第11話 仮面家族①

 この頃の卯月家は、本当に最悪でした。


 訳の分からない借金をこさえた母。

 働かない姉と兄、そして父。

 祖母は借金があろうがなかろうが、相変わらず人に金品を配っていました。

 あくまでも「自分の年金の範囲内で、好きにさせてもらう」という感じだったのかな、と。


 ただでさえ貧しい一家の家族仲は、冷え込んでいました。


 まず母の借金については、兄姉が頻繁に「なんで!」とキレていたような気がします。

 父が家族に相談せずに無職になったことについては、誰もが「頭おかしい」と口を揃えていました。


 マイペースな祖母のことも、みんな「状況が分かってない、自己中心的すぎる」と。

 働かない兄と姉、そして父については、母と祖母が相当苛立っていました。

 家族から冤罪をかけられた姉は、とんでもない人間不信に陥りました。


 誰かが誰かのことを嫌っていたのです。いや、全員が己以外を嫌っていた?

 三つ巴どころか、なに巴になるのでしょうか? (笑)


 そして養育費振り込みマンの兄は、貯金がなくなると私に「貸して欲しい」と言い始めます。

 親として払わなきゃいけないものだという認識だったので、私は死に物狂いで甥の養育費を捻出して、貸していました。(ちなみに兄は貸したお金、後で全額返してくれました)

 月2万はいかなかったので、「そのくらいなら安いモノだ」と思うほど。


 また今までとは違う意味で、金銭感覚が狂っていたのでしょうね。


 一時期、兄はネットカフェのパソコンで仕事探しをすると言って、通っていました。

 この頃、家にあったパソコンは売却済み。携帯は頻繁に使用不能になるので、あってないようなモノだったのです。


 あまり実家に居たくない、というのもあったのでしょう。そこで夜を明かすことも多かったと思います。――そもそもネカフェ代も私のお金なんですけどね!

 夜ネカフェまで送って、朝迎えに行く。その送迎は、父母がしていたのです。


 その頃私も原チャリを売却しており、「無職で手が空いてるから」と父に仕事場までの送迎を頼んでいました。貧乏ですから、車も1台しかなかったんです。


 しかしある日の朝。ネカフェまで迎えに行ったのに――父母曰く――兄がなかなか出てこなかったのだそうです。

 父母は、「今日はよりによって、ましろの送迎がある。このまま兄が出てこないと、ましろが遅刻するかも」と焦りました。


 特に父はイライラせかせかしやすい性分で、集合時間の1時間前には現地に到着したがるような人です。


 だから、本来そこまで焦る必要はなかったのですが――元々兄が指定していた迎えの時間よりも、30分以上早かったらしいですから――「ましろの送迎があるんだから、さっさと呼び出して帰ろう!」と苛立ち、母を焚きつけました。


 携帯は使えないので、母はネカフェの店員に直接「今日は時間がないから、すぐ出てくるように伝えて欲しい」と頼みます。


 そうして父母と兄が慌ただしく帰って来たものの、私はまだ夢の中でした。それぐらい無駄に、兄を急かしたのです。


 ――その日私は、母の部屋から響いた「ふざけんじゃねえ、ましろに謝れよ!!」という兄の怒声で跳び起きました。

 尋常ではない兄の様子に、私は寝ぼけたまま母の部屋に飛び込みます。


 すると中には、正座して縮こまった母と、その母を怒鳴り散らす兄の姿。

 あと「まあ、落ち着けや……」と適当な声掛けをしている父の姿がありました。


 当時兄が通っていたネカフェって、基本的に飲食物の持ち込みが一切禁止だったんですよね。ガムひとつでも持ち込んだら、罰金で2万円取られるんです。今もかな?


 兄はその日、ガムを噛んでいたそうです。更に、机の上にも投げていたと。


 普段はしっかり隠して、ゴミも持ち帰っていたらしいんですけど……迎えの時間までまだ30分以上あるし、普通店員が個室の中まで巡回することはありません。

 完全に油断していたところに、兄はまさかの呼び出しを食らったのです。


 ――で、店員にガム噛んでるのが(慌てて飲み込んでも、甘い匂いでアウト)バレて、私が養育費として渡していた2万が罰金で飛びました。


 まあそもそも悪いのは、利用規則違反した兄ですね。


 とは言え、母が店員に呼び出しを頼まなければ、こんなバカみたいな罰金は払わずに済んだはず。

 兄としては「なんで迎えの時間指定してて、それを過ぎた訳でもないのに呼び出しに来るんだよ。そもそも時間ギリギリだったなら、昨晩の内に訂正しておいてくれや」という怒りが収まらなかったようです。


 ――まあまあまあ、確かに。父母が前もって「その時間だとましろの送迎がギリギリだから、1時間早くても良い?」と言えば済んだでしょうね。

 送迎なんて毎日のことで、私の仕事が当日に入った訳でもありません。

 遅刻するなんて言ったって、肝心の私はまだ寝ていましたし。


 早く兄を呼び出しに行けと焚きつけた父は、「そもそも自分が悪かったから」と母を庇うことなく、ただただ「母さんも悪気なかった、落ち着け、そんな怒るなや」と声掛けして、兄の神経を逆撫でするばかり。


「悪気ねえとか関係ないから、今すぐましろに2万円返せ! 俺のために養育費払ってくれてんのに、こんなバカみたいな理由で無駄にして、何考えてんだ! 謝れ!」とキレ散らかした兄は、その辺の家具家電をブンブン放り投げて――完全に委縮した母は、一言も発することなくメソメソ泣いていました。


 まあ2万返せも謝れも何も、色々と間違っているような気がしますけどね。なんか私のために怒ってたみたいですけど、もう何が正解なのかも分かりません。


 ――それはそうと卯月家のバランサーましろは、「これは相当まずい」と焦ります。


 とりあえず一切役に立たなそうな父は、すぐさま「ここはましろに任せて」と言って退場させました。父は同じ言葉だけ繰り返す壊れたオーディオ状態で、兄の怒りの火に油しか注いでなかったのです。


 そして職場には体調不良だと嘘をついて、当日欠勤しました。私が少しでも目を離したら誰かが死ぬか、殺されるか、家に放火されると思って(笑)


 それぐらい兄の怒り方は凄まじかったです。初めて見る兄の姿にビビり散らかして、私の手足もブルブル震えていました。


 私は兄を部屋から連れ出して、「頼むから落ち着いてくれ」「ましろがまた2万稼げばいいだけの話だ」「済んだことを怒っても仕方がない、金は返ってこない」「母さんはマジで心が弱いから、お前の言葉で簡単に死ぬかも知れない」「それはさすがに後味が悪いだろう、自分のためにも冷静になれ」と宥めました。


 兄は簡単には納得できない様子でしたが、しかし他でもない大黒柱が「私が稼ぐから、もうそれで良いだろ」と言えば、それ以上は何も言えなかったのでしょう。


 それからしばらく、兄は母のことを無視していましたが――しかし罵声を浴びせたり暴力を振るったりということは、ありませんでした。


 その後1人で母の部屋に戻ると、予想はできていましたが開口一番「こんなお母さんで、本当にごめんなさい」と泣きつかれます。


 母はこの騒ぎ以前に、ちょっとした交通事故に巻き込まれていて。

 その話を持ち出して、「お母さんなんて、あの時に死んでおけば良かったのに。ましろは頑張っているのに、迷惑ばかりかけてる。死にたい、ごめんなさい」としゃくり上げました。


 ――私はただ母を抱き締めて「あー……ましろは大丈夫だから」と慰めました。


 実際は何ひとつ大丈夫ではありませんし、母を慰めながら「私、今、「何」をしているんだろうなー?」と不思議に思っていたぐらいです。


 そもそも兄が真っ当に働いていれば良かっただけの話で、ガムを噛んでいなければ何も起こらなかったのに。

 父母も、イライラせず兄の指定した時間まで大人しく待てば良かっただけなのに。


 私が遅刻すると思って――なんて、父母はやたらと私を引き合いに出して免罪符にしようとしていました。でも私は「急げ」なんて、一言も言っていません。余裕で寝てました。


 卯月家の人間は私を含め、しばしば「え、なんで急にそんなことしようと思ったの? いつもと違くない?」という言動を起こしがちです。

 いつものルーティーンを繰り返していれば何の問題もないのに、突然「このままじゃダメだ! 今すぐ行動に移そう!」と天の啓示でも受けたかのように。


 落ち着いてから理由や言い訳を聞いても、結局「……なんでそうなったの?」としかなりません。脳のシグナル異常なんでしょうかね? 謎過ぎる。


 こちとら安眠妨害されて、丸一日分の収入を失って、こんな何の得にもならない家族喧嘩の仲裁なんてさせられて。


 すぐ死をチラつかせてくる母も、そんな弱い母に向かって好き放題暴言を浴びせる兄も、今回の諸悪の根源のくせに「自分は悪くありませんけど」みたいな雰囲気だった父も、全部面倒くさかったです。


 この時私は何故か、兄がひとつも臆せず母へ暴言、正論を吐きまくることに、一番苛立っていました。

 どうしたって、私には真似できないことだったからです。


 こっちは必死で我慢しているのに、兄はいとも簡単に母を責められて――後先考えずに気楽で良いなと。

 最終的に誰がシワ寄せを食らうかと言えば、「今こうして母を慰めている自分だぞ」なんて思っていました。


 なんだかもう、完全に精神異常者だったと思います。怒るポイントがおかしいですよね。

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