第12話 運命の辻褄

「……んあ? えっと、なんですかぁ? ……あっ茉希ちゃんか! ごめんごめん!! すぐ開けるね!!」


 徐々に見慣れてきた一軒家の玄関前で、インターホン──ではなくLINE通話を何度か押しつけてようやく間抜けた声が返ってくる。同じく勝手知ったる渚沙を小脇にドアノブを眺めていると、「すぐ開けるね」と言った体感十五分後くらいに錠のあく音がした。


「……お待たせしました」


「流石先輩、礼節がちゃんとしていますね」


「先輩に開口一番皮肉を飛ばすような後輩にもこの礼節を分け与えてあげたいものだよ」


「その前に暖を与えてほしいですね、寒空の下冷え切った後輩とその妹に」


「ごめんって! 怒らないでって! 何時くらいに来るとか予告がなかったから!」


 問答もそこそこにわたしと渚沙は先輩の背中を追いかけ、家へとお邪魔する。



 先輩は十一月にも関わらず、土曜日にも関わらずワイシャツのしわの寄ったものを着ていた。黒髪は四方八方とは言わないまでも三方くらいに跳ね散っていて、足取りが震度四くらいで落ち着かない。


 いきさつは訊かずとも察せます、


「そのへん散らかってるけど適当に座って、夜ご飯どうしようか家に何もないんだけど寿司でも取る?」


 飲んでさっきまで寝ていたんでしょう。


 まだ眠たそうなワイシャツ一枚の先輩と、床に脱ぎ捨てられたオフィススーツを交互に見やりながら思う。普段仕事場で乱麻のごとくなる上司がかの体たらくであることに対してわたしは幻滅などしない。むしろその逆である。逆だから、大山の下で貴重な土曜日を過ごしてまでここにお邪魔したかったのだと言ってよい。


「あたし寿司じゃなくてピザがいいです! あとちゃんと着替えたほうがいいと思います色々晒しちゃってるんで!」


 しかしそんなわたしの意趣を解すはずもない妹は、わたしが叙述を避けてきた事象に真っ向から切り込んで。先輩もそれでようやく意識が覚めたようで。


 時は衣装直しとともに進む。




 秋田先輩は二階建てのここ一軒家で、忌まわしき彼氏さんである健志さんとふだん同棲している。正確には元々ここは先輩の実家で両親も住まっていたようだが、数か月前に母方の祖父母の家に行ったきりここ家をあけているらしい。贅沢にも広々とした家を娘に与え、同棲という「予行演習」(家賃タダ)をさせようという魂胆だろう。ずいぶんと余裕な生きざまの家庭で、極貧姉妹二人暮らしのわたし達とは対極だ。


 そんな余裕の秋田家一人娘と仕事で睦まじくさせてもらっているわたしは会社に入りたての頃、ひょんなことから渚沙ともども家にお邪魔させてもらうことがあった。というか隠さず言えば当時貯金に限界が来ていたので、しばらくタダ飯とタダ光熱水道のお世話になっていた。あの時は一週間は泊った。そのように最初は死活問題からだったが、おかげで先輩とは一層距離が近づき(と少なくともわたしは思っており)、今回のように何かにつけて家にあげてもらえるようになった。そしてその度に健志さんはわたし達を気遣ってか予行演習を一時中断して外泊してくれる。

 そしてこの広い家にひとりになった秋田先輩のヤバさが明るみに出る。


 仕事場でのつけ入る隙のない先輩とはまるで別人が現れたのは、お邪魔するのが三度目くらいの今年の夏のことだったか。



「あ! ピンポン鳴りましたよピザ来ましたよ! あたし取ってきます!」


「あ~い……その辺にカバン落ちてるはずだから財布取って払っといて~~」


 ダイニングを囲んでわたしの正面でひとりチューハイを空けている先輩はすでに語調が怪しい。500ミリ缶の9パーセントだから、45ミリのアルコールが先輩をこうしちゃってるのかな多分違うけど。


 てか、またひとりで飲んでるの意味わからないけど。てかてか、それわたしが買ってきたお土産なんだけど。


 今年の夏のときもそうだった。別人もいいところだと思った。最初の一週間のお招きでは頑張って猫を被っていたのか、仕事場でも同様なのか、真偽は定かでないけどとにかくこのような呑兵衛で片づけのできないダメ秋田先輩を、わたしはこの家以外で見たことがない。健志さんと二人でいるときもこうなのであれば、わたしはあの忌まわしき今は不在の彼氏さんの気苦労を慮らざるを得ない。


 酔っぱらった先輩はいつものように、わたしに一杯勧めるといったこともせず(もちろん未成年なので飲みませんが!!)淡々と缶を口元へと傾けては喉をならす。


 そして、


「そういえばどうして私たちって好き好んで労働なんてやりくさってるんだろうね」


 あ、それわたしに訊いてる?


「一日八時間週四十時間という名目のもと一日十三時間週七十八時間を大して人生の接点もない上司に捧げて、その対価が賃金でしかないというなら非効率の塊だし、なにかほかの旨味を無意識のうちに追い求めているとでも思わないと気が狂いそうになるよね、嘉村さんはどう思う?」


 やばい、ありえん酔ってしまわれている。


 この空気を誰か何とかしてくれ、と思っていると、


「へいカマンベールとミートソースのハーフ&ハーフピザMサイズとマルゲリータSサイズになりまぁす!」


「あ、渚沙ちゃんありがと~。てか今日バイトだったんだよね土曜なのにお疲れだね。渚沙ちゃんって何のために働いてるの?」


「お姉ちゃんがお金入れないと追い出すぞって脅すから!」


「うわ、外道~」


 そんなとろんとした目が、わたしにとっては一番の金縛りなのである。だってこの時こそが、本当の先輩と話しているような気になれるから。


 先輩の本当と話しているような気がして、嬉しくなってしまうから。



 その後、一週間お疲れさま&今日の大山訪問バイトありがとう会は三人で粛々と執り行われた。二時間ほど無制限の飲み食いをかさね、あるいは今日大山の家で見聞きしたことを先輩に報告しつつ、秋田家の冷蔵庫が空になり渚沙がダウンして床の上で寝息を立てはじめたところで一時お開きとなった。取り急ぎ飲み物を買い足しにコンビニへとひとり向かいつつ、顔の火照りを冷ましているのがこのわたしという訳である。もちろん先輩以外お酒は飲んでいませんよ。最終的にはご想像にお任せしますが。


 活き活きと灯るコンビニの看板を視界にとらえつつ、あの酔っぱらいの秋田先輩ならばやはり、活き活きと労働できて羨ましいねえといった偏屈な感想を大山同様に述べることだろうと思った。秋田先輩は根底のところで大山と似ていて、それが彼女らの妙な腐れ縁を成り立たせているかもしれないと想像すると一ミクロンほどの嫉妬が沸き上がる。わたしはあの人たちみたいにだだだだっと突っ走った思考ができない。ただぼんやりと、敗走した主人公らしく生きているだけだ。


 ただぼんやりと。


 酔っぱらって偏屈モードの秋田先輩のねむそうな顔が。


 ふだんの頼れる鋭い表情の秋田先輩が。


 同棲中の彼氏をのけてまで、わたしを度々家に招いてよくしてくれるわたしの先輩が。


 さっき見せたあの時だけの表情を、忘れようとわたしはひとりで夜道を歩いている。


 どうして、わたしだけの特別に──



「大山先輩の要件ですが、例の今起きてる東京一帯の連続怪死事件の調査ですって。犯人捜しを手伝うバイトをもう渚沙はしてるんですけど、秋田先輩とかわたしにも手伝ってほしいって。実際お金貰えるらしくて、生活費になるならまあ危険じゃない範囲でやってもいいかなって


「茉希ちゃん」


「なんですか?先輩………先輩?」


「それ以上は、きっと嘉村さんには理解できない領域だから」


「え?」




(続)

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