第14話 気付き

 その時、母が私の言葉を信じたかどうかは分かりません。

 しかし「そうか、そうよな。無理言ってごめんな」と、大人しく引き下がってくれました。


 そうして生まれて初めて母に反抗、嘘をついた私は、「えっ、何も起きないじゃん」と衝撃を受けます。


 母は自死しませんし、泣きませんし――いや、断った時に相当しんどい顔はされましたが――ヒステリーも起こしません。


 そこで私はようやく、ほんの少しだけ要領が良くなりました。

 嫌な時は「もう今月お金ない」と言えば回避できる。限度額を馬鹿正直に伝えていなくて、本当に助かった。なんなら毎月の給料も、少なめに申告すべきでは――と(笑)


 無い袖は振れないのですから、「ない」と言われれば母だって諦めるしかないのです。

 そんな簡単なことに気付くまでに、私は5、6年かかりました。誰にも相談できずに、孤軍奮闘することを選んだせいです。


 中学生時代に、仲の良い友人を軒並み失った経験。そして同世代とは違う家庭環境で育ったことがトラウマになっていて、私は社会に出ても、あまり深い仲の友人をつくれずにいました。


 当時、こんな異常な家庭について口外するのは憚られましたし……私まで頭がおかしいとか、自分の生き方を否定されるのが怖かったのです。

 みんな表面上それなりに仲良くしてくれるんだから、それで十分、平穏じゃないかと思って。


 しかし遊園地で働く内に、私のために涙を流すぐらい親身になってくれる先輩が、複数できました。

 ――というのも、この頃の私は「えっ、ましろ鶏ガラじゃん(笑)」と言われるほど痩せ細っておりまして。


 さすがに「この子ちょっとヤバイのでは? 何か問題があるのでは?」と見て分かったようです。

 鎖骨の下の――所謂デコルテですかね。ちょっとしたミイラぐらい骨が浮いてましたから。


 理由はまあ、経済難なんですけど……その上、私は長時間労働ばかりしていたので、朝から晩まで家に居なかったのです。


 朝はギリギリまで寝たくて朝食抜き、お金がないから昼食が買えず、唯一夕食――というか、夜食だけは家で食べていましたが……。

 卯月家の人々、当時ニートまみれだったくせに食い意地が半端じゃなくて(笑)


 そもそも食材を購入しているのも私なのに、「ましろのご飯を残さなきゃ」という意識が欠如している者が、5人中3人ぐらい居たんですね。痴呆で食べボケしている人もいましたし。


 お陰で毎晩毎晩、残飯みたいなモノばかり口にしていて――肉じゃがの「じゃが」と「残り汁」とか、肉野菜炒めの「野菜」と「肉の風味が残ったタレ」とか(笑)

 とにかく肉類は口にできませんでした。たまに調子に乗ってお菓子を買えば、働いている間に奪われてましたし。


 兄が「ましろに残せよ」「ソレましろのじゃねえのか?」と声を掛けていたそうですが、ダメだったみたいですねえ。みんなして生き汚い。


 一緒に働いている先輩方は、「どうして日に日に痩せるんだ」と心配になったそうです。

 ただでさえ体を動かす仕事でしたし、頻繁に重い着ぐるみに入って踊ってましたし(笑)、毎日の消費カロリーが半端じゃなくて。


 摂取カロリーが少なければ、どんどん痩せて引き締まります。当時の体脂肪率は脅威の7%でした。女性でこれは、さすがに……うん……。

(ちなみに今の体脂肪率は口が裂けても言えません。ま、貧しかった頃の反動が……! 反動なんです! 全部反動のヤツが悪いんです、誰かヤツを逮捕してください)


 私は「いやあ、食べ物を買うお金がなくて」と笑って濁しましたが、そもそも一緒に働いているんですから――私の稼ぎがどれくらいかなんてことは、みんな知っている訳です。


 かえって「何があれば、この稼ぎで食べ物が買えなくなるんだ」とツッコまれて、段々と面倒くさくなった私は全て吐露します。

 すると先輩方は「ましろじゃなくて家族がおかしい」「どうしてそんな目に」「ご飯を食べさせてやる」と泣いて同情してくれました。


 口だけでなく有言実行で、仕事の休憩中は必ず誰かが昼食を奢ってくれて、仕事終わりには「オーイみんなで焼肉行くぞー」と外食に連れて行ってくれて。私の外食代は、サラッと他の全員で割り勘してくれていました。


 いまだに感謝ですねえ……あの遊園地、良いヤンキーと良いギャルばかり居ました(笑)

 詳細なことまで話していたのは2、3人くらいで、あとの人は「ましろ、親に虐待されてるっぽい」ぐらいの認識でした。


 最初「虐待」なんて強い言葉を聞いた時には耳を疑いましたが、言われてみれば虐待の一種だったんですよね。そんなことも、人に言われるまで分かりませんでした。


 よく話す2、3人とは本当に深い仲になりまして……よく遊びに連れて行ってもらいましたし、愚痴も聞いてくれました。


 私よりも私のことを考えてくださって、「どうすれば親から逃げられるのか」「どうすれば家を出られるのか」と考えてくれて。


 そういう優しい人たちと話すようになってからは、「ああ、逃げても良いんだ」「私が居なくなっても、家族は死なずに生き続けるんだ」と思うようになります。


 ブラック企業に勤めている人にも居ますよね、「自分が辞めたら会社が回らなくなる!」という義務感に囚われて、最終的に限界を超えて自殺する人。

 会社が回るとか回らないとか、関係ないんですよ。だってあなた、その会社の「社長」か何かですか? 辞めると、あなたは負債を抱えるんですか?


 自分の他にも頑張っている人が居るから逃げられないとか、関係ないんですよ。

 自分は自分、他人は他人なんです。

 でも自分1人だけ逃げて、会社に取り残された他の社員が自殺でもしたら、後味が悪いですよね。

 ――とは言え、全部は守れないんですよ。あなたはあなたの命だけ守ってください。


 だって、じゃあ、あなたの命はどこかの誰かが守ってくれるんですか?

 もう少し自分優先で行きましょう、他人に対する共感性が高すぎるのも問題です。




 ――こうして、ほんの少しだけ勇気を手に入れたましろでしたが、結局、なかなか家から逃げ出せずに時が過ぎます。


 異常さや間違いを理解したところで、すぐに「義務」を放り出せなかったのです。

 そもそも私以外では母しか働いていないのに、生活できるはずがないんですよ。


 周りにどれだけ「例え何が起きたとしても、ましろは悪くない。誰かが死んでもそれは自業自得で、ましろのせいじゃない」と励まされても、無理でした。


 だって、「ブラック企業」じゃなくて「家族」なんです。

 当時まだ20歳そこそこで、さすがに「例え誰かが自殺しても関係ないね」なんて思えませんでした。

「死んだ」と連絡が来て、葬儀だって呼ばれる訳でしょう? 耐えられるはずがありません、明らかに私が逃げたせいで死んでいるんですから。


 すっかり失くしたと思っていましたが、この時まだしっかり「情」が残っていたんですね。


 家が貧乏になる前までは、散々可愛がられて来たんです。

 その頃に感じた恩義が知らずの内に膨らんでいて、「どこまで尽くせば、受けた恩を返し終わるのか? どこまで誠意を示せば、逃げても許されるのか?」そんなことばかり考えるようになります。

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