第11話 非劇(後)

「入社おめでとう。私は秋田玲奈といいます。不幸にもあなたの上長になってしまったけれど色々教えてあげるからよろしくね」


「よよろしくお願いします。嘉村茉希です」


 わたしの人生が断片じゃなくなった瞬間。断片でしかなかった青春が思い出された。




「転校してきました嘉村茉希といいます。これからよろしくお願いしま


「あの池袋事件の生き残りの子だよね!?」


「夏休み直前に引っ越してくるとか大変だったね~~」


「どうやって生き残ったの??」


 見慣れない教室で、聞き慣れすぎた質問攻めに遭う。出身高校を隠した程度では焼け石に水だなんて重々知ってたけれど。


 わたしはこれからの人生、物珍しい焼け石としか見てもらえないんだ──と、ここ数日こう見えて本気で悲観しているのである。あれから数日間はあり得ない豪運で生存した運命への感謝、特別な悲劇への高揚あたりも残っていたのだけれど。


 わたしはただ本当に、運よく生き残っただけの凡庸だった。そこに必然はなかった。こんなレベルの目に遭ってもわたしは何も起こせない主人公失格なんだと悟ってからは──ひたすら、日々の濁流に身をまかせてしまおうと思うようになり。


「大したことないですよ…! たまったま、その日は風邪で休んでて」


 だからあらゆる感情を殺して、新しいクラスメイトのお望み通りの回答を寄越すことだってできるし。


「やっば! 運良すぎ主人公じゃん! ねえ席隣だねもっと色々聞きたいこ


 他方で今後の人生で幾千と浴びるであろうわたしへの興味関心を、なんの得意にもならない雑音としてシャットアウトすることだってできる。



 どうやって生き残ったの? → たまたま風邪で休んでて。


 家族は無事? → うん、無事。妹もたまたま海外いたし。


 友達もみんな犠牲になったんでしょ? → 気にしないでいいよ。


 メンタル大丈夫? → 大丈夫、気にしないでいいよ。


 あんまり話題にしないほうがいいかな? → 気にしないでいいよ。


 気にしないでいいよ。


 うん、大丈夫。ありがとう。気にしないでいいよ。大丈夫。大丈夫だから。



 わたしのことを悲劇の被害者だと慮ってくれて、新しい高校では温かいことばを数多く頂いたものだけれど。有難いことだけれど。



 彼ら彼女らの求める回答が延々同じように出力されるのにつれ、悟られてしまったのだろう。次第にわたしに対する物珍しさ、興味が失せてゆくのを感じ。


 次には温かい孤独が待っていた。



 目立ってわたしを除け者にするわけではないけれど、触れづらい転校生として、緩やかに。わたしがわたしに対して気づいたのと同じことをクラスメイトも悟ったのだ、


 わたしが決して悲劇の被害者なんかじゃないことを、


 わたしが少しも悲しんでいないことを。


 残り一年半の高校生活、新しい教室に慣れることはついぞなかった。


 卒業式の日は午前中にひとりで帰宅した。家には誰もいなかったのを覚えている。いまだ海外にいた渚沙とLINEするくらいしか、やることがなかった。





 あと三十分で先輩の家に着きます、とLINEしたものの既読すらつかない。寝てるんだろうか。クラスメイトとのやり取りが突如途絶えたあの日を云々といった都合の良い連想力はふだん持ち合わせていないわたしだが、豪徳寺駅から小田急線に揺られながら回想に耽っていれば、流石に。


 隣に座る渚沙は「今日ずっとバイトして偉いポイントたまりまくったしこのまま天元突破しちゃおっかな!」と座席に着くなり新品の古典単語帳を膝のうえに開いていたが、タイミング良く充電が切れてしまってわたしの右肩に頭をもたげてしまった。


 今朝渚沙が貸してくれたマフラーに、ぽふっと。


 なんとなく小田急の各駅に乗り込んでしまったからか、休日の夕方という良い時間帯にもかかわらず車内は閑散としていた。次は東新宿。そこで思い出したが昨日歌舞伎町で例の怪死事件があったんだった。本来こんな感じで女二人で出歩いていることが褒められたことじゃない状況なのだ。わたし達的には他に家族もいないし、住んでいる場所も新宿から近場だから危なさに多寡はありませんが。


 そんな訳で、柔らかい髪を肩に感じながら車窓を見ていた。


 電車の金具が軋み、レールが擦れる音が聞こえる。


 軋み、擦れる音が聞こえる。




 ──大丈夫? 気持ち悪くなったりしたらすぐLINEするのよ。後、ピンポンには出なくていいから


 次は、新宿。終点です


 ──来週告別式があるんだって。茉希も行く? 無理はしなくていいけど。でも、せめてお花くらいは……


 乗り換えのご案内です


 ──渚沙、日本帰ってくるの遅れるみたい……いろいろ対応に追われてて、留学生の処理にまで手が回らないのかな。確かに今だけは海外のほうが安全だったりするかもしれないし


 ──転校先、八月には決まるって。ちょっと、聞いてる? まだ大丈夫じゃない……って訳じゃないのね、それならいいけど


 ──じゃ、行ってくるね


 ──あなた、メンタル結構強いのね



 ──もういいよ、病んでるフリ

   してるだけなんでしょ?


 

 新宿に着き、群がりの声が戻ってきた。


 渚沙はまだ目を覚まさない。もう少し寝かせておきたいと思ってしばらく乗ったままにしていた。その場に相応しい感傷に浸るというのは、まさに二年前のわたしができなかったことである。悲劇の主人公になるには結局、場数も演技力も殊勝さも、足らなかったらしい。いくら回想してみたって「あの日以降」の出来事が「断片でしか」蘇ってこないのは、気づけば母親がわたしのことを気遣わないようになり、家の心地が悪くなってしまったのは、相応に悲しむことができず、温かい孤独だけが残ってしまったのは。



 車両はすぐに知らない人で満たされる。


「ごめん、寝てた!」


「別にいいよ、急がなくても」


 馬鹿。そんなんだから駄目だったんだよ。





「お姉ちゃん見てよあれ!」


 小田急新宿駅を降り、先輩の家へと向かうために京王線へと乗り換えようとした駅構内の道すがら、外への出口付近に異様な人だかりができているのを目にした。


 死んでるの? という声がどこかから聞こえる。確かによく見ると、ポリスメン的な方々が仰々しい様子で交通整理と野次馬の駆除をなさっていた。ああ、また起きたんだ、昨日あったばかりなのに──と思う。新宿で二日連続、ここまで来ても当事者意識がなかなか沸かないのは令和の若者なりの病理ということにしてもらえるだろうか。


 ということで、特に深刻になるつもりもなかったのだが、


「渚沙、ちょっと小田急百貨店行っていい? 先輩へのお土産買いたい」


「うおー!! いいね! そういうのなんか社会人っぽくていい! パイセンもきっと喜ぶよ、アタック成功、間違いなしだね! 何買うかは決めてるの?」


「そりゃあ、まあ。予算は千円以内だけど」


「うわあ貧乏! そしてパイセンの好みはもう完全把握なんだね!」


「ちょっとうるさいぞ我が妹」


「あーうるさいって言った!そのマフラー返せ!」


 なんとなく、渚沙と過ごす時間をちょっとだけ大事にしてやりたいと思い、先輩へのお土産は既に今朝から持参していたのだが、つまりただの買い物に二人で繰り出すことに。


「あたしがどんどんバイトで稼げば、もっと豪華なお土産が買えるようになるね!」


「その前に生活費に還元してほしいけど」


 とはいえ、元手が増えれば色々と便利になるのは間違いない。

 連続怪死事件は少しずつ、だけど確実に身近になっているわけで、妹が手を染めているバイトはそういう意味でがっつり危険なのだが──しっかり見放さないようにしてやれば、それでまあ問題ないかな。小田急百貨店の地下へと続くエスカレーターを降りながら、前に立つ渚沙のつむじを見ながらそう思う。



 二年前。たまたま風邪で休んだ隙に高校を皆殺しにされたあの日は、わたしが運命に選ばれていないことを自覚せざるを得ない決定的瞬間であり、残りの高校生活を断片のかき集めへと堕とした根本的原因でもある。こんなにオイシイ悲劇に見舞われておいて、それに相応しい生き方もできず人格も作れずで、数々のわたしを慮ってくれたひとたちや世界にはごめんなさいと言うほかない。


 嘉村茉希の真の履歴書は、かくも読みごたえがないものなのでした。


 でもまあ、ひとつ救いがあるとすれば。



「入社おめでとう。私は秋田玲奈といいます。不幸にもあなたの上長になってしまったけれど色々教えてあげるからよろしくね」


「よよろしくお願いします。嘉村茉希です」


 わたしの人生が断片じゃなくなった瞬間。


「てか嘉村さん、あの事件の被害者なんだって? 大変だったねわかるよ、私も前に……ああいや違う、こういう場ではこのセリフは……あ、ご、ごめんなさい気にしないで聞かなかったことに」


「い、いえ。気にしてないので」


「そ、そう?」


「……そんなに慌てないでくださいよう、面白いですね」


 わたしだけに見せた秋田先輩の顔。


 苦笑いする私のリラックス。


 あの瞬間、確かにわたしなりの運命を感じさせたのである。

今度こそ。



(続)

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