第35話 執念

 田所は、店主の大きな声のする方に注目した。

 そこには、背の高いスリムな女性がいた。

 目を凝らして見た次の瞬間、彼の背中に電気が走った。それは、かなりの衝撃だった。


 今まで見たことが無い、類まれな美しい女性だった。どことなく静香に似ていたが、この女性の方が気品があり崇高に見える。まさに、田所のタイプだった。


 しかも、店主に向けた笑顔はすごく可愛かった。自然に、こちらも笑顔になってしまう。



「ついに見つけた」


 田所はひと言つぶやくと、軽く手を叩いた。

 その人は、佐々木探偵事務所で見た写真の女性で、実物はさらに美しく驚くべきものだった。


 田所は、不覚にも見とれてしまい、しばらくのあいだ固まった。

 時間を経て我に返ると、何度も練習した、彼女を惹きつけるための言葉を思い出していた。


 そして彼女が、客席があるこちらに来るのを一心に待った。

 ところがその時、思いもよらぬことが起こった。彼女は、なぜか調理場に入ったのだ。


 田所は、ポカーンと口を開け唖然とした。そして店主のところに駆け寄った。



「今、そこにいた女性だが、なぜ調理場に入ったんだ? もしかして、料理を習ってるのか?」


 田所は、必死な面持ちで尋ねた。



「あっ、田所さん。 あの人が以前話した、高校生の時からの常連さんなんだ。 すごく綺麗な人だろ。 最初に見た時は、天女様が来たかと思ったよ」


 店主は、興奮気味に話した。



「それで、なんで調理場に?」



「ああ、そうでした。 高校時代なんだけど …。 この店で部活のミーティングをしたいと言われた時に個室がなくてさ、それで家の和室を使ってもらったんだ。 その後も来てくれるのが嬉しくてさ …。 そこを、彼女だけが使う専用の個室にしたんだ。 和室には調理場の奥から行けるんだよ」


 店主は、周りに聞こえないように小さな声で話した。



「そうなんだ …」


 田所は、和室に2人きりになった姿を想像し、思わず息をのんだ。



「なあ、店主。 自分も和室で食べたいんだが?」


 田所は、さりげなく聞いた。



「彼女にだけ特別なんだ。 だから、ご勘弁を」


 店主は、露骨に嫌そうな顔をした。



「それだったら、同席が可能か彼女に聞いてもらえないか? 決して怪しい者じゃない。 一応、日本を代表する企業に勤めてるから身持ちは固い。 ストーカーになんてならないよ。 社員証と名刺を渡すから、彼女に見てもらってほしい。 どうか、お願いだ!」


 田所は、店主に社員証と名刺を渡し、手を合わせた。



「あれだけ綺麗な方だから、近づきたいという気持ちは分かりますが …」


 店主は、少し不審に思ったようだ。



「多分、俺は彼女に近い年齢だと思う。 もしかすると、自分の事を知ってるかも知れない。 ダメもとで、彼女に食事の同席が可能か聞いてほしい」


 田所は適当なことを言って、再び手を合わせた。



「うーん、そこまで言うのなら …」


 店主は、改めて田所を見た。

 どこか女性的で、優しげなイケメンである。誠実そうな彼を見て、悪い男ではないと思ってしまった。

 


「わかりました。 少し、待ってください」



 店主は、調理場の奥の方に向かって行った。


 そして、和室の前に来て襖を開けた。



「失礼します」



「早かったわね! お腹空いちゃった。 野菜定食の大盛りを1ヶ月近く食べてなかったから、すごく楽しみにしてたのよ」


 店主を見て、女性は親しげに笑顔で話した。



「そうじゃないんです。 菱友さん、少し良いですか?」


 店主は、申し訳なさそうな顔をした。



「どうしました? 野菜定食に問題でも?」 


 当然ながら、女性は、菱友 香澄だった。彼女は、冗談混じりの顔で尋ねた。



「定食は直ぐにお持ちしますが、そのことじゃないんです。 最近、田所様という男性のお客様が店に来るんですが …。 何でも、上等学園高校の出身で当時を懐かしんでいるとかで、ここ2週間ほど、毎夜、食べに来ています …」


 店主は、一旦、言葉をのみ込んだ。



「その方が、なにか?」



「はい。 先ほど、菱友様をお見かけになり、ぜひ、食事をご一緒させてほしいと申し出がありました。 年齢が近いから、菱友様が自分を知ってるかもと仰ってました。 怪しい者でない証と言われ、社員証と名刺を預かってきました。 ご覧ください」


 店主は、香澄に渡した。



「田所 雅史さんて言うの。 トヨトミ自動車に勤務してるんだ。 名刺に、手書きで生年月日が書かれてるわ」


 香澄は、笑った。



「見た目は、女性みたいな感じの優しげなイケメンです。 昔、一緒に来ていた男性は怖そうでしたから、対照的かな?」


 店主は、笑ってごまかした。



「怖そうだったの? そうなんだ」


 香澄は、何かを思い出したように、すごく優しげな顔をした。

 すると店主は、その美しい顔にしばし見とれてしまった。



「田所さんは、私より少し歳上ね。 それに、私は彼を知らないわ。 今まで言ってなかったけど、私は、上等学園高校に通ってた訳じゃないのよ。 私と一緒に来ていた怖そうな彼の母校なの」


 香澄は自分のことを、店主に初めて話した。



「そうだよね。 上等学園高校は、超難関校だから、なかなか入れないよな。 でも良いんだよ、高校なんてどこを出たって! 俺なんて、都立の三流高校だったけど、こうして店をやってるもんな!」


 店主は、香澄を励ますように話した。



「そうね、店主の言う通りよ。 学歴が人を決めるわけじゃないわ。 私も大賛成!」


 香澄は、店主を見据え、しっかりとした口調で答えた。


 すると、店主は恥ずかしそうに香澄を見た。



「いらんことを言いました。 ところで、田所さんの同席の件はどうされます?」



「私は、構わないわ。 でも、そんなに時間がないから失礼かもよ。 それで良ければと伝えて」


 そう言うと香澄は、田所の社員証と名刺を店主に返した。

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