3縛 アーメン

「まぁ、無理な願いだな。俺は、普通の学校生活を送りたいんだよ。帰るからそこをどいてくれ」

「帰るとは?もう時生さんのお部屋の物は、すべてこの家に移してしまいましたよ?お布団とちゃぶ台以外、ほとんど何もありませんでしたけどね」

「……なに?」



 ここに来て、初めて真っ直ぐに矢箕の目を見た。目の奥の色が、真っ黒に塗り潰されているような気がする。それに、白い肌が蒼白にまで冷めている。頬は少し、朱が滲んでいるように見えた。



「時生さん、一人暮らしでしたもんね。恵まれない境遇にもめげず、高校に通いたい一心で優月学園ゆうつきがくえんの特待制度を利用するために成績上位をキープするなんて、本当に凄いですよ。凡夫には、絶対に叶わないことです」



 優月学園は、国内トップクラスの入試難易度を誇る名門私立校だ。金持ち以外の生徒は、みんな俺のような特待生。援助を貰えるのは学力テスト上位二十位まで。特待生は、必ずそこに入らなければならない。



 しかし、なんで過去の事まで知ってるんだ?俺は、誰にも話したことは無い。



「俺の事を、どこまで?」

「あまり、多くはありませんが……。薬師時生さん、16歳。誕生日は12月24日、血液型はAB型、出身は神奈川県の港町。ご両親は他界されていて、小学生までは『なでしこ』という施設に住んでいました。身長は178.3センチ、体重は70.6キロ。プロポーションの秘訣は、毎日欠かさない10キロ程度のロードワークと自重トレーニング。その黒い短髪は、駅前の理容室『ヘアサロンfam』でカットしています。好きな食べ物はサンマの塩焼きと切り干し大根。嫌いな食べ物は無しです、偉いですね。好きな女性のタイプはロングヘアでスレンダーで誠実な人。まぁ、ここはそのうち『矢箕京』になるので問題ないでしょう。ならなかったら、世の中の私より細い人を皆殺しにしていきます。そうすれば、相対的に私が一番になりますから。……それはそれとして、少し強面な見た目とは裏腹に、実は中々の読書家です。理由は、苦学生の為お金の掛からない趣味を探して図書館に行き――」

「もういい」



 多分、こいつは俺のケツの毛の数まで知っているのだろう。全部聞く必要はない。というか、聞きたくない。どうやって、調べたんだろうか。



「そんなに捲し立てて、脅しのつもりか?」

「違いますよ。ただ、時生さんがここに居てくれればいいんです。家族になりましょうよ。一人ぼっちなんて、寂しいじゃないですか」



 その言葉は、妙に俺の癇に障った。この気持ちは、知能や体の不自由に気を遣われる事と、とても似ているんだと思った。



 要するに、劣等感だ。



「同情のつもりかよ。お前の散々口に出してる歪なモンは、きっと捨てられた子犬を拾う感覚によく似てるぜ」

「そうじゃないです。私は、ただ時生さんが欲しいだけです」

「ダメだ。俺は、俺の選んだ生き方をする。それに、バイトも一人暮らしもかなり気に入ってるんだよ」



 言うと、何故か矢箕は俺の人差し指に噛み付いた。甘噛だが、舌のヌルとした感触のせいで反射的に腕を離してしまった。

 すると、今度は突然涙を浮かべて、少し考えた後に離した手をもう一度手繰り寄せた。行動に脈絡がない。本当に、思いついた事を欲望のままに発散しているのだろう。



 ただ、その手にあるのは、あの日と同じ縋るような弱さと温度だった。



「……なら、私が時生さんの家に住みます。それならいいですよね?同情じゃなくて、一緒に暮らしたいだけなんだってわかってくれますよね?」



 良くない。良くないが、こいつは本当に恋愛かどうかも分からない感情に身を任せて、後先考えずにヒト一人を拉致するサイコな女だ。カッコつけて逆らえば、マジでなでしこに危険が及ぶかもしれない。



 理外からやってくる恐怖には、何物にも代え難い不安を押し付けられる。そんな恐怖を持つ矢箕が、個人を調べ上げる方法を知る矢箕が、言葉通りに危害を加えないと信じられるか?気が変わって、なでしこが危険な目に晒されたらどうする?それが、100%絶対に無いと言い切れるのか?



 ……無理だ。なら、俺があいつらを守らないと。



「わかった、いいよ」

「よかった。もし断られたら、泣いちゃうところでした。私の知らないところで他の女と話なんてしてたら、多分頭がおかしくなります」



 いいや、お前はもうおかしいよ。



「因みなんだが、他の女と話したらどうなるんだ?」

「アラスカの山奥で、死ぬまで私に『愛している』と言い続けてもらいます。大丈夫です。そこは矢箕家の別荘ですし、二人なら凍えたりしません。温め合いましょう」

「何が大丈夫なんだよ。……じゃあ、喋らなかった場合は?」

「時生さんのおうちで、二人の子供を授かり幸せな家庭を築きます」



 なんか、乾いた笑いが出てしまった。どう考えても達成不可能なのに、言う通りにしても結末に変化がないだなんて。なんて、ふざけ倒したタスクなんだろうか。



「まぁ、云々の話はさて置こう。とりあえず、俺の荷物はすべて元に戻してくれよな」

「わかりました。それでは、早速行きましょう。すぐに行きましょう」



 という事で、俺は日本の治外法権から脱出を果たし、その対価としてヤバ過ぎる同居人が出来たのだった。まぁ、一先ずは近くに置いておいた方が安全だろう。



 それにしても、どうしてこんな事になりやがるんだ。半年前の出会い方なら、今日の偶然の再会だったなら、俺たちはもっとロマンチックで慎ましやかな関係になるところだろうが。



 チクショウ。矢箕も世界も、本気で狂っていやがる。アーメン。

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