第9話 高校中退

 そんなこんなで中学を卒業して、高校に入学しました。

 選んだのは商業高校で、就職に使えそうな簿記、パソコン系の資格を取得しまくろうと考えた結果です。


 元は「パンが好きだから、パン屋さんになりたい!」と思っていたのですが――福利厚生、給与、ボーナスや退職金まで考慮して、「公務員になって堅実に稼ぐ! そして家の借金をなんとかする!」という考えに染まっていました。


「世間体が悪い」という父に半ば無理やり進学させられたものの、入ったからには良い成績をとろうと勉学に励みました。

 最初の試験では、学年250人中20位ぐらいの成績だったでしょうか。悲しくなるほど数学ができなかった割には、善処した方です(笑)


 しかし、入学したところで家計の状況が変わることはありません。

 高校の制服代すら母はツケにしていました。教材代から授業から、何から何まで、ありとあらゆる料金を滞納していたのです。


 高校に入っても担任に頻繁に呼び出され、私は「だから中卒で働きたかったのに……」と不貞腐れてさえいました。


 更に、これは完全に自業自得なのですが――。

 ファッションヤンキーの兄を見て育ったため、「高校生は髪を脱色していい生き物」と勘違いしておりました。

 中学卒業とともに、調子に乗って頭をオレンジ色にしていたんですね。


 ビジュアル系が好きでしてね……黒髪のもさい頭でライブに行くのが嫌だったんです。「お前、悪目立ち禁止はどうした」と思われるでしょうが、高校には兄みたいなのがいっぱい居ると信じて疑わなかったので、まさかこんなに浮くとは思っていませんでした。


 しかも入学したのは商業高校ですから、校則が厳しいに決まっています。

 髪染めした者は、卒業まで一生プリン頭で過ごせという校則だったんですよ。黒染めも禁止、黒い地毛が伸びるまで放置しろと。


 何かとアホですぐ調子に乗る私ですが、根は割と真面目です。ヤンキーとは無縁の。

 それなのに頭がオレンジだからと、先輩含め高校中のヤンキーが一堂に会する頭髪検査に、呼ばれまくるんですね。


 当然、他のヤンキーに「なんかちょっと、大人しそうなヤツが居るぞ!?」と目を付けられます。


 廊下ですれ違いざま、ヤンキーの先輩に「ねえ地毛じゃないよね? あの子生意気じゃない……?」と、こちらが「なんですか」と反応しづらい声量でヒソヒソ陰口を叩かれるのは、日常茶飯事でした(笑)


 これが「群れる女性」の嫌なところです。

 面と向かって喧嘩を売ってくれる人はほとんど居ませんけど、複数人で遠巻きに見ながら、聞こえるか聞こえないかのヒソヒソ声で陰口を叩きます。

 1対1だったら、頑なに目を合わせようとしないのに。


「なんですか」と反応したら最後、「……は!? 何も言ってないけど!? こっち見んなよ!」と逆切れ威嚇されます。こんなのが居るの、田舎だけなんですかねえ。


 その上、高校で新たに作った友人たちまで、先輩に呼び出されるようになりました。

 どうも「あいつはどこ中だ」「1年であんな頭して、ヤベー人の妹か」みたいな探りだったらしくて……本当にヤンキーじゃなかったので、探っても何も出ないんですけど(笑)


 そもそも私が蒔いた争いの種です。

 しかし前述した通り、「人が争う雰囲気」を味わうだけでも、吐くほど気分が悪くなるのがこの私です。


 それが虐め――まで昇華されていませんでしたが――の渦中の人になって、友人にまで被害が出れば、何もかも嫌になってしまいます。


 ただでさえ中卒で働きたかったのに。

 父に言われて仕方なく進学したのに、相変わらず母は滞納し続けて、恥ずかしい思いをして。

 ただ頭がオレンジ色だからって、先輩に陰口を叩かれて(これは完全に自業自得)。


 モチベーションが下がりまくりました。

 1時間コンビニのレジに立てば800円ぐらい稼げますけど、高校で良い成績とったって、一銭にもならなくて無駄だと思っていたんです。

 お金のことしか頭になくて、何もかも面倒くさくなって――やがて、高校に居る時間が「もったいない」と思うようになりました。


 もちろん生涯年収で言えば、中卒よりも高卒の方がマシです。職種だって限定されます。

 けれど、「このまま通うの、嫌だな」が勝ちました。


 最初から進学する気がなくて、無理やり高校に入れられたという認識だったんです。

 それが学校に居てもひとつも楽しくないとなれば、嫌々通う意義を感じませんでした。


 だって友人から「休みの日に買い物行こうよ」なんて言われても、内心「そんな金と時間があるかよ」だったんです。

 友人と遊ぶ暇があればバイトするし、そもそも価値観が同級生と違い過ぎました。


 お小遣いなんて、小学5年生から一銭も貰えていません。

 欲しいものがあるならバイトするしかありませんけど、稼いだところで家に入れなければ生活ができないのですから。


 一時期、「親に庇護された幸せなヤツらは、幸せなヤツら同士で遊んでなよ」ぐらい擦れてました(笑)


 そうして私の高校生活は、たったの2、3ヵ月で幕を閉じます。

 6月の半ばだったか7月の初めだったか、最初の試験が終わって担任に「中退します」と言いましたけれど……当然、すぐには認められませんでした。


 恐らく高校的にも教師的にも、中退者を出すと何かしらの評価に響くのでしょうね。

 考え直すよう言われても心は動かず、すぐさま不登校になりました。


 その不登校中に原付の免許と原チャリを入手して、家から多少離れた場所でも、問題なく通勤できるようにして。

 割と近所のパン屋さんで製造員を募集していたので面接して、まさかの正社員として入社も決まります。


 結局、高校を正式に辞められたのは、その年の8月でした。

 担任の教師は何度も家まで説得しに来てくれて、成績が良いから国立大学も目指せるだとか、簿記のテストで満点とり続けているのは、学年で1人だけだとかおだててくれて、悪い気はしなかったです。


 しかし、大変ありがたく思うのと同時に、本当に迷惑でした。


 大学に行くどころか、高校を卒業するだけのお金もないのに、心境は「夢語ってんじゃねえ、大人なんだから現実見ろよ」です。

 学資ローンが特待生がとか、少しでも安上がりな通信制の高校へ転入してとか……「既に死ぬほどローン組んでるし、これ以上組めないから生身の人間から借金してんだよ。今の高校もツケだらけなのに、どうやって転入すんの」と。


 そもそもこれ以上、借金を増やしてくれるなよとも思っていました。

 逆立ちしたってできないことを「できるから!」と、根性論でねじ伏せようとする教師に、苛立ちが募るばかりだったのです。


 たぶん視野を広げればいくらでも道はあったんですけど、当時の私は「中退して働くしか、生きる道はない」という考えしかありませんでした。


 かくして無事中退を決めた私は、念願のパン屋さんで働き始めます。


 ――が、張り切り過ぎて入社半年で椎間板ヘルニアになったため、あっという間に退社することに(笑)

 ま、まあ、朝3時から夕方17時までフルで働いて手取り13万ボーナスなしとか、時給換算したら悲しすぎるので惜しくはありませんでした。


 たった半年ですが、私は確かにパン屋さんでした……幼少期の夢は叶えたんですからね!! ←


 そうして次に働き始めたのが、「なんか楽しそう」という漠然とした理由で決めた、地元の遊園地だったのです。

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