第39話 対峙

 俺は、母を一瞬見たが、直ぐに顔を逸らした。


「あなたに話すことは無い」


 また、キツイ言葉を吐いてしまった。


 無視して帰ろうとしたその時、母は立ち上がり、俺の手を強く引っ張った。

 上から見下ろしたその姿は、小さく感じた。

 無理もない。15歳の時以来、母と会ってないのだから…。 俺は、23歳になる現在までに、10センチ以上背が伸びていた。

 


「三瓶、待って。 とにかく座って」


 母の顔を見ると、目に涙を溜めていた。いくら憎いとはいえ、可哀想になってしまう。俺も、切なくなってしまった。



「分かったから手を放してくれ …」


 俺の言葉を聞いて、母は少し安堵の表情を浮かべた。



「三瓶、背が伸びたね。 どの位あるん?」


 母は、昔のように方言になっていた。



「188センチある。 中3から会ってないからな。 別れた時は 175センチしかなかった」


 俺は、淡々と答えた。



「そうやな。 あん時、私は37歳やった。 今は 45歳のおばちゃんや」


 母は、可笑しそうに笑った。



「なあ、三瓶。 私は160センチやけど …。 ほんに見上げるように大きゅうなった。 あんたの父親も背が高かったよ …。 それに、優秀なところも一緒なんや」


 

「俺たちを捨てた父のことは言うな! それに、あんたも俺を捨てた」



「悪かったわ。 話をする前に、あんたの父親の事を話さんとならん。 あん人は、私たちを捨てたんと違うんよ。 あんたが生まれた事さえ知らん。 だから、私が悪いんや」


 母は、辛そうに下を向いてしまった。



「どういう事だ?」



「妊娠した事を言わんと、私が逃げたんや」


 今まで父に捨てられたと思っていたが、今の話は初めて聞いた。俺は、実の父のことを知りたくなった。



「初めて聞く話だが、どういうことなんだ?」



「そうやな。 これから言うからな …」


 母は一呼吸おいて、ゆっくりと話し始めた。



「以前、三瓶に話した事があるけど、私は身寄りが無くて、京都にある孤児院で育ったんや。 高校を卒業してからしばらく孤児院の手伝いをしとったんやが、その生活に耐えられんで東京へ出て行ったんや。 大学近くの飲食店で住み込みの給仕をしておったんやけど、そこであんたの父さんと出会った。 背が高うて男前やったわ …」


 母は、目を細めて懐かしんでいるようだ。



「そんで、どうしたんや?」


 俺も、いつの間にか方言に戻っていた。そんな俺を見て、母は少し嬉しそうだ。



「あん人は、あんたと同じ東慶大学の学生やった。 工学部やったけど、詳しい事は知らん。 いつも、夕食を食べに来とったけど、ある日、デートに誘われてな。 最初は断っておったんやが、何度も誘われてるうちに根負けしてしもうて、一度デートをしたんや。 最初のデートは、上野の美術館とか動物園に行ったんやけど、ほんに楽しかったわ。 いっぺんで好きになってしもうた。 三瓶は、父さんによう似とる …」


 母は、俺の顔をマジマジト見て、少し涙ぐんでいた。



「そんで?」



「あんたの父さんとは、2年位付き合った。 ある日、両親を紹介すると言われて、彼の実家に行くことになったんや。 私は、身寄りが無かったから反対されると思い心細い思いをしとった。 そんなある日、相手の家の弁護士が私を訪ねて来たんや …」


 母は、泣きそうな顔をした。



「あん人は …。 東北にある名家の跡取りやった。 私は、手切れ金を渡されて、別れるように言われた。 そうせんと、相手を困らすことになると言われたんよ。 私も、そうなると思うたから、そのお金を持って京都に戻ったんや。 京都に帰ってから、三瓶がお腹にいることが分かった。 でも、あん人には連絡はしないで、私一人で育てると覚悟を決めた」


 母の強い意志を感じた。京都に一緒に住んでいた時の気丈な顔に戻っていた。



「父さんは、何て名前なんや?」



「ごめん。 まだ、言えん。 あん人は、三瓶が生まれた事を知らんから、会いに行けば必ず困らせることになる。 だから、その心配がなくなるまで待ってほしいんや」


 母は、申し訳なさそうな顔をした。



「ああ、安心せい。 俺は、会いたいと思わん。 俺は、自分1人や。 あんたとも関わらんから安心して良いわ。 俺は、もう行くしな」



「待って、三瓶。 これからが、あんたに話したい事なんや。 あんたがどう思おうと仕方ないが、とにかく話を聞いて欲しいんや」


 よほどの事情があるのか、母は、今まで見た事がないような厳しい顔をした。


 正直に言って、俺も興味がない訳でなかった。だから、母の話を聞く事にした。



「分かったが、手短に頼むわ」


 俺は、真剣な母に対し、わざと茶化すように言った。一種の照れ隠しだ。


 一緒に住んでいた頃の母なら俺を叱っただろうが、何も言わなかった。

 いや、言えないのだろう。母も、俺に対し相当の引け目を感じているようだ。



「三瓶、今、私が一緒に住んでいる人の事を話すから聞いてや」


 母は、遠慮がちに言った。


 気が強いイメージの母が、今は弱々しくてまるで別人のようだ。

 今にも泣きそうな姿を見て、俺は複雑な気持ちになっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る