第6話 疑念と罪悪感

 初めて友人の話を聞いた時、「そんな馬鹿な」と思いました。

 冗談か、タチの悪いドッキリか。


 しかし、目の前で複雑な表情をしている友人の心情を思えば――とても茶化すような気持ちにはなりませんでした。

 曲がりなりにも仲の良い友人同士。互いの家に行き来するぐらいの仲で、もちろん親同士も仲が良いと信じて疑わなかった。


 けれども実際は?

 自分の親が、友人の親に向けて返金の催促をする手紙を書くのを目の当たりにした彼女は、どれほど傷ついたでしょうか。


 私はどう反応して良いものやら分からず、引きつった笑顔で「そうなんだ……ごめんね……」と謝罪して、封筒を受け取りました。他に言いようがなかったのです。


 中身を見ないまま鞄の中に入れて、その日の授業はずっと上の空でした。

 本当にショックで、全く意味が分からなかったのです。


 ――あの母が、そんな無作法をするはずがない。

 そもそもウチにはお金がたくさんあるのだから、人様から借りる必要なんてない。

 何か訳があったに違いない。――私の信じる母が、人様に迷惑をかけるはずがない。


 自分にとって都合の良い言い訳を、ツラツラと並べました。無理やり納得しようとしたのです。


 しかし同時に、「友達の家に酷い真似をして、一体どういうつもりなんだ? それが原因で私の友達が居なくなっても、構わないのか?」と、言い知れぬ怒りを覚えました。


 ――その「怒り」が、酷く私を苦しめます。


 自分を生んで育ててくれた母親に対して、「怒り」なんて抱いて良いのか?

 何か訳があったかも知れないのに、いとも簡単に信頼を失くすのか?

 自分が信用しなければ、誰が母を守るのだ。恩を受けるだけ受けて、仇を返すのか。


 唯一無二の母親に対して疑念を抱いた。ほんの少しでも恨みを抱いた。

 私はとんでもない邪悪なのではないか? 罰当たりではないか? そこらの犯罪者よりも、よっぽど罪深くないか?


 それらが酷い罪悪感となって、私を襲いました。


 とんでもない空想癖があったせいか、共感性が変に強かったせいか。

 その時、脳内で母を――というか、母の心を――殺してしまったくらいの強い衝撃を受けたのです。


 可愛さ余って憎さ百倍。

 しかし、その抱いた憎しみが大きければ大きいほど、ブーメランになって私がダメージを負います。


 母が好きだったから、母を篤く信仰していたからこそ、私の精神はメチャクチャになったのです。


 当時周りに、親に向かって悪態をついているような人は居ませんでした。

 みんな家族と仲が良くて、幸せそうで、親に庇護されていました。


 そんな周りと違う思考回路をした自分は、まともじゃない。周りと違うのは悪だ。それが原因で、幼い時分に悪目立ちしたではないか――。


 まともにならなければ。まともな子として、母を助けなければ。それが「普通の人間」だ。

(拙作の宣伝をして申し訳ないですが、『魔女が不老不死だなんて誰が言い出したんですか?』の主人公アレクシスのモデルは、他でもない私自身です(笑))


 でも、友人のことも好きでした。そんな好きな人たちを苦しめながら、平気な顔をしていて良いのか?

 とは言え、私は知らなかった。何も知らなかったのだから、責められても困る。


 だけど、いつか私の周りから、誰も居なくなってしまったらどうしよう。

 しかも今、私は知ってしまったではないか。


 例えばこの話を家族にすれば、どうなるのか。他の皆はこの話を知っているのか、それとも母しか知らぬことなのか。


 一家の天秤を水平に保とうと誰よりも努力してきたのは、間違いなく私だったという自負があります。

 その私が母と敵対すれば、卯月家の平穏はどうなるのか。


 答えの出ないことをグルグルと考えながら家に帰って、受け取った封筒をそっと開きました。

 中から出てきたのは1枚の紙。


 どうか、友人の冗談でありますように。「次は○○へ行って遊びましょう」なんて、お誘いでありますように。祈るような気持ちで。


 しかし紙には、私の知る友人の母からは想像できない荒々しい字で「返済期限は2ヵ月以上過ぎていますよね? 早く20万円を返してくれませんか?」とだけ書かれていました。


 その文字にゾッとして、怖くなって、本当に傷つきました。もう終わりだ、今に友達もみんな居なくなると。

 あれだけ好きだった母に、裏切られてしまった。神のように信仰していた偶像が、砕け散ったのです。


 ――私は封筒に紙を戻してから、それを素知らぬ顔で母に渡しました。

「○○ちゃんのお母さんから、手紙だって」と。


 母は「そうなんだ」と言って封筒を受け取りましたが――私が目の前に居るからか、見なくとも内容が分かるからか――決して中を見ようとしませんでした。


 私とて中身を知らなければ、なんとも思わなかったでしょう。


 しかし一度でも知ってしまえば、母が明らかに動揺していることが分かりました。

 私が内容を知ったかどうか、確認したがっている――恐れているのが分かったのです。


 私は少し悩んで、結局見てないフリを選択しました。「じゃあ、宿題するわ」と母に背を向けて、私は何も気付いていないというていで。


 母は何も言いませんでした。「実はね――」なんて言い訳をするとか、致し方なかった理由を説明してくれるだとか、期待しましたけれど……その後も何もありませんでした。


 返事の手紙を託されることもなく、何がどうなっているかも分からないまま。

 家族にも、他の友人にも相談しませんでした。


 私は本当に自己中心的で、臆病で――ただ、何よりも家の平穏を選んだのです。


 父や祖母に話して、家がメチャクチャになったら? 話したところで解決できることなのか?

 もしファッションヤンキーの兄が暴れたら?

 母が借金した訳も知らぬまま一方的に責めて、取り返しのつかないことになったらどうすれば良いのか?

(姉は人と深く関わりたがらないので、話したところで問題にならなかったでしょうが……身内に対しては驚くほど口が軽かったので、話せませんでした)


 この時はまだ、母のことを信用したい思いが強く残っていたと思います。

 もちろん「好きだから」はあります。その上まだ中学生。

 親の庇護がなければ、生きていけないという気持ちが強く――例え偶像が砕けて信仰心が薄れても、結局まだ宗教から抜け出せていなかったのです。


 しかし、ショックはショックでした。当然、友人とも変な空気になりました。


 友人は親から「その後の話を聞いて来い、返済の目処はあるのか確認して来い」と言われていたようですし、私は母に対して「知らない体」を貫いています。


 その知らない体を貫いていること、母に対して借金について問えないことを――大変ありがたいことに――友人は理解を示してくれていました。


 友人は親に、「ましろは借金のこと知らないみたいだから、お金の話なんてできない。ましろにしたって意味がない、知ったら家がメチャクチャになる」と守ってくれていたのです。


 ……今思えば、板挟みの中間管理職みたいな真似を強いて、本当にごめんなさいといった感じですね。


 そうして親身になって考えてくれる優しい友人たちを、私はどんどん失くしていきました。


 母が金の無心をしたのは、1人だけではありません。

 何人も何人も、私と仲が良い友人の親全員に声を掛けていたのだと思います。


 そんなヤベー家の娘と、可愛い我が子。子供は親の問題とは関係ないと言ったって、普通、遊ばせたくないですよね?

 親がおかしいのだから、子供だって頭がおかしいに決まってます。借金について知らないなんて、口ではどうとでも言えますし。


 早い内に縁を切らせたいと思います、それがまともな親心です。


 みんな、親の目の届かない学校では普通に接してくれていましたが、放課後に互いの家を行き来して遊ぶというのは、一気に減りました。


 下手に家へ遊びに行けば、「ましろちゃ~ん、お母さんに「電話に出て下さい」って言ってくれる~? おばさん、どうしても話したいことがあるの~」なんて、目の笑っていない笑顔で圧力をかけられてしまいますから。


 私も友人もダメージを受けますし――私は頑なに知らないフリをしているので、母をどうすることもできませんでした。


 そうして私がビビったせいで、自分の心の平穏しか考えなかったせいで、卯月家は破滅の一途を辿ります。

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