第10話 社会進出

 パン屋はヘルニアで挫折しましたが、遊園地のバイトは割と楽しかったです。

 拘束時間12時間越えが普通でしたが、時給制だったので12時間を超える残業も苦ではありませんでした。


 何よりも働く先輩たちが面白くて……土地柄スタッフも客もヤンキーが多かったんですけど、明るいヤンキーばかりだったので、私のことも難なく受け入れてくれました。


 仕事の合間に着ぐるみの中の人になって、ショーも出たことがありますよ! レアバイトかも知れませんね。


 そしてこの職場では、私の幼少期に培われたあざとさがこれでもかと役立った気がします。

 どうも私は――まるで犬のように――群れのリーダーを嗅ぎつける能力が高かったようです(自慢できません)。


 誰に媚びるべきか、誰の指示を優先すれば心地よく働けるか。

 そんなことを考えながら楽しく(?)稼いで、稼いだお金は家に入れていました。

 毎月の給料の8~9割は家に入れてましたかね。


 私が高校を中退する云々の時に、母もよほど余裕がなかったのか、ようやく父に借金を説明したそうです。

 父はしばらく荒れていたような気がしますが……正直言ってこの辺りの私の記憶は、ストレスのせいかところどころ抜け落ちています。


 とにかく、もう借金のことを家族に黙っている必要はありません。

 むしろ露呈したからこそ、家族みんなで頑張ろうじゃないか――そんな気持ちで働いていたと思います。


 その頃ましろ兄はデキ婚しており、実家を出て自分の家庭を持っていました。

 ましろ姉は会社を転々としていましたが、ずっと実家に居ました。

 転職する理由はいつも虐めです――ヒソヒソ陰口で中退した私が、言えたことではありませんけれど(笑)


 更に借金がバレたので、ついに母も外で働くようになりました。

 そこで新たに作った友人たちは、母の借金について知りません。

 だからいつも、職場の友人と話すのが楽しいと言っていましたね……いつまで経っても借金を返さないせいで、色んな人に縁を切られていましたから。


 きっと今まで寂しかったのでしょう。

 ――思考回路どうなってんの? って感じですけど。


 そして、それから2、3年が経った頃……父が56歳の時です。

 父は突然、「仕事を辞めてきた」と言いました。


 なんと父は誰にも相談せずに、自己都合で退職したらしいのです。

「子供は全員学校を出たし、今まで散々我慢して働いて来たんだから、俺はもう良いだろ。ましろが高校を出たら辞めるって、最初から決めていた」と主張しました。


 私は「もう良いだろ」の意味が分かりませんでした。母も激怒していたか号泣していたか、そのどちらかだったと思います。


 年金が全額支給される65歳まで、あと9年もあるのに――再就職する気は毛ほどもありません。借金の存在だって告白したのに、一体何を考えているのか。


 しかも何十年と務めてきた会社なのに、聞けば「退職金なんてない」と言うのです。

(これは、後々嘘だと発覚しました。ただ退職金の数百万円は、父1人がキレイに使い切ってから死んだみたいです。どうしてこの家、サイコパスしか居ないのかな?)


 その頃、姉は虐めが原因で家に引きこもっていて、無職の状態でした。

 そして卯月家きってのパリピ兄は、母が原因の一端となって離婚。こちらも無職になり、実家に帰って来ていました。


 離婚の原因というのは決して1つではないのですが……少なくとも夫婦仲に深刻なヒビを入れたのは、ウチの母です。

 皆さんお察しの通り、義娘になった兄嫁に、しつこく金の無心をしたからです。


 帰って来た兄は、相当疲れていました。

 まあ嫁の方も若干ビッチ(失礼)だったので、嫁に対する未練はなさそうでしたが……可愛い息子と離れ離れになって、しかも喧嘩別れみたいな感じだったので、二度と会えなくなって。


 ただただ養育費を振り込むマンになってしまったのです。疲労困憊で無職になっているのに。


 父無職、姉無職、兄無職、祖母年金暮らし、母パート、ましろフルタイム社畜。

 かくして、私は卯月家の大黒柱になったのです。――末っ子なのになあ……。


 私が毎月給料の8~9割を家に入れていても、父の給与がゼロになったのですから、首が回りません。


 ライフラインは基本的にひと月分滞納でギリギリの生活。携帯は毎月15日ぐらいから月末まで、料金滞納で使用不能。

 その上、母がどこかのローン会社から借りている借金の返済も必要で……支払いがひとつも間に合いません。


 ――父も母も、平気で私に嘘をつきました。


「ましろが金を貸してくれないと、電気が止まる」とか「ガス代が払えないと風呂も入れないよ」とか。

 それは仕事に行けなくなるから勘弁してくれとお金を渡すんですが、毎度全く違う用途に使われていたようです。


 お金を渡すと、父母は嬉々として夜にお出かけしていました。そして24時前に帰宅する。

 ――確実に、23時閉店のパチスロでしょうねえ。


 ただでさえ給料ほぼ全額渡しているのに、それでもまだ「貸してくれ」と言われていました。

 ちなみに彼らの「貸してくれ」は「ちょうだい」ですから、返金されたことは一度もありません。


 それでも私は、躍起になって頑張りました。

 だってもう私が最後の砦みたいなもんですから、折れたら家が終わると思っていたのです。


 ――私が少しでも文句を言えば、母は自殺するだろうとビビっていましたし。


 この頃は自室でよく、虚空を見つめながらリストカットしていたと思います。

 ストレスが溜まり過ぎると涙も出なくなって、ただボーッとしながら。


 あとこれも自傷らしいんですけど、バカみたいにピアス開けてました。片耳に13個ぐらい付いていたような気がします。


 お金がないのに心療内科へ行って、向精神薬を処方されたこともありますが――どうも私は薬が合わなかったようで、強烈な眠気に襲われるため、服用を継続できませんでした。


 錠剤を半分に割っても、4分の1に割ってもダメだったんですよ。効果てきめんすぎる(笑)


 兄に「ましろ1人じゃ無理、働いて助けて」と懇願したこともあります。

 しかし、彼は彼で精神的にズタズタになっていたので、重い腰をあげてもらえませんでした。


 姉もますます引きこもっていて、たぶんもう「生活できてるから別に良いじゃん」ぐらいのものだったんでしょう。

「もう俺は良いだろ」と言った父といい、たぶん誰もが思っていたんです。「自分は今まで散々我慢してきたんだから、もう良いだろ」と。


 ――更にそれから少し経つと、家の中で窃盗事件が起きました。……家の中でですよ(笑)


 いきなり母が「お母さんの財布から5万円なくなった! これじゃあ予定していた支払いができない!」と半狂乱になってしまって。


 今なら言い切れるんですけれど、完全に嘘の自作自演でした。ただ私から金を借りるための理由を、無理やり作っただけに過ぎません。


 母はただATMからお金を引き出したかっただけだったのに、嘘を信じた父がマジになりまして。

 我が家で犯人捜しの推理が始まったんですよ。


 面倒なことになったと思ったのか、母は慌てて「たぶん、職場でなくなったんだと思う! 警察にも相談する!」と犯人捜しを辞めさせようとしました。

 しかし父は、あろうことか「姉が怪しい!」と言い始めたのです。


「姉はずっと家に居るし、よく母の鞄を漁っているところを見る」と大声で主張して。

 自室に引きこもっていた耳の悪い姉にもしっかり聞こえたらしく、もう卯月家は収拾がつかなくなりました。


 部屋から出てきた姉は「私じゃない、酷い。母さんの鞄を漁ってたって、母さんに言われて携帯を探していただけなのに」と号泣しました。

 学校や職場だけなく、家庭でも爪弾きにされたら……しかも冤罪です。そりゃあ堪りませんよね。


 父もまさか、本人の耳に届くとは思っていなかったのか、途端に気まずげに意気消沈しました。

 嘘をついただけの諸悪の根源、母もまた気まずげで。

 兄と祖母は我関せず、そして大号泣の姉。


 私はストレスが限界突破して、大事に貯金していた5万円を母に渡しました。

 ――この頃さすがに宗教から脱しかけていて、家を出ようとコソコソ画策していたのです。


「これあげるから、もうやめて! 5万あれば支払いできるんでしょ! 職場で盗まれたんなら、姉ちゃんは関係ないよね! 父さんも謝って!」と。

 本当に職場で盗まれたにしろ「設定」にしろそれで良いけど、もう二度と同じ真似をすんなよと思いました。


 バレなきゃ良いと思ってたんでしょうが、寒い一芝居打つまでには、正直に「金くれ」と言って欲しかった。


 姉はそこから半年以上、私以外の家族と口を聞かなくなりました。もちろん、そんな状態で外へ働きに出るなんて不可能です。


 その頃から、私のバランサー(笑)としての役割が更なる重みを増した気がします。

 血の繋がった家族同士が一つ屋根の下で会話するのに、誰もが私を窓口にして仲介を頼むのですから。


 あれだけバランスを崩さないように、平穏に暮らしたいと思っていた家が――気付けば毎日ヒリヒリするような、取り返しがつかないくらい居心地の悪い空間になりました。

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