第26話 母の異変
祖母の死後も、私は徹底的に実家の問題には関わらないようにして過ごしました。
万が一にも災厄が降りかからぬよう、一定の距離を保ち続けたのです。
断られることが分かっているからか、母は一切の金の無心を辞めました。
むしろ母には、私が数か月に一度「マクドナルド食べたいから、買って持ってきて」とお遣いを頼むことがあって(笑)
結構家が離れていたのですが、パシリついでに私の顔を見たかったのかなんなのか、母はいつも喜んでお遣いしてくれました。
我が家まで商品を運んで来た母と一言二言交わして、「ありがとう」「また来るわ」と別れるのがお決まりです。
今ならよく分かるんですけど、母は寂しかったのだと思います。
還暦を迎えたらいつの間にか無職になっていて、家の外との関わりは断絶していました。
全額支給されるわけではありませんが、年金って60歳から早期受け取りが可能なんですよね。
少額の年金で、借金を返しながら生活などできるはずがないのですが……母もまた「今まで必死に頑張ってきたから、もう良いだろう」とでも思ったんですかね。
同居して金銭搾取されている姉と兄からすれば、堪ったものではないでしょうけれど。
しかし、そうして家の外との関わりがなくなれば、まともに会話できるのは家族だけになります。
ただ、兄は話の通じにくい母との会話を嫌います。
母は典型的な女性脳というか……何か問題が起きた時に、何よりも「共感」を求めます。とにかく心に寄り添って欲しいのです。
打って変わって兄は、共感や同情よりも具体的な解決策の提示を求めます。だから、いつまで経っても会話が噛み合いません。
姉は何だかんだ言いながら、昔から母のことが大好きなのですが……散々説明した通り、根本的にサイコパスです。
すり寄りながら事あるごとに母が無職であることをなじったり(お前だって1年以上ニートしてたし、散々母に庇護されていただろうと思いますけど)、金の無心について文句を言ったり。
姉はスマホのゲームが大好きで、母が運転する車の助手席に乗っていても、スマホが手放せません。
隣で母が会話を振っても、延々と生返事――または無視。それでは母も、話し甲斐がないというものです。
時にヒステリーを起こして、まるで祖母にしていた時のように母を怒鳴り散らすこともあったそうですし……母は段々と、委縮していったのでしょうね。
話しかければ怒られるか、無視される。そういう負の経験が積み重なると、人間は段々その事柄を避けるようになります。
だから、パシリありきでも私に呼び出されると喜んだのでしょうね。
私は兄とは、マルチプレイのゲームを通じて頻繁に連絡を取り合っていて――姉とは、やはり互いの誕生日を祝う程度。
ただごく稀に、誰かの誕生日祝いついでに外食に誘うこともありました。
大体兄が奢ってくれましたが、例え私の奢りになったとしても、母姉兄の3人分奢るくらいなら、懐は痛みません。
それらは、「一応、最低限の家族孝行はしているぞ」という安心、充足感にも繋がりました。
家を出て、借金も何もなく面白おかしく暮らしているのは、その時点で私だけでしたからね。
卯月家の問題が何ひとつとして解決していないことを知りながら、1人呑気に暮らしていることに対する――無意識に近い後ろめたさみたいなものが、多少あったのだと思います。
――ある日、兄とボイスチャットをしながらゲームをしていると、母の愚痴を聞かされました。
歳をとって、かなりボケが入ってきた。同じこ話ばかり繰り返すし、以前にも増して言動に一貫性がない――と。
その頃卯月家には、車が1台しかありませんでした。
それは姉名義のもので、元々母が使っていたものは私が使っていますし……母はその後新車をレンタルリースしたのですが、当然のように支払い滞納で没収されています。
従って、姉と兄を職場へ送迎するのは、無職である母の仕事でした。
兄曰く母は時間を全く守らないし、兄の出勤直前にフラリとどこかへ出かけることもあって、そのせいで遅刻しまくっていたそうです。
そんなに不便なら兄も車を買えば――とは、母の性質と家の金銭状況を知っているから、言えませんでした。
私とて車がないと困りますから、「じゃあ、ましろの返そうか?」なんて言えませんし。
あと純粋に、「ボケが入ってきたなら、免許を返納しなければヤバイのでは?」とも思いました。
でも意識はシャンとしていますし、直前の会話の内容を忘れて繰り返すという、軽い(?)ボケです。
私の家の場所を忘れることもありませんでした。
――私が最後に母と会話したのは、今年の11月9日です。
その時もマクドナルドを買って来てくれて……コロナもあり久々に見る母は、ほんの少しだけ痩せて(元が超絶肥満です)若く見えました。
だから正直に「なんか若く見えるな」と言うと喜ばれて、「(お世辞だから)お小遣いちょうだい」とふざけて手を差し出すと、笑って手を叩かれました。
その1、2週間後、また兄とゲームをしていると、「最近、母さんが頭痛いばっかり言う。俺が金出すから病院へ行けって言っても頑なに行かんから、面倒くさい」と言ってきました。
母は昔から病院嫌いで、飲み薬の服用すら嫌がるぐらいです。
その上、国民健康保険料も3年以上滞納していたらしく――下手に病院へかかって、大金を請求されるのが怖かったのでしょうね。
……そもそも滞納しているのが悪いんですけど。
兄は「ボケも入ってるし、もうダメかも知れんな。コロッと死にそう」なんて言っていて。
元々「人は割と簡単に死ぬ」という考えの私もまた、その時既に漠然と覚悟を決めていました。
しかし、その数日後のことです。
兄は通勤前に(ごく簡易的な)健康診断で病院へ行って、母に「そのまま駐車場で待機していて」と言い含めていたそうですが――気付けば、どこかへ移動していたそうです。
――というか、聞けば2年連続でそうだったようです。
病院は職場に近いところにあったので、兄は仕方なく徒歩で――もちろん遅刻しつつ――出勤。
言いつけを守らずにどこかへ姿を消していた母は、病院へ戻った時に兄の姿がなかったため、パニックを起こしたそうです。
所在を調べるため慌てて兄の携帯に連絡したようですが、機嫌の悪い兄は全部無視したのでしょう。
もしや兄は、事故に遭ったのではないか――なんて思い込んだ母は、パニックを起こしたまま兄の職場へ突撃するという愚行を犯します。
母が具体的にどんな様子だったかは聞いていませんが、とにかく兄は、大恥をかかされたそうです。
「兄がどこにも居ない」とパニック状態の母を見た職場の人間は、全員作業工程をストップ。
恐らく兄はいつものように、母を正論パンチでぶん殴ったのでしょうね。
その日すぐさま私に愚痴メールを送って来た兄は、「職場の人間に「もっと母親を大事にした方が良い」って言われた。俺は何も知らん人間にそんなことを言われるのが、一番嫌いだ。こっちが母親のことでどれだけ苦労しているかも知らないくせに、「一般家庭」の考えと価値観を押し付けてくるな」と、相当キレていました。
――私とて、同じ目に遭えば相当嫌な思いをしたでしょうね。
こちとら散々、金銭搾取の虐待されてるんですけど? ていうかそもそも、母親が言いつけ守らずに失踪したから、こんなことになっているんですけど? 自分、何か間違ったことしていますか? ――と。
しかし同時に、「私なら」そこまで事を荒立てなかったなとも思いました。
いくら腹を立てていようと、母には事前に「姿が見えなかったから、もう歩きで職場に行くわ。待っててって言ったのにどこ行ったのか知らんけど、とりあえず帰って来なくて良いから」と嫌味メールを送ったでしょう。
電話がかかってくれば出て、そこでも嫌味を伝えたでしょう。
もし職場に突撃されたとしても、人前で声を荒らげて正論パンチを浴びせたりしなかったでしょう。
……家に帰ってからは、何を言うか分かりませんけれど(笑)
しかし兄は我慢できずに――いや、今まで散々我慢してきたせいでしょうか――ブチギレました。
ほんの数日前には、「頭が痛いって言ってる。病院に行けって言っても聞かんから困るわ」と心配していたのに。
その日をキッカケに、兄は丸2日間、母を無視し続けたそうです。直接の会話はもちろん、メールすら開かず。
――そうして11月27日。
母は兄に無視されたまま、父と同様、自宅の布団の中で亡くなりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます