第54話 毒牙
金曜の夜、田所と沙耶香は、手を繋いで歩いていた。すっかり仲直りしたのか、互いに笑顔を向け合っている。
夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、それは恋人関係の男女にも当てはまるようで、あれほど揉めていた2人が、以前より親密になっている。
「久しぶりの食事だったけど …。 かなり良かったかも! ねえ、雅史はどうだった?」
「あっ、うん。 俺も、楽しかった。 沙耶香が来てくれて本当に嬉しかった。 君さえ良かったら、また、誘いたいけど …。 でも…」
田所は、まるで何かを思い詰めたように言葉を呑み込んだ。
「何よ、途中で言うのを止めたりして。 私は、もう気にしてないわよ。 今日は、凄く気分が良いわ」
アルコールが効いているせいもあり、沙耶香は自分の気持ちをストレートに表現した。
「ああ、俺も …」
しかし、田所は歯切れが悪い。
武井に沙耶香を差し出す約束をしたことを、後悔していたのだ。
あれだけ嫌っていたのに、素直になった彼女を見て、堪らなく愛おしくなっていた。
「不思議ね。 冷却期間をおいたせいか、雅史が、前より素敵に見えるのよ。 ねえ、私を抱いて!」
沙耶香の顔が真っ赤になった。
アルコールが効いているようで、大胆になっている。
しかし、その言葉を聞いて、田所の罪悪感は最高潮に達していた。
まさか、彼女がこんなにシオらしくなるとは想像もできなかったのだ。
沙耶香のことが、素直に可愛いと思えた。
それからの、彼の行動は早かった。武井たちに発信していた、GPSの位置情報を直ぐに切った。
「沙耶香、引き返すぞ!」
田所は、ナイト作戦を阻止したかった。武井の報復さえも恐れなかった。
彼も、アルコールで気が大きくなっていたのだ。
「何で、引き返すの? この道を抜ければホテル街なんだよ。 抱いてくれないの?」
沙耶香は、頬を膨らませた。
「いや、今日はラブホはやめて、豪華なホテルに泊まりたい気分なんだ」
「私のために?」
「もちろんさ! 急ぐぞ」
田所は、沙耶香の手を引っ張り、人が多くいる繁華街を目指した。とにかく、武井の毒牙から、彼女を守りたかったのだ。
いや、美人の沙耶香を武井に差し出すことが、惜しくなったのかも知れない。
何れにしても、心変わりしたことに変わりなかった。
「ちょっと、そんなに早く歩けないよ …」
沙耶香は、息を切らしていた。
「タクシーを見つけたら、拾うから我慢してくれ」
そう言って、沙耶香に話しかけた時である。
いかにも悪そうなチンピラ2人が、不敵な笑みを浮かべながら近づいて来た。
逃げようと思い振り返ると、いつの間にか、背後にも3人のチンピラが立ちはだかっていた。
田所と沙耶香は、チンピラに前後を挟まれたかたちだ。
「なに、あの連中?」
気の強い沙耶香は、臆せずに話しかけるが、それに対し、田所は青くなって震えていた。
「よっ、ご両人! 仲が良さそうで羨ましい。 俺ら、寂しくてよ …。 一緒に遊んでくれない?」
「ほほーう。 凄げー可愛いじゃねえか! 彼氏さんよ、俺たちに恵んでくれよ!」
チンピラ2人が、大声で叫ぶように話した。
と、その時である。
「キャー」
沙耶香が、凄まじい悲鳴をあげた。
背後から、チンピラの1人が抱きついてきたのだ。気持ちが悪い。
ボスッ!
それと同時に、もう1人のチンピラが、田所の背中をイキナリ殴りつけた。
彼は、地面に転がった。
しかし、それだけで済まない。今度は、容赦なく脇腹を蹴り上げた。
「ウグッ」
田所は、食べた物を吐いた。
「雅史、大丈夫?」
沙耶香は、泣きながら心配した。
「おいおい、汚ねえな。 綺麗な彼女の前で、イケメンが台無しじゃんか!」
男たちは、指差して笑った。
それに対し、田所は涙を流し悔しがっている。自分が蒔いた種とはいえ、後悔していた。
武井から、彼女に嫌われるようなセリフをはけと言われたが、それどころではなかった。自分が無力で、情けなかった。
そんな、彼が絶望していた時である。
1台の高級外車が停車し、そこから男が降りてきた。
高級スーツで着こなしたその男は、修羅場のような、この状況に割って入り、いきなり1人のチンピラにハイキックを放った。
「何だ、テメエ!」
5人のチンピラは男を囲み、一斉に殴りかかった。しかし、まるで歯が立たない。次々と倒されてしまった。
「覚えてやがれ!」
チンピラたちは、ほうほうのていで逃げて行った。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
助けてくれた男は、顔に傷があったが誠実そうに見える。沙耶香は、感激して見つめた。
「お強いんですね。 何か、武道をやってるんですか?」
「はい。 空手を長くやっていました」
男は、白い歯を見せて笑った。
「あれ、雅史がいないわ」
沙耶香が、周りを見ると、倒れていたはずの田所の姿が消えていた。
「お1人のようでしたが? どなたか、お連れの方がいたんですか?」
「はい」
沙耶香は、凄く心配そうに返事した。
「恐らく、あまりの恐怖で、大切な人を置いて逃げたみたいですね。 だとしても、彼を責めないでください。 普通の男は、そんなもんです」
「私を置いて逃げた …」
沙耶香は、田所を見直し始めていただけに、凄く残念そうだ。
「もし、良かったら送りますよ。 あっ、私は怪しい者でありません」
男は、沙耶香に名刺を差し出した。
「社長さんなんですね」
「はい、不動産関係の会社を経営しております」
名刺を受け取ると、沙耶香は、男が乗って来た高級外車の方に目をやった。
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