第9話 板挟み休日出勤
「あたし今夜はピザがいいな~」
今朝家を出る前、きょうは外泊してくる旨を妹の渚沙(なぎさ)に伝えていた。
わたしの同居人である。
夕食はひとりで済ませてほしいと伝えた返しがピザへの所望なのは、外泊のたびに渚沙へお小遣いを渡していた最近の習慣からするとお門違いではないのだが、
「勘弁してよ。昨日の鍋の余りが冷やしてあるから。ピザはマジで勘弁してよ」
「えXXXぇ~!?」
初冬のからっとした空気のワンルーム。面と向かっているはずなのに通話越しに音割れしたような頓狂な声を妹はあげる。
「あのしなびた白菜と鶏肉の余りでディナーしろっていうの?? 妹をひとり家に残して?? 可愛い妹をだよ???」
「可愛いと思ってるから野菜を多めに入れたんだよ風邪ひかないように」
「儚い妹を??」
「実在危うかったんだ」
「か弱い妹を??」
「コロケーション的にはたぶんそれだね」
とはいえ、この妹が高校二年生の女の子にしては相当図太いほうであることをわたしは知っている。
一年間イギリスへ留学し、帰国するや否や告知無しにわたしの家のありかを探り当て、居候し、なんとなく住み着いたのがこの嘉村渚沙なのである。海外渡航の影響か日本語が少し怪しくなっているところがあります。
可愛く儚い高校生の渚沙は当然稼ぎがバイトでの泡銭しかないので、彼女の生活費や学費を工面するためにわたしたちは質素の中の下の生活を余儀なくされており、帰国当初の渚沙にはまだ残っていた慎ましさも今やどこへやら、わたしが家をあけることを食事確変タイムだと捉えているふしがある。ピザなどという色気づいた要求を家の長として呑むわけにもいかず、
「ちょっと最近は家計がマジでヤバいから、勘弁してよ」
わたしはマジで勘弁してよの一点張り。
「そんなぁ~~! あたしのお姉ちゃんへの好感度下がるよ??」
「別にあんたのこと攻略しようとしてない」
「じゃあせめてさ~あたしも一緒に連れてってよ~! どうせいつもの先輩でしょ?? 攻略しようとしてるんでしょ? てか今日マジで寒いんだけど暖房解禁していい??」
「ダメに決まってるでしょ。あと暖房もダメに決まってるでしょ」
光熱費などというのは心の贅肉で、暗い部屋で重ね着でしのぐわたしたちの冬が今年もやってきた。
「てかあんた、今日もバイトじゃないの?」
「あーそうだった!! 今日は単発のバイトで法外な金が手に入るんだ!」
「法外じゃなくていいから頑張って稼いできてね。何するか知らんけど」
「へ~~い」
気の抜けた返事を漏らす渚沙を尻目に身支度をしようとすると、視界が急に覆われる。
布で目を覆われている。
「これ巻いていきなよ」
妹の匂いがした。
「可愛い妹であるところのあたしはお姉ちゃんの恋が実ることを心から願っているのでこのマフラーを託すね。これは勝負マフラーでどうして勝負かというと今朝のテレビの星占いでかに座のラッキーアイテムがマフラーだったから」
わたしよりも更に身長の低い、二歳下の妹は得意げにサムズアップする。
かに座じゃなくてふたご座だけど。そもそもうちにテレビないけど。悪気がないというのはかくも癒されるのだと、高卒新卒のわたしは思い知っており。
ゆえに免じて妹の好感度を10ポイントあげてやって、わたしは家を出ていた。
そうして別れたはずの妹が、大山の家に既にいた場合はどうすればよいでしょうか。
「あーっ!! お姉ちゃん!? なんでお姉ちゃんいるの!?」
物の散逸した床にちょこんと座る渚沙は、わたしを指さし悪気なく驚いた様子である。
「なんだお前この人の妹なのか世界は狭いというのは本当なんだなあ」
靴を乱暴にぬいで廊下を進む大山には逆に、悪気の容疑がかかっている。
自らの家に招いた二人が実の姉妹だったという贔屓目に見ずともかなりの偶然に対してどうしてこうも平然としているのか、もしかして作為なのかという疑い。
そもそもどうして妹(未成年・女子・高校生)が大山(青年・男性・無職)に招かれているのか、わたしの一存で警察沙汰にできるのではないかという疑い。
「おっと憶測で俺の印象を悪くするのは勘弁だぜ嘉村さん、いや君たちが姉妹なのであれば苗字呼びは一意性を損ねるな、嘉村茉希さん。俺は公式に雇用を募集してこの嘉村渚沙さんの応募にこたえて契約関係を結んだだけだ。ところで家は散らかってしまっているが適当にかき分けて座ってくつろいでくれ」
豪徳寺は駅徒歩十五分のワンルームはベッドに衣装タンスなど最低限の家具しかなく、ビール缶やコンビニの袋、衣服などが「散らかっている」の辞書のように散らかっており、なにがしかの事件現場だといって見せられても納得してしまうくらいだった。
とはいえ一応よその家ではあるので慎ましさは捨てきれずにいつつ、大山の言葉にあまえて、ローテーブル周りのものものをどかして座るスペースを作った。
正面には渚沙が座っている。大山はずかずかと奥のデスクへ行き、モニターがいくつもあるパソコンを起動していた。灰色のカーテンは閉め切られており真昼間のはずなのにどんよりと薄暗い雰囲気。
──わたしの土曜日、なんでこうなった。
しかしこれも秋田先輩からのきっての頼みである。仕事である。使命である。
とはいえわたし先輩に良いように言い様に使われているだけなのでは?
「大山の家へ来たくなかった」のも推して量れるというものだ。
後悔と割り切りの自問自答を繰り返していると、大山はゲーミングチェアにどかっと座ってわたしたち姉妹のほうへ向き直り、
「さて本題に入る前にひとつ断っておきたいのだが俺は確かに嘉村茉希さんと同じく勤めていた会社を辞めたもののクビではなく自主都合退職だ。と、俺の先輩としての威厳を問題なく担保したところで本題に」
「いや先輩、他にも結構断っていただきたいことがあるんですけど」
「なんだ? ああ、嘉村茉希さんより前に俺の家に招いていたことで知られるこの嘉村渚沙さんは、決して君の妹だと知ったうえで雇用したわけではない。そもそも本来は君ではなく秋田玲奈さんが来る予定だったのだからな。悪めいた作為はどこにもないから安心してほしい」
「……どうして妹を、なんの目的で!」
会話のニュアンスが嚙み合わないのについに耐えきれず、声を張り上げてしまった。
「何を心配しているのか見当がつかないが」大山はこけた頬を撫でながら、「とりあえずエロい目的ではないから安心してほしいな」
「あっさり口にした!」
お互い明言せずに察していく進行だと思っていたのに!
もう口に出して呼び捨てしてやるからな!
「お姉ちゃん、エロい目的って何?」
渚沙はきょとんとわたしを見つめており、故意か悪意か判断しかねたので無視を決め込んでおく。
「興奮してくれるな嘉村茉希さん、何故か湧いて出ていると思しき君からの誤解に対しては、やはり本題に入ったほうが良さげだな。嘉村茉希さんを招き、嘉村渚沙さんを雇用したその理由だ」
「分かりましたよ……教えてください」
「東京一帯でここ最近連続発生している怪死事件については、知っているな?」
「そりゃあ、まあ」
連日テレビ・ネットニュースを一色に染めているし、都内で生きていれば知らずに過ごすほうが難しい。渚沙も大山のほうを向いてこくこくと頷く。
「ものすごいざっくり、有能社会人らしく結論から端的にいえば」
「あなた今無職じゃないですか」
「俺は怪死事件の犯人捜しをしている」
カーテン越しに小田急線が線路を走り抜ける音が聞こえた。
「その協力をしてほしいというのが嘉村茉希さんひいては秋田玲奈さんへの伝え事、実際にバイトとして協力してもらうというのが嘉村渚沙さんとの契約だな。以上、第9話完」
「あの、ちょっと待ってもらえますか?」
大山の言うことは確かに端的だけど、それだけに当然湧くべき疑問に時間差を要する。
えっと、とりあえず……
「渚沙に協力してもらおうとしていることって、何なんですか? 犯人捜しってその、かなり危険では……」
「まずは妹に関することを訊くのか。いいお姉ちゃんだな」皮肉かどうか微妙な枕詞をはさみつつ大山は、
「しかし心配しないでほしい、所謂現場仕事の類には一切巻き込まないつもりだ。俺だってやりたくないし。お願いはずばり情報の整理だな。過去十年の東京都内における殺人事件のデータファイルがダークウェブにまとめられていて、そいつの中に件の怪死事件につながる痕跡がないか洗い出したい。んだが、それが英語かつ膨大で読めなくてな。英語が読めて金で釣れそうな人を募集したわけだ」
「なるほど、それで……」
渚沙は確かに英語がなぜか昔から堪能だ。
あと嘉村家は大変お金に困っている。
それに渚沙は留学、わたしの家に居候、などフットワークが異常に軽い。若さゆえに危険知らずというのもあるだろう。
そこまで含めて、まさに雇用する側にとっては適材適所といえるのかもしれない。
「とはいえ関わる事件が事件だし危険に妹を巻き込みたくはない、という嘉村茉希さんの思いもひしひしと伝わってくるから約束しておくが、少しでもそのような危険の兆候があればすぐに契約を解消し嘉村茉希さんへのもとへと送り返そう。第一犯人が見つかりそうになったら俺一人の手柄にしたいしな」
いまいち信用はしきれないが、大山も彼なりにわたし達へ配慮しようという姿勢を見せんとする。仮に大山が約束を守らなくたって、その時は全力で渚沙を連れ戻すけど。
我が妹は「あたし凄いことに巻き込まれてるの! 主人公じゃん!」と能天気なことを仰っているので、代わりにわたしはようやく言語化されてきた疑問をぶつけることに。
「なんで大山は犯人を捜したいんですか?」
「よくぞ聞いてくれた!」
ナチュラルに呼び捨てにしてみましたが、むしろ大山は今日一
番の笑顔を浮かべた。
「まず直接的な目的で言えば、懸賞金だ。よく「〇〇見つけたら百万円!」みたいな張り紙が駅やら交番やらに貼られていると思うがあの類だな。件の怪死事件は犯人の足跡がまったく見つからず、かつ都民にあたえる脅威が極大ということで、十一月八日現在、懸賞金一億円がかけられている」
「一億円……」
それだけきくと、大金という実感すらわいてこない。
「さてここで嘉村茉希さんの想定される次の疑問に先制を打とう、君は「なんで大山大先輩が他でもないその犯人捜しをしようとするんですか? 勝算があるんですか? お金にそんなに困っているんですか?」こう思っているだろう。答えるならば、勝算があり、それで懸賞金が得られると思ったから毎日煩わしい仕事を辞めた」
いやあなた元々ほとんど出勤していなかったでしょうが。
「勝算については──これが最も本日伝えたかったことなのだが」
大山のことばで空気がにわかに緊張する。
渚沙はローテーブルに置かれてたチョコチップクッキーを食べ始めている。
「お前たちはこの怪死事件が何年前から始まったと認識している?」
「それは……」
二週間前、池袋サンシャインシティの屋上で四人が割腹して倒れているのを皮切りに。というのが報道のお決まりであり、わたしもそれ以上の認識をもたない。
「はいわったって」クッキーを頬張っていてよく聞こえないよ渚沙。八秒ほど咀嚼嚥下の時間を設けてから、「事件の犯人さんがいつから犯人を始めたかってこと?」
「そういう事になるな」
「それなら二週間前でしょ? ニュースでも有名じゃん」
「違う。それは四年前だ」
四年前。
わたしがまだ、実家で普通の中学生をやっていた頃。
渚沙は要領を得ていない様子ではへ? と首を四十五度傾ける。わたしも様子に顕していないだけで気持ちは同じだった。
「ここ豪徳寺を含む、新宿一帯で連続殺人事件が起きたのは知らないかな。同じく当時はセンセーショナルな事件だったのだが薄情と孤独の街新宿では忘れ去られるのも早いだろう。今回の東京一帯連続怪死事件は、四年前の新宿で起きた現象といくつかの点で奇妙なまでに酷似している──犯人の足跡がおぞましい程に見つからない、犠牲者に法則性こそなけれ第一の事件から波状に現場が拡がっている、といった感じだな。で、俺はこの二つの事件の犯人が同一であると確信している」
にわかに饒舌になる大山に対しわたしたち姉妹は気おされつつも、
「その──証拠とかはあるんですか? 大山さんだけが掴んでいる証拠、というか」
つい敬称が戻ってしまう。
大山は斜め上を見ながら、口角をあげて
「証拠はないな」
ないんかい。
「証拠はないが、確信はある」
「えっと……そういう感じで犯人捜しをしている、と? それでうちの妹を雇ってまで巻き込んで……」
「四年前の新宿一帯の事件で殺された人のうちに、俺の知り合いがいたんだな。あの時の犯人も見つからずじまいだ。知り合いというか、同じ会社に勤めてたんだが」
「えっ──」
同じ会社というと。
すなわち、今わたしが勤めているその会社であって。
そんなことが社内であったのなら、いくら四年も経つとはいえ、今も語り継がれていて然るべきなのに──まったく知らなかった。
加えて。
これはいくら相手が大山だとは言え、今訊くべき事じゃないな──と思いつつも、つい訊かずにはいられなかった。
だって、わたしだって二年前に──
「その、人とは……仲が良かったんですか? 友達、というか……」
大山は否定も肯定もせず、
「サイゼ仲間だった」
わたしだって二年前に、たまたま風邪で高校を休んだ日に、同級生を全員殺されているのだ。
それもこれと関係がある──なんて運命を流石に信じてはいないけど。
あたりは暗さがほんのり主張を始め、わたしは渚沙と二人で大山の家を後にしていた。
大山の話をひとしきり聞いた後、渚沙は当初の予定通り事件のデータファイルを翻訳するバイトにそのまま移り、わたしはといえばその場ではもはや用済みだったのだけど妹をおいてお暇するのも何だと思い、作業する渚沙と大山(ほとんどFPSしていたけど)にお茶を淹れたり軽食を作ったりしていた。冷蔵庫にあった賞味期限の微妙に切れた牛肉を焼いただけのものが大山には好評だった。
その後、「とりあえず秋田玲奈さんへの伝言を頼むぜそして秋田玲奈さんへも協力を仰ぎたいってわけだ」という大山の贈る言葉を背に、渚沙は報酬金の諭吉二枚(確かに法外だ!)を握りしめ、暮れかけている空の下へ出た。この後は秋田先輩の家へお邪魔するのだけど──本当はひとりで行くつもりだったけど、行きたかったけど、先輩に近づけるチャンスだと思っていたけど──流石にこの流れで渚沙だけを家へ送り返す訳にもいかず。
ふたりで先輩の家に向かっていた。
「二万円あったらピザ何枚頼めるかな!?」
渚沙は相変わらずピントとネジの若干外れたところで浮足だっている。とはいえわたしも同じくそうなる予定だったのだけど、大山からの話の内容が内容だっただけに。
吐く息が白く、鼻の奥がつんと刺す中。また二年前の事を思い出していた。あの日は誰もがうだるような七月だった──
(続)
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