第28話 考えなし
そうして火葬当日の朝、実家に行くと――兄と姉が、全く話のすり合わせをできていないことに気付きました。
まあ私も「いい加減、学べよ」という状態なんですがね……家族がまともに会話しないことは、嫌と言うほど知っていたんですから。
姉は前日の役所帰り、兄に「市役所で死亡届もらうついでに、火葬を頼んで来たから。ウチは棺の中の布団だけ用意すれば良いらしいよ」とだけ伝えていました。
それが市の制度で、「無料で」できる――という説明は、一言もしなかったそうです。
そこで兄は、「昨日ましろが言ってた、10万のヤツ依頼してくれたのか。今日俺が電話するつもりだったけど、姉さんが能動的に動くなんて、珍しいこともあるもんだな」と思ったそうです。
やはり兄も「布団を用意して」と聞いた時点で、漠然と「顔が見られる状態にしてから、火葬できる。親戚連中が見に来ても問題ない」と思い込んだのです。
いや、そもそも兄の場合は、「10万円で読経つきの、最低限ちゃんとしたヤツ」という認識だったのですから。
それがいざ当日3兄弟で集まった時、私が「〇〇市って火葬無料なのか~、無料で色々やってくれるなんて、凄いな~」と話を振れば、兄は「……は? 10万のヤツじゃろ?」となりまして。
私は私で、「エッ」となりました。
なんで私宛てのメールでは「市の制度で無料のヤツが頼めた」と説明していて、同居している兄は詳細を知らないまま誤解しているんだよと。
文章ではちゃんとしていたのに、口下手にも程があるだろうと思いました。
もちろんその場には姉も居て、兄はそこでようやく勘違いに気付きます。
しかし気付いたところで時既に遅く、姉は市に依頼してしまっていますし……兄は親戚中に「12時に警察署へ集合。そのまま火葬場へ行くけど、読経ぐらいはすると思う」と伝達済みです。
――平日だったので、親戚連中はわざわざ仕事や学校の休みまでとっている訳です。
今更どうにもできません。
兄は姉にキレる元気もなかったのか、「まあ、もう、どうしようもないわな、頼んでるんだから」と静かに頭を抱えました。
サイコパス姉は何の問題があるのか全く理解しておらず、「無料だったよ! 費用浮いてラッキーだね!」ぐらいの勢いです。兄曰く、母の遺体に泣いて縋っていたというのに……怖すぎる。
私としてもかなり複雑でしたが、まあでも「布団を用意する」のですから、なんとか形にはなるだろうと思っていました。
私は何度も世話になった仏具店へ行き、棺に入れる専用の布団を上下セット1万円で購入しました。
これは故人が愛用していたものでも問題ないそうですが、毛布など厚みのあるものだと、火葬する際に燃え残るため断られます。
――ちなみに姉は、「別に、母さんが使ってたヤツで良いよな?」と、これも無料で済ませようとしていました。モンスターにも程がある。
兄はただでさえ母に対する後ろめたさを抱えていたので、「そこをケチるのはおかしいから、ちゃんとした「仏具」を買ってくれ」と。
何せ彼は、新たにローンを組むことになったとしても、10万円のセットを頼みたかったのですから。
布団を買うついでに、「そう言えば直葬セットじゃないから、花束もないわ」と気付いて――6,000円分ぐらいと質素でしたが――購入して。
親戚も参列するので、皆で棺に花を入れてあげようと思いました。全身を囲むのは無理でも、せめて顔周りぐらいは。
母は生前シクラメンが好きで、それを用意してあげられれば良かったのですが……花束には向きませんからねえ。鉢植えごと持参するのもアレですし。
これらの買い物も最初は、姉が行くと立候補していました。
しかし兄が、「このまま姉さんだけに任せていたら、マジで取り返しのつかんことになる。ましろが同行してくれ」と要請してきました。
兄は親戚に「俺と姉とですれ違いがあって、葬儀に来ても、本当にただ焼くだけになるかも知れない」と連絡を入れるので忙しかったのです。
そうして葬儀に必要な諸々を揃えて、いざ警察署へ。
親戚は全部で20人ほど集まったでしょうか。市の職員さんも霊柩車と共に到着して、いよいよ母の遺体とご対面です。
この時点で私は、やっと父、祖母の葬儀の時との違いに気付きました。
2人の時は母がすぐさま葬儀屋に連絡して、遺体は警察ではなく葬儀屋が管理していたはず。
納棺師がしっかりと「人に見せられる状態」に、成形してくれていたはずなのです。
――母の遺体は「死にっ放しのやばい状態」なのではないかと、ここで初めて思い至りました。
警察署の裏手へ回るよう指示されて移動すると、重厚な扉が開きました。
あまり広くない室内の真ん中には、大きなテーブル。そのすぐ横には、レストランの厨房で使われているような巨大な冷蔵庫がありました。
それは、母が約2日間入れられていた冷蔵庫です。
中から出てきた母は、当然のように灰色の遺体収納袋に包まれていました。
市の職員の方が「棺に入れますから、男性の方はご遺体を持ち上げるのを手伝ってくださーい」と声掛けして、親戚連中が「あ、まだ袋のままなんだ……」と感想を漏らして。
棺に納められる遺体袋を見ながら、私は「マジかよ――いや、考えてみりゃそうだわ、当然だな」と、動揺していました。
恐らく私も、なんだかんだで母の死にショックを受けて、ずっとまともな精神状態ではなかったのでしょうね。言い訳にしかなりませんけれど。
少し考えれば、警察署に放置していた時点で、顔なんて見せられたものじゃないんです。だって死にっ放しなんですから。
どうしてそんな当然のことにさえ、思い至らなかったのかと言えば――。
そこで私は、両手で強く抱えていた布団に意識が向きました。
何も敷かれていない棺に収まった遺体袋を見て、慌てて「布団はどうすれば良いでしょうか? 用意するように言われていたのですが!」と声を上げます。
最悪、顔が見られなかったとしても――遺体袋のままだとしても、用意した布団ぐらい敷いて、かけてやりたかったのです。
市の職員の方は困惑された様子で、「布団? 布団かあ……どうします、今ここで遺体袋開いて、布団敷きます?」と言ってくださいました。
しかし刑事さんが、「いや、それは(辞めた方が良い)……」と、やんわりストップをかけました。
遺体というか、「死体」なのです。
検死するのに服だって切っているはずですから、そもそも何も身に着けていなかったのかも知れません。
結局遺体袋を開くことはできず、「じゃあ布団は足元に入れておきましょう、一緒に焼いてあげてください」で終わりました。
――もしかすると姉は、「布団を用意してください」という職員の説明を、変に受け取っていたのではないでしょうか。
別に職員さんが「無料で遺体を成形する」とか、「見られる状態にする」とか言った訳ではないのです。
「遺体袋から出した上で、布団を敷く時間がある」なんて明言した訳でもないでしょう。
ただ、「直葬とは言えご遺族の気持ちとして、布団を用意してあげるとか、お花を用意してあげるとか……」ぐらいのモノだったのではないでしょうか。
それをさも「遺体は綺麗な状態になるし、あとは布団を用意するだけ」のように受け取ったのは、姉と――姉の説明を聞いた、私たちです。
母が亡くなってからというもの、ずっと精神的にやられていた兄もまた、私と全く同じ考えでした。
――まさか、死に顔すら見ないまま終わるのか? いや、普通に考えれば当然のことだわ、葬儀屋に頼んでいないのだから……と。
もっとも兄の場合は、当日の葬儀直前まで「ちゃんとした葬儀屋を通したヤツ」と勘違いしていましたから、私などよりもっと動揺が大きかったでしょうね。
「エッ、納棺師は? 読経は?」という気持ちだったでしょうし……母の遺体の状態に思い至ったところで、「2日間も放置していて、今更死に化粧も何もないわな」なんて、いっぱいいっぱいだったに違いありません。
――もちろん姉は、布団を足元へ入れて一緒に焼くかどうかの話になった時、開口一番「どうする? まだ開けてないし、返品する?」と言いました。
そんな状況でもまだ、「要りもしないものに1万円も払って、もったいない」という意識が勝ったのでしょう。
姉のあまりのサイコパス具合に、私も兄も色々と限界でした。
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