2縛 狂気の病

「俺の名前、知ってんだ」

「は、はい」



 薬師時生やくしときお。それが、俺の名前。中庭の掲示板で、確認したんだろうか。



「もう、元気になった?」

「あの、えっと……」

「そ、そうだよな、ちょっと答えにくいよな。悪かった」



 謝ると、唇を噛み締めて深呼吸をしていた。きっと、他人の知らない自分の姿をバラされるんじゃないかって、心配しているんだと思った。噂に聞いていた社交的な性格とは、かなりズレた反応だったからだ。



「でも、安心してくれ。別に誰かに言ったりするような気はないし、理由を問い正すような気もないんだ。ただ、ずっと気になってたからさ、思わず聞いちまったんだよ」



 矢箕は、尚も深呼吸をしながら上目遣いで俺を見ていた。何となく、警戒されているんだと思ったから、適当な話題で誤魔化した。



「そういえば、あの時よりもかなり髪が伸びてるよな。そのせいで、すぐには気が付かなかったよ」



 そして、答えあぐねてる間に別のクラスメイトが集まってきて、不自然でぎこちない矢箕との会話が終わって、俺は俺で他のヤツらと話をしていた。

 その後は、体育館で全校集会をして、戻ってホームルームを終わらせて。帰る前に、春休み前に借りていた本を返しに図書室へ――。



「そうだ。図書室から出た後に自販機へ行ったら、長期休暇のせいで飲み物が全部売り切れてたんだ。そこで、お前が現れて……」

「お茶を渡したんです。何の疑いもなく、『ありがとう』って言ってくれましたね」



 そこからは、記憶がない。話の通り、眠ってしまったところを拉致されたんだろう。つまり、半日くらいは意識がなかったって事か。スッキリしたぜ。



「それで、どうして俺を拉致ったんだよ」



 訊くと、矢箕は不気味に笑った。



「……ふふっ。全部、時生ときおさんのせいなんですよ?」

「俺の?」



 当然、心当りはない。



「私は、うふふ……っ。私は、二度目に会った日からずっと知っていました。時生さんが同じ学校に通ってる事も、同じ歳だって事も。でも、何度すれ違っても気が付いてくれないから。あなたは私の事を覚えていないって分かったから。だから、ずっと見ているだけの人にしようって思ってたのに」



 言葉を区切って、唇を噛み締めて、深呼吸を……。いや、呼吸を荒らげていた。それはきっと、クラスで会った時と同じ仕草だった。



「あ、あ、あんなに優しくされたら、もう抑えきれるワケないじゃないですか!この半年間、どれだけあなたの事を想っていたか分かりますか!?好きで、好きで好きで、好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで!好きで好きで大好きで仕方ないのに!あなたの事を知れば知るほど、これ以上ないと思っていた気持ちがもっとずっと高まっていくんです!我ながら、よくもこれだけ耐えられたと思います!でも、それはあなたが私を知らないと諦めていたからです!諦められていたからです!なのに……、なのになのになのになのに!!あなたは、私の事を覚えていた!!ずっと心配してくれていた!!髪が伸びたことにも気が付いてくれましたし、あの夜と同じように私の本当の居場所になってくれたんです!!笑った顔が、新学期早々に疲れた私を癒やしてくれてたんです!!本当に、心臓が壊れちゃうんじゃないかと思いましたよ!!」



 ……こいつは、一体なんだ?何の冗談だ?俺は、何に巻き込まれているんだ?



「でも、そこまでなら私だって実力行使なんてしませんでしたよ。我慢しましたとも、えぇ。……しかし、時生さん。あなたは!3回も私以外の女と!私の目の前で会話をした!!」



 いつの間にか、矢箕は俺の上に跨って肩を掴み、頭上から俺を見下ろしていた。その狂気的な姿に、俺は思わず意識を奪われていた。



「だから、拉致したんですよ。そんなの、決まってますよね。当然の事です」



 だが、すぐに気持ちを持ち直して。



「そんな決まりがあるか、このアホ」

「ふぎゃ」



 ポコっと、矢箕の頭にチョップを落としたのだった。何考えてんだ、この女は。



「いてて……」

「ツッコミどころは満載だが、とりあえず一つだけ。お前、何が目的なワケ?」



 この瞬間、俺は矢箕京という女に対しては、喜怒哀楽とは別の感情を以て接する事に決めた。そうしていないと、とんでもなく疲れてしまいそうだからな。常識は、間違いなく通用しないし。



「時生さんを手に入れた時点で、他の望みなんてないですが。まぁ強いて言えば、『おはよう』から『おやすみ』までずっと手を繋いでいて欲しい。というくらいでしょうか」

「ライオンか、お前は」

「が、がお……?」



 そもそも、お前のモノになった記憶はない。中世に生きていた南アメリカの奴隷も、きっとこんな気分でいたのだろう。

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