9縛 カッコ悪い

「今日、帰ったら確かめたいことがあります。おうちなら、コンプライアンスに違反するような事にはなりませんよね?」



 返事は、出来ない。



「付き合ってくださいね」



 生唾を、呑み込んでしまった。どこかに、タオルはないか?顔を押し付けないと、決意が鈍る。



「……チクショウ」



 しかし、どこにも見当たらない。だから、俺は深く息を吸い込んで、校舎の壁に思いっきり顔を押し付けた。



「な、なんですか!?ボーリング玉が割れたような音がしましたよ!?」

「いや、何でもない。転んだ」

「時生さん!?血!血が出てますってば!」

「いや、出てない」

「出てるって言ってるんですよ!こ、このアホぉ!」



 痛すぎて泣いちゃいそうだが、思考力を繋ぎとめられて本当に良かった。夜になるまで、方法を考えておこう。



 ……それから、俺たちは止血をして合流し、昼飯を食べた。おかずの内容が同じだとバレない様に、手早く掻っ込んで。その食いっぷりに満足してくれたのか、京は笑っていた。



からい……」



 問題は、京は料理が下手だという事だ。本人は、普通の調理では味がしないのだろうか。手順や見た目はいいのに、調味料をあり得ない程ぶっかけているせいで、濃くて舌が痺れてくる。



 ただ、本人はおいしそうに食べているのだ。味覚が麻痺しているのも、精神疾患の症状なのかもしれない。



「よかったね、時生。矢箕さん、楽しそうだった」

「あ、あぁ……」



 俺と遥は、中庭の端にある自動販売機の前に来ていた。喉が渇き過ぎている。もう、これで二本目のお茶。未だに、口の中がビリビリだ。



「でも、ライバルは多そうだね。中庭にいる男子は、みんな彼女に注目してたよ」

「そ、そうだな。まぁ、頑張るよ」

「うん。前みたいにならない事を、心から祈ってるよ。応援してる」



 そう言って、遥は俺の肩を叩いた。こいつ、まさかそれを気にして京に声を掛けたのか?俺が立ち直ったのを知ったのが嬉しくて、協力しようとしてくれてたのか?



 嬉しいじゃねぇか、コノヤロウ。



「……矢箕は、俺の出身も貧乏も気にしねぇよ」

「お、何だか信用してるみたいだ。さては、既にひと悶着あったな?」



 しまった、思わず本音を。



「と、とにかくだな。機会が来たら、遥には事情を話すよ。それまで、待っててくれ」

「はいよ。それじゃ、また今度な」



 そう言って、あいつは自分の3組へ帰って行った。もし、今ので京に怒られるとしても、俺は後悔をしない。



 ……その日の夜、やっぱり微妙な京の料理を食べて、俺はラジオを聞いていた。流れているのは、若干古めかしいシティポップ。ジャジーなイメージを持つ音楽を、俺はかなり気に入っている。



「時生さん」

「その前に服を着ろ」



 バスタオルを巻いた姿で、京は俺の隣に座った。そして、俺の言葉も聞かずに素肌のままでピッタリくっつくと、脱力して俺に体重を預けた。頼むから、無視は止めてくれない?



「髪の毛、拭いてください」

「……恥ずかしくないのか?」

「凄く、凄く凄く恥ずかしいです。でも、それ以上にドキドキして、変な気持ちになるんです」



 熱を持った肌は、関節の部分がピンク色に染まっている。見下ろした乳房の上の部分も、張り詰めているせいか――。



「タオル、そっちのタオルを寄越してくれ。巻いてるヤツじゃないからな」

「はい」



 長い髪は、いつの間にか高級で上品な香りから、俺が薬局で買っている高くないシャンプーの匂いに変わっている。

 高くないと表現したのは、一応安売りしているモノを止めて、俺は使わないトリートメントとセットになってる普通の商品を購入したからだ。



 綺麗な髪の毛は、見るだけでいい気分になる。こればっかりは、俺の趣味だな。



「痒い所、あるか?」

「ないです、えへへ」



 無邪気だ。京は、こういう時に本当に子供のような笑顔を見せる。肌の色が温かいからなのだろうか。心なしか、本来よりも明るい性格のイメージが浮かんだ。



「それでですね?時生さん」



 何となく、何を言おうとしてるのかは分かった。



「なんだ」

「変な気持ちの話です。好きと連結した、蕩ける不思議な気持ちの話です」



 言って、京は俺の正面に座り直した。バスタオルのまま。湯気の立ったまま。



「……あぁ」

「多分、時生さんは知ってるんですよね?だから、昼は誤魔化したんですよね?」



 本当に、頭のいいヤツはやりにくい。理性と一緒に、知性まで消え失せてくれていればどれだけ楽だったか。



 ……もう、肉を切るしか骨を守る方法はないのだろう。一気に突破されるよりは、その方が余程マシだ。



 だったら、一番浅瀬の部分にある肉体言語でも教えるしかない。その場しのぎにしかならない事は重々承知だが、言葉で乗り切るには京を知らな過ぎる。戦闘力で言えば、間違いなく俺が下だから。



 仕方ない。そう、仕方ないのだ。俺だって、ずっと方法を探してたさ。たけど、見つからなかったんだ。しょうがないんだよ。



 カッコ悪い。



「……ハグだ」

「ハグ?相手を抱き包む事ですか?」

「そうだ。父親にやってもらったり、してないのか?」

「いいえ。物心付いた頃には、秋津の母の美智子が目の前にいましたし。たまに帰ってきても、両親はずっと仕事をしていますから」

「……そうか」



 それは、悲しいな。京。

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