第40話 母の事情

「私は、三瓶を …」


 母は、少し言いかけた後、俺をマジマジと見た。


 そして、ゆっくりとした口調で話を続けた。



「あんたは、勉強ができた。 小学校や中学校の担任の先生からも、将来が楽しみな子やと言われとった。 ほんに頭の良い子や。 だから、最高の教育を受けさせたかったんや。 あんたが東慶大学に入ったと聞いた時は、ほんに嬉しかった。 実の父親と同じ大学や! その血を受け継いだんやろ」



「ああ」


 俺は、小さな声で返事した。



「でもな …。 正直に言って、今の主人の支援がなかったら、三瓶に最高の教育を受けさせる事はできんかった。 知っての通り、私には学も取り柄もない。 夜の水商売で稼ぐしかなかったんや。 そんでも、他の人より容姿は良かったみたいで、人並みの稼ぎはあった。 でも、いつまで続くか分からん不安定なもんやった。 それに、生活がすさんで、ほんに、三瓶には苦労をさせてしもうた …」


 母は、深々と頭を下げた。



「俺は、1人で居ても寂しくなかった。 あんたが頑張ってる姿を見とったから、それを苦労と思った事はない。 幸せやった。 それを捨てたのは誰や!」


 俺は、母を責め立てた。


 

「そうなんか …。 でもな …。 33歳を過ぎた頃から、何となくやけど先が見えてしもうてな …。 このままやと、三瓶を大学までやれんと思うようになった。 そんな時に、峰岸に出会ったんや …」



「俺は、そいつの事を知らん。 どんな奴や?」


 俺は、母に畳み掛けるように言った。



「歳は、私より5歳上の50歳や。 最初に出会ったんは、政財界の有力者が集まるパーティやった。 私は、コンパニオンとして、店から派遣されたんや。 峰岸は、口数が少ない紳士的な人やった。 それから、店に通ってくるようになってな …。 最初は、付き合うとかやなくて、あくまで、お客様の1人やった。 それが、だんだん親しくなってな …。 お互いの事を知り得る仲になったんや。 三瓶も、大人やから分かるやろ …」



「・ ・ ・」


 俺は、返事できなかった。不潔に思えたのだ。

 母にだって恋愛する権利がある事を理解していたが、どうしても否定する気持ちが芽生えてしまう。複雑な感情を、どうする事もできなかった。



「奥さんに先立たれて、独り身やった。 それから、峰岸には一人娘がおってな …。 この娘に遠慮して、再婚せんかったようや」


 母の、峰岸を弁護するかのような言い方に、俺はさらに反感を覚えてしまった。



「それなら、何であんたと再婚したんや?」



「その話をする前に、もう少し聞いてほしいんや」


 母は、俺に懇願した。



「あたの姓は峰岸や。 籍を入れたんやろが …。 言い訳できん事実や」


 俺は、裏切られた思いが強かったので、突き放すように言ってしまった。



「それは、そうやけど …」


 母は、辛そうな様子だ。



「俺は、百地の姓を選んだ。 最も、あんたの相手も俺を養子にするはずあらへんから、どのみち峰岸の姓にはならん。 あんたと俺は、違う姓やから、もう他人なんや!」


 俺が強い口調で話すと、母は切なげな顔をした。それを見て、俺は少し冷静になった。



「姓なんか関係あらへん …。 あんたは、私の自慢の息子や」



「なら何で、長いこと俺に会わんかった。 なぜ、連絡さえしなかった。 自慢の息子なんて、言えんやろ。 そんなん口だけや …」



「ごめんなさい」


 母は、言い返せなかった。



「相手の娘に会った事がないから、どんな人か知らんが …。 そいつが跡継ぎなんやろ。 あんたは、その娘と仲が悪いんと違うか?」


 俺は、思わず嫌みを言ってしまった。



「そんな事はあらへん。 その娘は千歌さん言うてな …。 あんたより1歳上や。 気立てが良くて美しい人や。 誰からも好かれる娘や。 三瓶と一緒になってくれたらと願った時もあったんや」



「ばか言え。 俺とは顔も会わせなかったくせに、良く言うわ」


 俺は、再び猛烈な怒りが込み上げてきた。



「三瓶と千歌さんの事を、主人に相談した事もあったんや …。  でもな、千歌さんには、相思相愛の許婚がおって、大学を卒業した22歳の時に嫁に行ってしもうた。 だから、この娘は跡継ぎやあらへん」



「跡継ぎがおらんのか。 顧問弁護士を雇うような資産家なのに途絶えてしまうんか? まあ、俺には関係のない事やがな …」



「跡取りなら、おる」


 母は、一言ボソッと言った。



「その千歌という娘が産んだ子を、養子として貰うんか?」


 俺は、からかうように言った。



「違う、男の子がおるんよ …。 主人も、物凄く可愛がっとる」


 母は、バツが悪そうに下を向いた。



「どう言うことや?」



「・ ・ ・」


 母は、返事しなかった。



「まさか、あんたが産んだんか?」



 母は、小さく頷いた。



「いつ産んだんや? 何で俺に言わんかった?」



 俺は、初めて聞いた。母に裏切られた気がした。結婚したのだから当たり前なのだが、釈然としないものがあった。

 母とは縁を切ったのだから、何があっても関係ないはずなのに、悲しくなってしまった。



「ゴメンな、三瓶。 これから話すから …」


 母は、顔を伏せたまま口を開いた。

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