第7話 飽和無毒性水溶液
歩き続けて一時間、辺りはじゅくじゅくと出血するようなネオンに包まれていた。
歌舞伎町である。
あてもなく繁華街をぶらついていた。「この人生」を歩もうとするのならばそうするのではなく元の人生順調女の家へと帰るのが道理なのだろう。どのようなサイエンスフィクションメカニズムかは知らないが彼女の生活週間に関する一通りの記憶、ルーティーンはぼくにもインプットされていたから、今からでも目当ての電車に乗って彼女の実家へと向かうことは可能である。
もっともその選択は、少なからずこのぼく、玲奈としての人生を諦める事始めを意味する。いくら何者でもなかったぼくの人生とはいえ所謂名残惜しさがぼくを歌舞伎町でぶらつかせていた。
正直、決めかねていた。これからどうしようかと。そもそも、以後ぼくが人の形を保って言動を進めるためには当面の異常事態を全て差っ引くことが前提となる。そのうえで諸々の観点から判断してみよう、この人生順調女に成り切れるのならば悪くないような気もするし、そうするしかないようにも思える。
あるいは一連の事件の処理が終わり次第、例の豪徳寺のアパートに戻って元の「玲奈」の人生を再開しようという選択肢も考量した。この人生順調女(歩き続けて解ったが、かつてのぼくと比べて全然疲れない、人生順調らしく運動もこなしていたのだろう)この肉体だけを借りる格好である。しかしその場合、人生順調女の方が忽然と消失してしまうし「玲奈」を名乗るこのぼくが端から見れば皆さんご存じ人生順調女の顔をしているのだから、遁世する以外に繕う手立てがない。
つまり、この異常状況のなかでぼくが取るべき選択はやはり、諸々の観点を加味してもこの人生順調女に成り切ることのようであった。無論すぐにボロが出るだろう。仕事も彼女のように要領よく、また精力的にはこなせまい。あくまで次善の策である。
では、最善の策は何なのだろうか?
君と私で、もう一度世界を流離しよう。
最も良い私と、最も良い君で再び出逢えたなら──私は君に■■■■■と言える。
君もきっと私のように、次に流離した人生で「玲奈」を自覚してくれるだろうから。
夏川の言い遺したとおりぼくはかつての記憶をぼんやりと受け継いだまま、他の人生(それもかなり順調な類)に移ることに成功した。夏川の術語を借りれば「流離」である。では、夏川はどこへ流離したのだろうか? 件の青髪少女のようにまた姿を変えて、ぼくの前に現れてはくれないのだろうか? そしてまた尊大で抽象的で早口な高説を垂れてはくれないのか? それともこの「流離」という現象──死ぬと他の人間の精神を乗っ取れるなんてそもそもがオカルトに全身突っ込んだ奇跡に過ぎず、夏川はただ犬死にしてしまっただけなのだろうか?
そもそも。この夏の当初からずっと思っていたことだが──どうしてぼくなのだ? あの指折りの変人哲学者は、どうしてこのぼくを死してもなお追い続けるのだろうか?
あの自室で、少女夏川に覆いかぶされ至近に迫った彼女の様子が未だに強烈に思い起こされる。彼女の冷たい鼻先を感じた。弱々しい吐息を感じた。絞り出したような涙に触れた。けれども夏川があそこで何をしたかったのか、ぼくに何を伝えたかったのかをまるで感じ取ることが敵わなかったと思い返すとき、この数週間に毎晩語らった程度では彼女のことを少しも知れていなかった事実を再認せざるを得なかった。
夏川はぼくに「■■■■■」と告げた。その言の葉が陽炎のごとくモヤがかって聞こえるのは、かつてのぼく、そしてきっと今のぼくの人生ではそれを感受するに足らないということなのだろう。
だからこそ、夏川はぼくを殺した。あのぼくと、あの夏川では、夏川にとって不本意だからと。「夏流離譚」計画はそうして始まったのか──
──気がつくと夏川の事を考えてしまっているが、道理である。ぼくと同じように人生へ不満を抱えていて、自分なりの思考手法でその解決を図ろうとした、あの指折りの哲学者が、敢えて言えば今のぼくをこの世界に繋ぎ止めてくれている最も濃い記憶なのであって。
だとすればあまりにも手遅れにせよ、夏川の事をもっと知りたいと思って。
夏川についていくために精一杯変人ぶったぼくを、まだ捨てるには惜しくて。
ぼくは新宿駅東口前の高架下にたどり着いていた。
パトカーらしきサイレンが犬の遠吠えのように聞こえる。
当然夏川の一度目に見た死体は処理されていたが、アスファルトには血の跡が人形に黒ずんで残っていた。奥を見やるとガードレールの下に花束らしき紙袋が供じられている。あの泡をふいて醜く倒れていた肉体も、今や夏川が一時流離してきただけの器だったと解り、なんともいえない心持ちになる。
そして夏川がぼくを呼び出し、まさにここランデブーの場所での死を選んだのは、「流離」が成功した後のぼくにこのように推察させる切っ掛けとして、第一の死体を強烈に意識させるため、だったのだろう。夏川は抽象的な概念を転がすばかりでぼくに何一つ具体的な説明を与えぬまま、思惑通りに事を運ぶことに成功していたのだ。
ぼくはかの死体を初めて見つけたあのときのように、黒ずみの前で脚を曲げてしゃがんだ。黒ずみに手を伸ばし、何度かざらざらと撫でてみる。
ふと。
夏川が「自己疎外」と呼んだ労働を俎上に挙げ、世界が狂っていると嘆き合ったいつかの夜が思い出された。
夏川が肉体と精神と世界に関する問いを提起し、彼女の圧倒的な孤独を理解したいつかの夜が思い出された。
夏川の遺書を読み、忸怩たる青春を妬みとともに生きてきた彼女に共感してしまった事が、遠い昔のように思い出された。
玲奈君と話がしたいんだ、と唐突にLINEが届いたときの、何かが始まるかもしれないという不思議な高揚が思い出された。
きっとこれは走馬灯なのだろう。かつてのぼくが死に、世界へと溶け出してしまおうとしている。
夏川との事しか挙がらないとは如何に中身のない人生であったか。次のこの人生順調女での人生では哲学書ばかり読むことなく、社会へと身をやつす酔狂に興じて感受性をみがくのも悪くないと思った。
人通りはほとんど無くなっていた。そのまま黒ずみに尻をつき、仰向けに寝転がる。腰の辺りがすうすうと冷える。人生順調女は随分と気合の入れたスカートを履いていた。
「何やってるんですか」
男の低い声がした。自分の今の態勢を思い返し、はっとして上体を起こす。
声の主はぼくの知る人間だった。
「大山」
「あ、俺って玲奈さんにも認識されてたんですね。よかったー」
そうか、と思う。同期の大山はこの人生順調女にとっても同期でこそあるもの、大山はぼくをぼくでないと当然に思っている。
人生順調女としての人生を歩むべく、ひとつ予行演習をしてみよう。
「大山君こそ、今仕事帰り?」
「仕事をサボってファミレスで飲み食いしつつ思索にふけるのが俺なりの仕事だと定義するならば確かに仕事帰りですね。というかいきさつを問いたいのは俺のほうなんですけど。もしかして酔っ払って路上にぶっ倒れちゃってる感じですか? それなら俺事なかれ主義なんで素通りしますね」
「はは……酔っ払ってはないけれど、路頭に迷っている感じかな。つい仰向けになっちゃった。星座を数える哲学者じゃないけれど」
言ってすぐに、ぬかったと思った。哲学者が云々みたいな半端なレトリックは多分人生順調女ならばしない。
大山は、ぼくの顔を静かに見つめて考える素振りをした後、
「玲奈さんって、確か昇進決まってましたよね。俺仕事はサボるけどメールとかはチェックしてるんで社内報バッチリ読みましたよ。その、所謂人生順調ってやつですか?」
これはチャンスだと思った。ぼくは待ってましたとばかりに、
「うん、順調だよっ!」
「そう」
大山の表情が一瞬消えたのをぼくは見た。
しかしすぐに人を馬鹿にしたような顔つきに戻り、頭をかきむしりながら、
「羨ましいなあ。ま、相応に努力してきたんだろうし当然あるべき格差かこれは。そんな玲奈さんでも路頭に迷うことがあるとは逆に俺にとって希望ですね。じゃ、俺はパチンコ行くんで玲奈さんもいくら人通りがないとはいえ大人の女性が夜の路上で無防備に大の字になっていることのセンシティブさを客観視しつつ今後も順調な人生を送ってください」
相変わらず口振りが独自で難解である。それでは息災を、と言って大山は立ち去った。
ぼくも人生順調女の家に帰ろうと思った。京王線、調布近くの実家を目指すのである。
大山の背中が遠くなる。
サイレンが犬の遠吠えのように聞こえる。
午前七時。「他人の力で目覚めることほど、腹の立つことはない」と伊坂幸太郎の小説で一節を読んだことがあるけれど、けさの私に関してはまるで逆だった。
「お前普段どうやって自力で起きてるんだ」
私を枕元までおこしに来てくれた健志さんの背中についていき、リビングへ行くと味噌汁の湯気に包まれた。早起きして作ってくれたんだ、と私は言う。昨日お前が仕込んでくれたのを温め直しただけだ、と健志さんはこちらを見ずに食卓に座った。音量の小さいテレビニュースの音がダイニングからする。
両親が二日前から結婚記念旅行とかなんとかで家を空けており、その間は先輩に泊まってもらっていた。先輩と私の関係は親公認で挨拶も済ませている。鬼の居ぬ間になんとやら、ではなくむしろ「あなた独りだとだらけるから来てもらいな」というお墨付で。中学生みたいな扱いだ、もう二十六なのに。
「いただきます」
「うわー、四日連続かよ」
先輩は焼ジャケを箸でつつきながらテレビを見やっている。四日連続というのは、連日報道を賑わせている池袋付近で変死体が立て続けに見つかっている事件のことだ。
「すげえ何となくだが、あの二年前の日からお前変わったよな。ショック的なやつか」
「なんでそんな話するのよ」
「悪い悪い」
流れるように支度を済ませ、先輩と私は家を出た。
馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。クソリア充が無教養が低学歴がアバズレが。
先輩と別れて仕事机に着くなり無心で世界に対して毒づき、
脳内一人称を余所向けの「私」から「ぼく」へと切り替える。
あれから二年。ぼくの前に夏川は現れていない。どこを流離しているかも分からない。
けれどもいつあの哲学者が包丁を片手に馬鹿げた高説を引っ提げてくるか解ったものではないから、いつ殺されても文句は言えないから、日々を構えつつこれまで通り、レッセフェールの精神で過ごすことにしている。それが結果的に社会をうまくやる秘訣として機能しているらしいから皮肉なものである。
案外この人生順調女への擬態は滞りがない。もちろん二年前から今に至るまで、人生順長らしからぬコミュニケーション不全や仕事での失敗をはじめとした粗相のバーゲンセールであったが、まさかあの女の中身が精神が別人になっているなどという妄想を思い浮かぶ者は社会には誰一人としていないし、唯一理解してくれそうな同期(つまりこのぼく)は二年前に死んでしまった。一度コミュニティに植え付けた印象は覆らないというのが社会第一法則のようで、人生順調だけど今日は調子が悪いんだね人生順調だけどプライベートで厭な事があったんだねという看過を繰り返されてついに二年が経ってしまった。
すると、思うにぼくのような「別の精神」を自覚できてしまった者は稀少にしても、同じ現象を遂行している人間はごまんといるのではなかろうか。つまり、精神とは元より世界を流離して時々の肉体へと飛びつくものであり、記憶を失いながら世界への違和感を抱えて過ごすものなのだろうと。何かこの人生うまくいかないなと無責任にも嘯きながら。
そうであればぼくは最早「ぼく」を保つ謂われなどなく、人生順調女としての全き世界への溶解を遂げてしまったほうが楽ではないかと最近は悩んでいる。世界がそれを許してくれるようだし、人生はますます順調さを加速させている。この人生に溶けて全て忘れてしまいたい。
しかし、どうしてもそれが敵わない。「ぼく」を忘れられないのである。
だからぼくにとって、狂っているのは相変わらず世界のほうのままだ。
ポケットに入れていたスマートフォンが震えている。バイブレーションの法則的に上司からの営業資料の催促であろう。ぼくは人生順調らしく3コール以内に電話に出て、「すみません、今夜中にお送りします!」と快活に答える。そして電話を切ってからすぐに、誰にも聞こえないように舌打ちをかましてやった。
世界が狂っていると信じ続けるのは、即ちこの「ぼく」を自覚し続けることであり。
ぼくの壮大な「流離譚」が始まったあの夏を忘れないでいることであり。
それは紛れもなく、夏川がぼくに望んでいたことであって。
だから次に出逢った夏川がぼくを刺し殺せなかったとき、やはり嗤いながら「世界は狂っている」と言い合うことにしよう。そうやって、この世界へ意趣を返すことを今後の生きがいにしてやろう。それがぼくなりの、玲奈の精神を忘れずにいた証──故にあの哲学者へのラブコールである。
(「肉体と精神に関する夏川の論考」:完)
(”Summericle” is here)
(第二章へ続く)
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