第32話 姉の香澄

 母からの着信は、これで2回目だ。もしかすると急用なのかもしれない。


 でも、母との時間は止まっているから、どうしても話す気になれなかった。


 そもそも、中学3年の時に再婚した母とは、約8年間も会話してない。

 だから、何を話して良いか分からなかった。



 いや、違う!


 俺は母に聞きたい事が山ほどあった。


 小さい頃より母と2人で頑張って生きて来たのに、再婚した途端、なぜ、俺を避けるようになったのか?


 実の息子より、相手の男が良いのか?


 元々俺の事を厄介者と思ってたんじゃないか?


 それなら、実の父と別れた時になんで俺を引き取ったのか?


 そもそも、俺の父は誰なのか、どんな人なのか?



 母に捨てられてから、俺は見たこともない父に会いたいと思うようになっていた。

 母といた頃は、俺達を捨てた父を憎んでいたが、母に見放されてからは、会った事もない父に愛情を感じていた。

 少なくとも、母よりはマシだと思いたかった。




 俺は、母と決別する決心をした。


 もう関わりたくないと思った。


 でも、本心は、これ以上傷つきたくなかったから、母を拒否していたのだ。

 本当は、自分でも分かっていた。



 俺は、自立しなければならない。何とか、自分の足で歩かねばならない。


 仕送りのみの関係の継父と母、この2人と縁を切りたいと、以前より強く思うようになっていた。


 俺は、人として強くなりたい。母を見返したいと思った。



◇◇◇



 佐々木探偵事務所に追加の依頼をしてから2週間が過ぎた。

 田所は、調査結果を聞きに事務所を訪れていた。 


 いつものソファーに座り、お茶を出され、所長の佐々木から説明を受けた。



「それでは、追加依頼された調査の結果を報告します。 姉の、菱友 香澄さんですが、現在、実家を出てマンションに1人暮らしをしています。 住んでいる場所は、港区にあるタワーマンションで、本人の名義です。 億ションといっても、このクラスの人達にとっては、どうって事のない買い物です」


 佐々木は、淡々と話した。



「勤め先は、住菱銀行の本店に勤務しており、肩書きは常務です。 25歳の若さで役員をしていますが、彼女は住菱グループの後継者ですから、この銀行の地位は通過点でしかありません。 庶民からは、想像もつかない世界です」


 佐々木は、ため息をついた。



「佐々木さん、彼女の写真はあるかな?」



「もちろんあります。 超望遠レンズで撮影した写真と、住菱銀行の業界用パンフレットに載っていた写真の2枚です。 拡大してあるので、より実物をイメージできるかと思います」


 佐々木は写真2枚を、田所に渡した。



「おっ!」


 田所は、思わず息をのんだ。



「凄い美人でしょ! 実物はもっと良いですよ」


 佐々木は、興奮気味に話した。



「確かに凄い美人だ。 妹の静香は可愛い感じだが、姉の香澄は正統派の美人だ。 比べれば、姉の方が綺麗な感じか …。 う~ん、迷う」



「田所さん、この姉妹に興味があるようですが、何で調べてるんですか?」



「それは、ちょっと …」


 田所は、目を伏せた。



「失礼しました。 依頼理由は聞きませんから、安心してください」


 佐々木は、笑った。



「ところで、彼女と話したいが方法はあるかな?」


 田所は、興味深そうに聞いた。



「勤務先の銀行で会うのは不可能です。 それに、自宅のタワーマンションはセキュリティが厳しくて無理です。 また、常に運転手付きの高級車で移動しているため、これも厳しい …」



「そうですか、困りました」


 田所は、厳しい顔をした。



「飲食等で良く行く店があれば、そこで会える可能性はありますが …。 尾行した時は、貴賓室があるような高級な店ばかりだったので、それも厳しいかと …」


 佐々木は、手帳を見ながら話した。



「庶民とは、かけ離れた場所で生活していると言うことか」


 田所は、下を向いた。



「あっ、待ってください。 尾行中に、一度だけ、信じられない所で食事をしています。 土曜の夕方に、大衆が行くような定食屋に入ってます。 学生の客が多い店かな?」


 佐々木は、スマホで地図を確認しながら話した。



「学生が行くって? 彼女の母校の近くか。 東慶大学の付近なのか?」



「いや、近くにあるのは高校です。 しかし彼女は、名門進学校の駒場学園高校の出身だから、ここは母校ではないはず。 なぜ、こんな似つかわしくない店に入ったのか?」


 佐々木は、首を傾げた。



「店の近くにある高校の名前は?」



「こちらも有名な進学校ではありますが、駒場学園高校ほどの歴史はありません。 上等学園高校です」


 佐々木は嫌な顔をして、なぜか黙った。


 そこへ、田所が口を挟んだ。



「その高校は良く知ってる。 定食屋も分かった」


 田所は、嬉しそうに叫んだ。



「どう言う事ですか?」


 佐々木は、不思議に思い尋ねた。



「自分の母校なんです」


 田所は、得意げに言った。



「それは凄い! あなたもエリートなのか? 大学は東慶大学ですか?」



「いや、自分は陸奥大学だ。 東慶大学のような頭でっかちな生徒が多いところは好きじゃない」

 

 田所は、東慶大学に落ちて、旧帝大系の陸奥大学に進学した。 

 だから、負け惜しみを言ってしまった。



「実は、私も上等学園高校に思い出があるんです」


 佐々木は、苦々しい顔をした。



「佐々木さんも、ここが母校なのか?」



「とんでもない。 こんな超難関進学校に入れる訳ありません。 昔、世話になった社長の倅が、この学校に通ってたんです」


 佐々木は、懐かしそうに目を細めた。

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