第23話 父の死に顔

 かくして兄と姉を連れ出すことに成功した私は、車の中で散々愚痴を聞かされました。

 2人の気が済むまでウンウン頷いて、やがて落ち着いた頃に「まあでも、母さんの「考えなし」は今に始まったことじゃないじゃろ?」と。


 いちいち腹を立てたって、上手く話が通じないんだから仕方がありません。

 済んだことを指摘したところで、今後に活かされる訳でなし。

 会話が停滞するのも困るから、無駄に怒って時間を割くのはやめないか――と。


 そもそもこの時点で既に還暦間近だったのですから、今更考え方や行動を改善できるはずもないのです。


 まず、父を失って泣いているのですから――いくら母が悪かったからと言っても――わざわざ追い打ちをかける必要もないでしょう。

 通夜を終える頃には、見るからに憔悴していましたし。


「自分で地域放送を頼んでおいて、「こんなに人が集まるとは思わなかった」なんていう迂闊さが信じられない」

「何の根拠があって、身内と限られた人しか来ないと断言したのか」

「なんの準備も必要ないと言ったくせに、話が全く違う」

「土壇場になって喪主までなすってきやがった」

「こちらは建設的な話をしようと言っているだけなのに、「もういい」なんてヒステリーを起こして話にならない」


 ――全部、ド正論だと思います。

 でもそんな正論ぶつけ続ける行為は、両足首グネって身動きが取れない人に向かって、「オイ、いつまで倒れてんだよ! これ以上待たせんじゃねえよ!」と、手を差し出すことなく怒鳴りつけるぐらい非道な行いですよ。


 母は余裕がないのです。

 例え余裕があったところで、元々話が通じにくいんですから――「分かれよ!」じゃなくて、こちらが折れて寄り添わないとダメなんです。


 そりゃあ、分からせたくなる気持ちは理解できますけどね(笑)


 父が死んでしまったからこそ、私はこの時、早くも「母の死に際」を気にしていたように思います。

 人の死を身近に感じたため、今まで以上に「死に際」「有終の美」を考えるようになりました。


 父は自宅の布団の中で亡くなりました。その時間、母と兄は隣の部屋に居たそうです。

 きっといつもと変わらぬ日常の中で、ひっそりと息を引き取ったのでしょう。


 ――しかし、父が事切れていることに家族が気付いたのは、死後4時間以上経った頃です。

 家族と同居していたにも関わらず……私は「まるで誰にも気付かれずに孤独死を迎えたようで、憐れな人だな」と思いました。


 朝起きて来なくても何とも思われなくて、お昼を大幅に過ぎてようやく「ちょっと、ご飯どうすんの!? 食べるの、食べないの!?」と呼びに行かれたのです。


 死ぬ時は誰だって孤独とは言いますが――同居していて、それだけの時間顔を合わせずとも、何とも思われないような関係。


 母は、父の毛嫌いが極まったのか、必要最低限の話しかしなかったそうです。

 しかも耳が遠くなって大声じゃないと聞き取れないからと、いつも喧嘩腰で。


 何やら、寂しい終わり方だなと。


 最期の瞬間、父はどんな気持ちだったのでしょうか。

 何も思わずスーッと意識を失ったのか、苦しみや恐怖を感じながらも、助けを呼べないまま終わったのか……寂しかったのか。


 正直私の両親は、とんでもねえクズです。

 ただ、クズならどんな死に方をしても良いとは思えませんでした。


 例え大勢の人に嫌われていようとも、父には「でも、家族には大切にされていた」と勘違いしたまま、安心して死んで欲しかったです。

 腹の底では何を考えていたって良いんですよ、せめて表面上だけでも仲睦まじかったら……嘘でも良いから、安らかに眠って欲しかったなあと。


 家から逃げ出して、悠々自適に暮らしていたヤツが言えたことではありませんけどね(笑)

 私にできる孝行なんてものは、その程度の哀悼の意を示すことぐらいでした。


 ――買い出しを終えたのち、飼い猫の世話があるという兄は自宅へ送りました。

 そうしてお茶菓子と姉と一緒に斎場へ戻れば、母も1人になったことで落ち着いたのか、随分とスッキリした顔をしていて。


 姉も車内で散々愚痴って落ち着いたのか、あれだけ詰め寄っていた母の頭を、撫でるぐらいの余裕を取り戻していました。


 ……正直、余計サイコパスに見えるんですけどね。姉は本当にそういう面が目立ちます。

 ほんの少し前にヒスりながら怒鳴り散らしていた家族に、数分後には平気で好意的な態度で擦り寄る。


 謝罪もなしに当然のように擦り寄るのが、本気で怖い(笑)

 自分にとって都合の悪いことは全部、記憶喪失にでもなるんですか? という感じで。


 ――私はひとまず、情け無用の正論パンチマン(兄)も居ないことだし、母と姉の2人なら一緒にしておいても平気だろうと判断しました。


 そうして、父の遺体が安置された部屋へ。

 新しい線香を1本挿して、火を付けて――そこでようやく、棺桶の顔部分の小窓を開きました。


 板ガラスの向こうで眠る父の顔を見た感想は、不謹慎なことに「こんな顔だったっけ?」でした。


 加齢もあるのでしょうが皺くちゃで、病気がちだったから痩せ細っていて。

 いつも短く刈り込んでいた髭は長く伸ばされていて、まるで仙人のよう。


 いざ父の死に顔を見ても、やはり涙が出ませんでした。

 悲しいとも、もっと孝行すれば良かったとも、長生きして欲しかったとも思えずに。


 そんな冷徹な己に誰よりも引いて、なんとも思わないことに悲しくなりました。


 その日1日、散々「係の人みたいじゃん」「全然泣かないじゃん」と言われました。

 私は泣いていないのに職場の人たちは泣いてくれて、好きな人は「父親をちゃんと送ってやれ」と叱ってくれて。


 改めて精神の異常さが浮き彫りになったというか、「普通になりたい」と。

 しかし、やっぱり欠けたモノは二度と取り戻せないんだなあと強く実感しました。

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