めました(笑)

「ウワー、兄ちゃん、マジ可哀相……自業自得かも知れないけど、今どんな気持ちなんだろ、やばー」なんて思って、私まで落ち込んで。


 母に向けるはずだった悼む気持ちのやり場がなくなってしまって、とりあえず兄と一緒に、悲しむぐらいしかできなかったのです。


 そうして母の死に涙を流すタイミングを見失ったまま、焼き終わりの時間が訪れて。


 係の方に呼ばれて移動して、姉とも合流して、ホカホカの棺だったものが目の前に運ばれました。


 黒い炭になった棺と、消えてなくなった花。

 もう何度も見たはずなのに、骨にされた母を見ると……一気に、「この人、可哀相」という同情心が込み上げました。


 死に顔が見られなかった分、骨を見てこれでもかと込み上げました。


 母の骨は、それはそれはキレイに焼かれていました。

 昔はあれだけ多くの人に囲まれていたのに、死に際は父と全く同じで独りきり。


 なんなら、父や祖母と比べるまでもなく雑な葬られ方をされて、息子には無視されて。

 せっかく親戚一同が集まっていたのに、誰にも顔を見てもらえないまま、涙も流されないまま、焼かれたのです。


 顔を覆い隠すような形で固まっていたはずの両腕は、何故か体の横に綺麗に伸びて骨になっていました。


 検死の際に真っ直ぐおろしてもらえるものなのでしょうか?

 誰がどうおろしてくれたのか分かりませんが、「まさかゴキゴキッと関節を外したとか、切り外すとかしてないよね?」なんて、ぶっ飛んだ不安まで出てきて(まず、そんな真似はされないと思います)。


 お骨は、足から頭に向かって順に骨壺へ納めます。


 順に入れていく中で、「母さんは太っていたから、よく膝が痛いって言っていたな。これ入れて、天国で「死んでも膝が痛い」なんてならないかな。腰も痛いって言っていたな、痛む場所は入れない方が良いのかな――でも、天国で腰がないと困るか」なんて考えていました。


 後から聞いた話では、この時兄も全く同じことを考えていたようです。

 サイコパス姉はたぶん、何も考えていません。係の方に言われるがまま、それぞれの骨を平等に入れただけでしょう。


 お骨を全て納め終わる頃には、もう涙を堪えるのが大変な状態でした。

 火葬までの状況も含め、卯月家で誰よりも「孤独な死に方」をしてしまった――させてしまったと思うと、同情どころか自責の念に駆られたのです。


 結局、骨壺を抱えたまま火葬場を出た瞬間に堪え切れなくなって、ポロポロ泣きました。


 エーンなんて声を上げることはありませんでした。

 ただ、「ふっw へへっ、いや、さすがに泣くわwww」とおどけながら――次々溢れてくる涙を、なかなか止めることができませんでした。


 その時、サイコパス姉が「泣いてくれてありがとう(?)」という謎過ぎる言葉を掛けながら私の頭を撫でたのですが、マジで意味が分かりませんでした。

 怖いんだよお前は。

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