第49話 夜の走り込み

 田所は、香澄を見て嬉しくなった。


 毎夜、空手道場で、来る日も来る日も彼女を待ち続け、やっと会えたからだ。


 それに、毎日が酷い筋肉痛で、不満が爆発し退会寸前だったから、ギリギリのところで香澄に会えて、喜びもひとしおだった。



「運動をいきなりすると、最初は筋肉痛とか酷くない?」


 香澄の読みは、図星だった。



「体力には自信があるから、大丈夫だよ。 俺は、空手の経験がないから、まずは、基礎体力作りが必要なんだ。 香澄さんは、これから何をするんだ?」


 田所は、平常を装い嘯いた。



「私は、子供の頃から空手をやってるから、それなりのキャリアがあるわ。

 この道場で、剛武流の真髄を学びたいの。 かなり特殊な流派なのよ。 ここで教わった型を、繰り返し練習し、それを基に、組み手による実践練習をしてるわ」


 香澄は、淡々と話したが、田所には理解できなかった。



「香澄さんは、何の目的で空手を習ってるんだ?」


 田所は、純粋に不思議に思った。美しい香澄と格闘技が、どうしても結びつかなかったのだ。



「父が空手をやってた影響もあるけど、今は、自分の精神修養の意味が大きいかな。 続けていると、本当の意味で自分自身をコントロールできるようになる。 これが人生において結構役に立つのよ。 でもね …。 この境地に至るには、長い年月が必要よ」



「じゃあ、俺は、遅すぎたのか?」


 田所は、バカにされたような気がして、少し腹が立ってきた。



「そんなこと無いわ。 目指すところは、人によって違うから。 あっ、時間がないから …。 私は、そろそろ練習に入るわ」


 香澄が、話しを切り上げて行こうとした時、田所が、慌ててそれを制した。



「あっ、ちょっと待って! 君に、ひとつだけ、お願いがあるんだ?」



「なに?」


 香澄は、田所を真剣な表情で見た。



「筋力トレーニングの後、道場の外に走り込みに行くんだけど、門人として、一緒に走ってくれないか? 1人だと寂しくてさ …。 ダメかな」


 田所は、縋るような目で訴えた。



「良いわよ。 それで、どこを走るの?」



「道場裏手の、市街地の道を走ってるんだ。 約8キロくらいかな …。 暗がりもあるけど、何かあれば、俺が守るから!」


 田所は、鼻息荒く、自信ありげに答えた。

 


「フフッ、頼もしいのね。 分かったわ。 型を一通りやったら、走り込みに付き合ってあげる」



「ありがとう。 俄然やる気が出てきたよ!」


 田所は、最高の笑顔で話した。



「田所さん。 ストレッチを十分にやるのよ。 でないと怪我をするから」


 香澄は、親しみを込めて言った。



「分かってる …。 でも、ストレッチの前に、用を足してくる」



「ダメね。 練習の前に済ませるものよ」


 香澄に言われ、田所は少し恥ずかしそうな顔をして、トイレに向かった。



 田所がいなくなると、香澄は、道場の中央で型の練習を始めた。



 田所は、トイレに着くと、スマホで誰かに連絡を取っていたが、終わると不気味にニヤついた。



 その後、道場に戻ると、香澄が型の練習をしていたので、それを観察した。

 太極拳のようにゆったりとした動作で、およそ空手らしくない。

 田所には、踊っているようにしか見えなかった。


(なんだ、キャリアが長いとか言ってたが、口だけだな。 彼女には、俺でも勝てそうだ)


 田所は、心の中でほくそ笑んだ。



 香澄が演舞している型は、相当長く、50分程度続き、やっと終わった。

 田所は、待ちかねたように香澄のそばに駆け寄った。



「香澄さん、これから走り込みに行こう!」


 田所は、嬉しそうに声をかけた。


 しかし、彼女をよく見ると、かなり汗をかいており、息づかいも荒い。

 体力がないように思え、このまま走り込みに行けるのか、心配になってきた。



「疲れているようなので、少し休んでからにする?」


 田所は、気遣うように話した。



「ううん、時間がないから直ぐに行くわ。 追走するから、前を走って」


 

「ああ、分かった」


 田所は、香澄からの以外な返事に、少し驚きつつも頷いた。




 その後2人は、夜の走り込みに出発した。



「香澄さん …。 ハッハ〜 …。 大丈夫 …。 ハッハ〜」


 田所は、1キロほど走った地点で、香澄に声をかけたが、息が切れ、まともに会話ができない。


 しかし、香澄を見ると、先ほどの疲れは何処かに吹き飛び、涼しい顔をして走っていた。


 田所は、これには凄く驚いた。



「田所さんこそ、息が上がってるけど走り続けられるの?」


 香澄の声は、普段通りだ。

 さっきと違い、疲れを見せない香澄を見て、田所は不思議に思った。



 2人で、さらに2キロほど走り、街灯がなく、暗くて人通りがない場所に差し掛かった時である。


 5人の悪そうな男たちに、突然、行手を遮られた。



「ほほ〜う。 強そうなおふたりさん、どこに行くの? それって空手着だよな。 お〜う。 カッケ〜。 シビれる〜!」


 頬に傷がある、いかにも悪そうな男が、両手を広げ、白い歯を見せた。



「なあ、そこのきれいな彼女。 俺たちに付き合ってくれよ。 なんであんた見たいな美人が、格闘技なんてやってんだ?」


 今度は、もう1人の男が、声をかけたあと不気味に笑った。



「失礼なことを言うな! 彼女に手を出したら、この俺が容赦しない!」


 田所は、臆することなく大声で叫ぶように言った。

 それを見て、香澄は可笑しそうに笑った。



「なんだ、テメー。 帯の色が白で、しかも新品の空手着のようだが、弱そうな野郎だな! この三下が、おとなしく彼女を差し出せ」


 そう言うと、もう1人のスキンヘッドの男が、田所に近づいてきた。

 


 とっ、その瞬間、田所は胸ぐらを掴み、相手をねじ伏せた。まるで、映画のワンシーンを見ているようだ。


 香澄は、さらに愉快そうに笑った。

 


「何が可笑しいんだ、このアマが!」


 プロレスラーのような巨漢の、もう1人の男が、ドスの効いた声で叫んだ。



「香澄さん、怖がらないで! 俺が君を守るから」


 田所は、香澄に目配せし、ニヤッと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る