第48話 ターゲット

 しばらくの沈黙のあと、田所は重い口を開いた。


「難しいが、ナイト作戦を実行するための、唯一の方法がある」



「何を言ってる? その女には、連絡さえできないんだろ。 どうやって誘い出すんだ?」


 武井は、イラついて口調が荒くなってきた。

 しかし、田所はそれを受け流し余裕の表情だ。

 彼は、囁くように喋り出した。



「彼女は習い事をしてる。 俺もそこに通ってるんだ。 ナイト作戦ができる場所に、何とか誘い出して見る」



「何だって?」


 武井は、聞き耳を立てるように近づいて来た。かなり興味をそそられているようだ。

 そして、直ぐさま続けた。



「でっ! その女は、何を習ってるんだ?」


 武井は、目を輝かせて聞いてきた。

 女の写真を見てから、俄然やる気が出たようだ。



「習い事は、日本古来からあり、作法を学ぶためのものだ」


 田所は、わざとハッキリと言わず、答えを誘導した。



「そうか、茶道か。 この手の女なら、ありがちな習い事だ。 スポーツジムとかなら、俺も通おうと思ったんだがな。 座って茶を飲むなんて、ガラじゃネエし、クソッ」


 武井は、茶道と思い込み、苦々しい顔をした。


 案の定、この男は、彼女に直接関わろうとしていた。

 田所は、それを見越して、阻止したのだ。


 習い事は茶道ではなく、本当は空手道だった。

 武井は、空手3段の有段者で、最も得意とする分野だ。だから、この事は絶対に言えない。


 ナイト作戦を成功させた後、武井は彼女を横取りしようとするだろう。

 奴を切り離すための方策を事前に考えておく必要があるが、なかなか思いつかない。その点だけは困ってしまう …。


 そんな事を思い、ふと武井の顔を見ると、いきなりニヤついた。



「よう。 田所は、昔から見た目だけは優男風だから、茶道が似合うよな。 違和感ないぜ。 そこで女を誘え! 待ってるからな。 ガハハハハ」


 武井は、俺の事を馬鹿にするかのように豪快に笑った。



「ああ、任せてくれ。 連絡するまで待ってくれ」


 田所は、努めて明るく振る舞った。


 

「ああ,分かった。 菱友 香澄か! それにしても良い女だな。 お前にはもったいねえ! ガハハハハ」


 武井は、再び豪快に笑った。



◇◇◇



 武井との密会から遡ること2週間前、田所のところに、空手道場から電話があった。

 香澄から、連絡を受けての事だった。


 彼は、その夜に道場を訪ねた。


 小さな道場で、看板には、剛武流と書かれていた。


 玄関で声をかけると、小柄な老人が出迎え、その後、事務室に通された。

 この老人が、道場主だった。



「今日は、仮の入会ということで、まずは修練を見学してください。 それを見て気持ちが変わらなかったら、本入会とします」



「分かりました」


 田所は、仮入会の手続きをした後、道場に案内された。


 小じんまりとした部屋で、大人数は入れない。しかしながら、本格的な雰囲気を醸し出していた。


 屈強な3人の男が、気合いの入った声を発し、型の練習をしていた。女性や子供の姿はなく、とにかく本格的だ。


 むさ苦しい玄人の道場だから、美しい女性の香澄と結びつかない。

 田所は、不思議に思うとともに、この場から逃げ出したくなった。



「こんな感じの道場です。 本当に入会しますか?」


 道場主は、田所の心を見透かしたように尋ねた。



「はあ …。 ところで、菱友さんはいないんですか?」



「ああ。 彼女が練習に来るのは不定期なんだよ。 ところで、田所さんは、菱友さんと、どう言う関係なの?」


 道場主は、不思議そうに聞いた。



「そんなに親しくはないんですが、彼女から空手の話を聞いて、僕も習って見たいと思ったんです。 でも、本格的な道場なんで、僕には場違いでしょうか?」


 田所が話すと、道場主は困ったような顔をした。



「う〜ん。 場違いとまで言わないけど …。 確かに、ここに来るのは、ある程度キャリアのある人ばかりだ。 剛武流は特殊な流派だから、口コミで有段者が集まるんだ」



「僕は、空手の初心者です。 指導してもらえるんですか?」



「正直に言って、基礎体力がないと厳しい。 最初の半年間は、体力強化のみとなる。 ほとんど自主練習だから、自分との勝負だ。 それができて、次は、型の練習に行ければ良いが …」


 田所は、少しムッとして聞いていた。

 どう見ても強く見えない小柄な老人に言われたからだ。


 彼は、空手に興味はなかった。また、道場主の話もどうでも良かった。


 だが、不定期ではあるが、香澄が来ることを聞いて満足していた。


 だから、田所は迷わず入会した。

 


◇◇◇



 あれから1日も休まずに、毎日通った。体力をつけるための自主練習に励んだのだ。

 その熱心さに、道場主や門人に褒められた。


 しかし、目当ての香澄は一向に現れない。3ヶ月が経ち、諦めかけた頃である。


 田所が、少し遅れて道場に着くと、スリムで背の高い美しい女性が、道場の奥に佇んでいた。


 田所は、その女性の元に駆け寄った。



「久しぶりです、香澄さん!」



「頑張っている見たいね、田所さん。 いろいろと聞いてるわよ!」


 香澄は、優しく笑った。以前のような突き放すような感じはなかった。


 そんな彼女を見て、田所は思わず笑顔になった。

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