第37話 遅い初恋

 田所は吸い込まれるように、香澄の顔に見入った。

 彼のその姿は、さながら目当てのものを見つけた子どものように見える。



「田所さん、私の顔に何かついてますか?」



「いえ、そんなことは …。 あのう …」


 田所は、何となく不安な様子だ。



「何でしょうか?」


 香澄は、田所の様子を興味深そうに観察した。



「香澄さんは、誰かつき合ってる人はいますか?」


 田所は、いきなり核心に迫った。



「つき合ってる人はいないけど、好きな人はいるわよ」


 香澄は、優しく笑った。


 田所は露骨に嫌な顔をした。好きな人がいると聞いて、動揺を隠せずにいた。



「その好きな人から、アプローチはあるんですか?」


 田所は、不安な面持ちで聞いた。

 香澄は、そんな彼の様子を見て、真顔になった。



「その人とは、別れたの。 でも、今でも好きよ。 自分から言い寄ることはないけどね …」


 香澄は遠くを見つめ、何かを思い出すように話した。


 田所は、その様子を見て、相手の男に嫉妬してしまった。



「なんか興味あるな。 どんな男なんですか?」



「とても尊敬できる人よ …」


 香澄は、少し悲しげな表情をした。



「俺なら絶対に別れたりしない。 なぜ、別れたんですか?」


 田所は、興奮気味に話した。



「別れた原因は、お互い進む道が違ったことかな? でも、彼とは、今でも仲が良い友達よ」 


 田所は、別れたにも関わらず相手の男に好意をいだく香澄に腹が立ってきた。

 そして、彼は真顔になった。



「香澄さん。 一目見て、あなたの事が好きになりました。 つまり一目惚れです。 俺とつき合ってください!」


 田所は、香澄がストレートにものを言う男が好きだと直感した。相手の考えを読み取る力は、彼が生まれ持った特技といえるものだった。

 これまで、悪さをしても問題にならなかったのは、この力により危機回避できたところが大きい。ある意味、天から授かった才能と言えるものだ。


 しかし、今回は違う側面もあった。


 これまで女性からチヤホヤされてきた彼には、自分が好きだと思える女性への免疫がなかったのだ。だから言った後、恥ずかしくなり身体が熱くなってしまった。この変化には、自分でも驚いていた。


 彼にとって、遅い初恋だった。



「えっ、急にどうしたの? 何か、勘違いしてるわ」


 香澄は、諭すように優しく言った。



「違うんだ。 俺は、生まれてこの方、こんな感情を抱いたことはなかった。 だから、本気だ!」


 田所は、自分の思いをたたみかけた。しかし、香澄の反応は冷たいものだった。



「気持ちは嬉しいけど、つき合えないわ。 ゴメンなさいね」


 香澄は、田所の赤くなった顔をマジマジと見た。


 彼は、世間一般にはイケメンであるが、彼女の理想にはほど遠いものがあった。

 田所は、女顔で弱々しく見える。おまけに身長も自分と同じか少し高いくらいで、非力な感が否めない。


 強い男性に惹かれる香澄にとって、田所は相容れないタイプだった。



「いきなり、変なことを言っちゃたけど、また会えないかな? 忙しいなら、今日みたいに合間でもいいからさ。 ところで、仕事は何をしてるんだ?」


 田所は、香澄の素性を調べているにも関わらず知らないフリをして、再び会うキッカケを作ろうとした。



「悪いけど仕事のことは話せない。 でも …。 私は、社会人の体育系のクラブに入ってるから、あなたも入会すれば、会う機会があると思うわ。 それ以外は無理よ」


 香澄は、キッパリと答えた。



「体育会系クラブって、どんなスポーツなんだ?」


 田所は、興味ありげに聞いた後、香澄を見た。



「正確には、入会じゃなくて入門なの。 武道だけど興味ある?」



「武道って、どんな?」



「空手道よ。 入門したいなら、道場主から田所さんに連絡を入れるように手配するわ」


 香澄は、淡々と話した。

 


「君に会えるなら、ぜひお願いしたい! 俺も空手を習いたい」



「分かったわ。 あっ、大変! ゴメンなさい、もう行かなくちゃ」


 香澄は、サッと立ち上がり和室を出ようとした。


 田所が香澄のトレイを見ると、いつの間にか料理を完食していた。あの細い体のどこに入ったのか不思議だった。



「もう行くのか? 少し待ってくれ」


 田所は、素早く帰り支度をする香澄を見て、呆気に取られていた。



「田所さん、さようなら」


 香澄は、ひと言挨拶した後、和室から出て行ってしまった。


 なす術もなく、慌てて彼女を追いかけたが、調理場を出たところで店主に呼び止められた。



「さっき、菱友さんから社員証と名刺を返すように預かってたんだ。 受け取って」



「えっ? 直ぐに戻るから!」


 田所は、社員証と名刺を受け取った後、店を出て香澄を追いかけた。

 しかし、彼女の足は早く見失ってしまった。


 やみくもに探していると、運良く香澄を見つけた。

 彼女は、運転手に促され黒塗りの高級車に乗り込むところだった。



「香澄さ〜ん。 名刺を返されたけど渡すよ」


 田所は、大声で叫んだ。



「覚えたから、名刺は要らない。 道場主に言っておくから」


 気合いの入った良く通る声が返ってきた。


 その後、香澄が乗り込むと、黒塗りの高級車は、ゆっくりと走り出した。


 

「ちくしょう、ダメだったか!」


 香澄が名刺を受け取らないため、今回は失敗したと思った。

 田所は、悔しがりながら高級車を見送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る