長い冬がやってくる
北島宏海
長い冬がやってくる
冬の街は浮き足立っている。
いや、殺気立っていると言ったほうが正しいだろう。
人々はみな小さな恐怖と焦りの色を顔に張りつかせ、山のように商品を積んだショッピングカートを押している。
広い駐車場のあちこちで車輪の回転するがらがらという音が鳴り響く。
ぼくたちも同じだ。妻とふたり、それぞれにカートを押し、足早に車に向かう。
騒音に混じり、どこかで子どもの泣き声がした。
妻が立ち止まり、耳を澄ます。
「親とはぐれたんじゃないかしら」
先行していたぼくは数歩引き返し、彼女の隣に戻った。
「そうは言ってもね。これじゃ探しようがないよ」
あたりをぐるりと見まわす。
どこもかしこも人と車でいっぱいだった。右に左にと、買い物客が流れていく。
人ごみに埋もれ、泣き声の主の姿は見えない。
「そうなんだけど……」
妻が言いかけたとき、背後から険のある声がした。
「ちょっと!」
カートのハンドル部分に手をかけた中年の女性が目を怒らせて睨んでいる。
「すみません」
ぼくたちはあわてて一歩脇に寄った。
怒れる女性はぼくらの横をさっさと通りすぎると、人の群れのなかに消えていった。
「ほら、ほかの人の邪魔になるしさ。かわいそうだけど警備員に任せるしかないよ」
妻をなだめて本来の作業に戻る。
がらがらがら。
車輪が回りだす。カートのカゴがアスファルトのわずかな起伏にあわせてがたがた鳴った。
ほどなくわが家の車に到着し、トランクを開けて買いこんだ商品を移しはじめる。
「ええと、食品はこっちで、衣料品はこっち……」
ぼくが適当に置いた品物を、手際よく整理していく。
かなり広い収納スペースだったが、八割かたが埋まってしまった。
トランクを閉めてから、車に乗りこんだ。
助手席に座った妻が思い出したようにこちらを向く。
「スパイク付きの防寒ブーツ、どうしようか」
「五年以上前のものだからな。新しくしよう」
答えながら運転席のエンジンをかける。
メーターを見て思わず声が漏れた。
「しまったな」
「どうしたの?」
ぼくはメーターの数値を指し示した。
「駐車スペースを探すときに、見込み違いをしちゃってさ。この場所、しばらく日陰になっていたんだよ」
すぐに察したようだ。
「ああ、ソーラーパネルからの充電が充分じゃなかったのね」
「うん。もったいないけど、内燃機関に切り換えるか」
「背に腹は変えられないからね」
車がゆるやかに走りはじめた。
周囲にはまだカートを押している人たちが大勢いる。
がらがらがら、がしゃん。
外の喧騒が車内にまで飛びこんでくる。
騒音を消すように、妻がラジオをつけた。
女性アナウンサーの声が飛びこんでくる。
『今シーズンの冬将軍の到来は、例年よりも早くなることが発表されました。本格的な季節に入る前に、早めにご準備ください』
何度も聞いたニュースだ。
「みんなそう思っているからこそ、こんなにごった返しているんだけどね」
妻がつぶやく。
「ずいぶんと予報が外れたよな。昨シーズンの終わり頃は、楽観的な見通しを言っていたくせに」
ため息とともに声が返ってくる。
「いつもながら当てにならないのよねえ。サプリメントも大量に買いこんでおいて正解だったわ」
「あれがないと、もしものときに大変なことになるからな」
ハンドルを切りながら応じる。
妻は何も言わず、しばらく沈黙が下りた。
やがてぽつりと言う。
「夏が終わってしまった。あんなに長かったのに」
顔を外に向けているので表情はわからない。
『……ご自宅のシステムメンテナンスはお早めに済ませてください。前回は当該エリアだけで十万人のかたが亡くなっています』
横を向く妻の肩がぴくりと動いた。
安心させるために、ひとつひとつ挙げていく。
「うちは大丈夫だよ。三か月前にオーバーホールに出している。劣化した部品はすべて交換済みだし、新しくした非常用バッテリーも二年間は稼働する」
「わたし……わたし、怖いのよ」
堰をきったように言葉があふれる。
「毎年、この星の軌道は少しずつ予測とずれていると言っていたわ。このまま冬が続いたら、いずれバッテリーが切れる。そうなったら、システムは強制的に
妻の瞳は濡れていた。
「大丈夫だよ、そんなことにはならないから」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「いままでだってぼくたちは幾度も危機を乗り越えてきたじゃないか。新種のウィルスや戦争。太陽が活動を停止してからは地球を捨て、この星にまで移住して生き延びてきた。今度のこともその試練のひとつに過ぎないよ。終わってみれば笑顔で振り返ることができるさ」
「ええ……きっとそうね」
彼女は自分に言い聞かせるようにつぶやく。
ぼくはフロントガラス越しに外をのぞいた。
街を覆う透明なドーム天井の外には鉛色の空が広がり、ふたつの小さな太陽が弱々しい光を投げかけている。
二重連星のせいで複雑な長楕円軌道を描くこの惑星は、じきに真冬を迎える。
その間ぼくたちは冷凍睡眠のカプセルに横たわり、三十か月の長い眠りにつく。
目が覚めたら夏が待っている。
「人類は、そんなに弱くはないよ」
言い終えたそのとき、ジェット機のような大気を切り裂く音がした。青白い光の軌跡が空を横ぎる。
宇宙船だ。
移住可能な惑星を探しに行った探査船が帰ってきたのだ。
「吉報を持ち帰っているよ、きっと」
ぼくの言葉に、妻が小さくほほ笑んだ。
もうすぐ新しい年が来る。
長い冬がやってくる 北島宏海 @kitajim
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