第5話 異変
私と家族のちょっとした(?)精神異常については、一旦置いておいて――とにかく、昔は裕福だったので苦労知らずでした。
欲しいと言ったものを親に買ってもらえなかったことは、一度もなかったのではないでしょうか……。
お小遣いも、小学1年生から毎月千円もらっていました。高学年からは三千円も!
調子に乗って、お友達にお菓子やジュースを奢ってドヤることもありました。本当に生意気なキッズです。
自宅は祖父が建てたもの。いくらかローンも組んでいたようですが、既に故人です。
遺された私たちに支払い義務はありません。
しかも祖父の遺産や慰謝料などで、資金は潤沢。
家具家電は頻繁に買い替えられて、気付けば古い車もバカでかいファミリーカーになっていました。
私は5歳の頃からそんな生活を続けていたもので、お金を稼ぐのが大変なことだとは……「お金を使えば、なくなる」という当然の意識すら、満足に芽生えていなかった気がします。
いくら金遣いが荒くたって、使ったそばから父が稼いでいるので大丈夫――そう思っていたのです。
何故か漠然と、支出が収入を上回ることは絶対にないと勘違いしていました。
本当に皆「庭から石油でも出てんのか?」と言うレベルで、湯水のようにお金を使っていて……でもそれが日常だったので、悪いことだとは気付かず。
最悪の英才教育です。
そして父母はお金を家のためだけでなく、自分達の娯楽にも注ぎ込んでいました。
それがパチスロ。
土日は昼から夜まで、平日は毎晩閉店まで。
父が仕事から帰って夕飯をとり終わったら、必ず2人でパチンコ屋へ行っていました。
私が幼かった当時はまだ、未成年の入店についてあまり厳しく取り締まりされていませんでした。(もちろん条例はあったと思いますが、どこの店員も黙殺していた感じです)
園児だった頃は母に家に置いて行かれるのが寂しくて、何度か店内までついて行ったこともあります。
今は、未成年は乳児だろうが絶対に入店できないはずです。
親について行っても駐車場の車内に置き去りにされて、夏場に熱中症で亡くなる子が居ますよね。
もし私が生まれるのがもう少し遅ければ、確実に彼らと同じ末路を辿っていたと思います。
それくらい長時間遊戯していましたし、毎日のルーティーンでした。
当時はなんとも思っていませんでしたが、大人になった今考えれば――2人とも確実に、重度のギャンブル依存症だったと思います。
勝つまで絶対に諦めない。いや、勝っても負けても閉店までリールを回し続けていました。
どれだけ負けても、たまの勝利の快感が忘れられなかったようです。
家族全員が欲しいものを買って、両親は毎日パチスロにお金を注ぎ込んで。
祖母もまた他人に金品を配って悦に浸る人で、お友達とも毎月旅行していました。
後から聞いた話では、私の
父1人しか働いていないのにそんなお金の使い方を続けたら、それは首が回らなくなりますよね(笑)
しかし小学生の頃は、そんなことも分からなかったです。
欲しいものは何でも手に入れて、家族仲もまあまあ良好で、遊んでくれる友達も多かった。
それなりに幸せに生活していたのですが、小学校5年生の冬頃、3人兄弟で私だけ全額お小遣いがカットされるようになりました。
特に悪事を働いた訳ではなく、成績が落ちた訳でもなく、突然です。
その時の母の言い分は、「まだ小さいのに、今までお小遣いを渡し過ぎていた。よその家の子と違い過ぎるのはよくない」という――「えっ、今更?」と首を傾げたくはなりますが――真っ当なものでした。
そこから、欲しいものがある時は親に申請→プレゼンテーション制度になりました。
ようやく普通の金銭感覚をもった小学生になった……かどうかは、微妙ですが(笑)
ちなみに兄と姉はそれぞれ中学生、高校生だからと全額カットは免れて――半額だけ受け取っていたそうです。
全額カットされた妹が居れば、上2人は「まあ半額でも、ゼロのましろよりはマシか」と渋々納得するしかありません。
ですが、私は当時そのことを知りませんでした。
恐らく母が「1人だけ貰ってないましろが可哀相だから、「自分たちも貰ってない」って言いなさい」と言い含めていたのでしょう。
家族にとってイイコで居ようと頑張っていたはずなのに、気付けば1人騙されて贖罪の羊になっていました(笑)
まあでも「中学生になればお小遣いが復活するのでは?」なんて前向きに考えつつ、成績を落とさない、虐められない、家族の仲を取り持つの3箇条を胸に成長します。
――そうして中学2年生の時に、決定的な事件が起こりました。
私は無宗教です。
しかし私にとっての母は、たぶん最初で最後の「教祖」。間違いなく「宗教」でした。
母は本当に明るくて子供好きで(我が子だけでなく子供全般が好き。保育士免許も持っていました)、ママ友だけでなく我が子の友達とも仲良くなるような人でした。
私が友達を「ちゃん」「くん」付けで呼んでいたのに、母は全員呼び捨てで呼んでいました。
それでも変な空気にならないくらい、人の心に入るのが上手かったのでしょうね。
友人からも「ましろ母面白いから好き、友達みたいなお母さんで羨ましい」と言ってもらえて、私はどこか母が誇らしかった。――そして、母と自分の関係性も。
母のように、多くの人に囲まれる人になりたい。自慢の母だから苦労させたくないし、幸せにしたい。
あれだけワガママ放題だったお姫様が、大きくなるにつれて自然と「母にだけは無理を言わない、絶対に傷付けない」と改心するぐらい!
私の将来の夢、中学1年生ぐらいまでずっと「母が喜ぶ一軒家を建てる」でしたからね(笑)
けれども、ある日の休み時間。
同じクラスで仲の良かった女の子が、封筒を片手に気まずそうな困り顔で、こんな事を言ってきたのです。
「うちのお母さんが、ましろちゃんのお母さんに「早く20万円を返してください」って手紙を書いてるの見ちゃった……」
――と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます