第4話 幼少期のましろ②

 続けて、私の性質や思考回路についてお話します。


 幼少期の挫折――というほど大したものではありませんが――をキッカケに、「目立つのも、周りと違うことを選択するのも悪」と思うようになりました。


 しかし根っこでは、人と違うことをする憧れ、目立ちたい、特別な存在になりたいという願望は、持っていたように思います。

 それは恐らく、今でも変わらずに抱いているものです。

 だからこうして、わざわざ人目につくところで文字を書いているのでしょうし……。


 ただ基本は実践せずに、脳内の妄想で完結するに留めていました。

 行動に移してしまうと、同じことの繰り返しというか……また痛い目を見ると信じて疑わなかったので(笑)


 遊んでくれる兄姉が傍に居て、友達もそれなりに居たのですが、私は1人で空想する時間が何よりも好きでした。

 人を見て「何を思っているんだろう」「何が楽しいんだろう」と想像したり、「あの人は辛くないのかな?」なんて余計な心配をしたり。


 ゲームやアニメの登場キャラクターに感情移入して、泣くことも多かったように思います。

 キャラが死ぬシーンとか、不幸な目に遭うシーンとか。架空のキャラクターの心情についても、いちいち真剣に考えていたように思います。


 ゲームだと画面下に台詞のテロップが出されますけど、そこに書かれていないモノを妄想していました。

 ある意味「行間を読む」遊びというか……勝手にキャラの――字で書かれていない――心情を推察して、1人で盛り上がって。


 とにかくそういう、空想ごっこが好きだったんです。


 実はその頃の癖がいまだに抜けなくて、ネット小説を読んでいても「書かれていない文字」を脳内補填してしまい、思い込みや勘違いに振り回されることが多々あります。

 私から鬼コメント攻撃を受けたことがある方々は、こちらの早とちり癖に覚えがあるかと存じますけれど(笑)


 でもまあ、空想癖のお陰で拙いながらも文章を書けるようになったと思えば……良かったのでしょうか?

 今考えても、「色んなことを気にして、本当に疲れる幼少期だったよなあ」と思いますけど(笑)


 架空の存在相手でもそれだけ真剣に対峙するんですから、生身の人間が相手だと、もっと深刻さを増します。


 学校でいじめの現場を見た時には、吐き気を催すくらいストレスを感じました。

 実際、中学生以降はよくストレス性胃炎になったものです――いじめの当事者でもないのに。


 家庭内で父母がちょっとでも不穏な空気を発していると、「喧嘩しないで、お願いだから仲良くして」と泣いて懇願していました。

 やっぱり子供が目の前で泣くと、親って喧嘩しづらくなるみたいなんですよね。


 両親の仲はそれなりに良好だったと思いますが、ちょっと父が母を好き過ぎて、束縛癖が酷かったんです。


 昼間なら問題ないんですけど、ママ友同士で遊びに行くとなると、母の携帯に何十回も電話してました。

 食事処だろうがカラオケだろうがボウリングだろうが、絶対に送迎してましたし……母の帰りが少しでも遅いと不貞腐れて、数時間シカトするとか。


 その「父シカト、母メソメソしながら謝罪」の現場を見るのが苦痛で仕方なくて。

 いつも間に飛び込んで仲裁していました。


 自分には直接関係ないんですけど、やはり「家」と言う安息の地がギスついて脅かされるのは、辛いんです。

 私が泣けばすぐ仲直りする(見えない所では知りませんけれど)と学んでからは、ほとんど繰り返しの「作業」でした(笑)


 仲介、緩衝材、潤滑油。家庭内のバランスをとる役割とでも言いましょうか。

 皆に可愛がられたからこそ、自然とそういうポジションについて、家族の仲を取り持つ役をしていました。


 ――そんな気にしいの私ですが、何も負の感情ばかり敏感に気にしていた訳ではありません。


 例えば――今でこそ、満足に死を悼むことすらできませんが――幼少期の私は母が大好きでした。

 末っ子だから特に可愛がってもらっていましたし、ワガママは何でも叶えてもらっていました。


 甘やかして大事にしてくれる母が大好きで、私は母の喜ぶ顔を見るのが好きでした。

 親戚に会うたびに猫を被って「イイコ」を演じていたのは、そうすれば母が親戚連中に褒められるからです。


 育て方が良いとお世辞を言われて、喜ぶ母が見たかった。

 もちろん、自分が褒められて嬉しいというのもありましたが……昔からそういう、あざとい部分がありました。


 人の顔色ばかり窺って、「この人はこういうのが好きそう、喜びそう」ということを予想して、心にもない言動をするんです。

 よく言えばサービス精神の塊、悪く言えばクソみたいなぶりっ子。


 幼少期は特にあざとかったです。

 小学校高学年ぐらいからは、かなりマシになりましたけど……先輩方も「懐く明るい後輩」を好むらしいと知って、これでもかと尻尾を振っていたように思います。


 そりゃあ、胃も悪くなりますよね。

 誰もそこまでしろなんて命令していません。ただ私が勝手に「こうしなきゃ、多くの人間に好かれなきゃ、母親を喜ばせられない。安心させられない」という、謎の強迫観念に襲われていただけです。


 どうしてそんなに母を喜ばせたかったのかと言えば、もちろん「好きだから」というのが大前提です。小学校1年で、数日不登校になってしまった負い目もありますし。


 ただそれだけじゃなくて、上の兄姉がそれぞれ要領が悪く、頭を悩ませる母の姿を見て育ったからだと思います。


 まず10歳上の姉が重度のコミュ症で、しかも聴力もやや弱く、人に話しかけられても聞き取れずに無視しちゃうんですね。

 もちろん悪気なんてありません、ただ聞こえてないだけなんですから。


 でも障害や痛みって、他人からは分からないですよね。

「お腹が痛い」と口に出されて初めて、「ああ、お腹痛いんだ。それは大変だ」と理解できるんです。


 耳が悪いなら、それをお友達に説明しないといけない。聞こえなかったなら謝罪して、「もう一回言ってくれる?」と言えば良い。

 しかし引っ込み思案の姉はソレができずに、「皆の声を無視する嫌な子」というレッテルを張られます。


 私は姉が、どこかのコミュニティに問題なく馴染んでいる姿を見たことがありません。

 学校、会社、どこへ行っても必ず虐められています。それは現在も。


 虐められて泣いている姉と一緒に、よく母も泣いていました。

 ただ残念なことに私の時と違って、学校へ相談してもどうにもならなかったんです。


 何故ならば、から。


 虐めのニュースが持ち上がった際、よく「虐められる側にも問題がある!」なんて最低なことを仰る方が居ますよね。

 アレは本当に、被害者の心にトドメを刺す酷い言葉だと思います。


 でも姉の場合は、ソレが当て嵌まるんです。

 もちろん虐めている側が一番悪いんですけれど、姉も自ら虐めの種をバラバラ蒔いているんですよね。


 引っ込み思案だからと聴力について説明しなかった。

 コミュ障を拗らせまくって人前で笑うことすらできず、いつも憮然としたふてぶてしい顔をしていた。

 ハブられた後、一度もコミュニティの輪に入ろうと努力しなかった。

 むしろツンと澄まして、しっかり声が聞こえた時にもわざと無視して――ますますいじめっ子たちを煽った。


 蒔いた種が元気に育ったぞ! 収穫祭ハーベストだー! 状態です。


 そもそもがましろ姉、長年虐められすぎた弊害なのか、それとも生まれつきなのか……精神面に大きな問題があります。

 精神病質サイコパスとでも言いましょうか、他人の感情が上手く理解できないのです。


 だから悪気なく、人の神経を逆撫でするような言動をするし――心を許した家族相手にもそんな調子なんですから、他人相手ならもっと酷いでしょう――姉の場合は申し訳ないけれど、虐められても致し方なしだろうなと。


 そんな虐められっ子の姉を見て育ったので、「私は絶対に苛められたくない、笑顔で居たい、普通の子になりたい」と思っていました。

 だから小学校1年生で好きな子に嫌がらせをされた時、本当にショックだったんですよね……。


 最低な考えですが、ずっと「姉のようになって、母を困らせたくない。あんなの恥ずかしい」と思っていたので。


 ――4つ上の兄は、打って変わってとんでもねえ陽キャでした。

 友達は多いし女の子にモテるし、運動神経抜群で。


 しかし天は二物を与えないのか、兄はクソほど勉強ができませんでした。

 宿題もほとんどしていませんでしたし……陽キャの上に、ファッションヤンキーだったのです。面白い人なんですけどね。


 ただ私から見た兄は、どこかが足りない人です。

 人に対する思いやりはある、感情の機微も理解しているように見える――でも、人を「正論」で殴るタイプの人間です。


 正論以外は論じる価値なし、プロセスよりも結果。情けよりも理性、効率重視。

 思いやりはあるはずのに、状況によっては誰よりも冷たくなる、硬質な人。


 ――どうして同じ家で育ったのに、ここまで違うんでしょうね。人間って面白いです。


 赤点のテストと酷い通知表ばかり持って帰ってくるので、母はそれを見て「こんなので高校、行けるの?」と頭を抱えていました。

 だから私は、「兄弟の仲で一番良い成績をとろう、宿題もきちんとしよう」と。


 ここで当然のように「兄弟」という狭い範囲を指定しているのは、自分でも不思議なのですが……どうも私は、広い世界のことを考えられないようなのです。

 自分の手足の届く範囲で、自分の属する主たるで上位になれれば、それだけで満足でした。


 幼少期のましろの目標は、とにかく友達に囲まれる。できるだけ人から嫌われないようにする。よく笑う。良い成績をとる。変に目立たない。

 そうすることで、(子育てに関して)母に楽をさせる――こんな感じでした。

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