第3話

 お通夜とお葬式、桜ちゃんの涙は、流れませんでした。


 華さんは、気丈に、喪主を勤め上げました。


 僕は、出来るだけ、お手伝いしましたが、桜ちゃんの様子が、どうしても気になりました。

 表情というものを失った様に、動きの無いその顔は、整い過ぎているだけに、いつもよりもさらに、大人びて見えました。


 心配で、たまらなくなった僕は、何度も声をかけました。


「大丈夫よ、先生。お手伝いありがとう」


 そのたびに返す言葉にも、何の色も付いてません。

 いつもの笑顔は、もちろんありません。

 大丈夫のはずが、ありません。


 一週間の間、僕は桜ちゃんの事が気になり、あまり仕事が、進みませんでした。


 一週間後、出社した華さんにまっ先に訊ねたのは、桜ちゃんの事でした。


「社長、ご心配は、有難いのですが、仕事が遅れていますよ。社長は、睡眠不足から、恋する乙女たちを救うのでしょう」


「全ての人々が、幸せになれば良いけど、それが出来ると思うほど、傲慢では無いです。しかし、せめて身近な大切な人くらいは、何とかしたいです」


 後々、これこそ傲慢な考えだったと思い知らされる事になりました。


「桜は、まだ学校にも行けていません。あの娘は、主人が大好きだったので…。ショックが大きい様です」


 三日後、桜ちゃんは、登校しましたが、すぐに、学校から連絡がありました。

 華さんは、出社して間がありませんでしたが、僕が華さんを小学校に送って行きました。


 先生の説明では、全く表情が変わらず、ひと言も話さない桜ちゃんに、友人たちが心配して、教員室に駆け込んできた様です。


 そのまま家に送り届けると、華さんに、コーヒーでもと勧められ、家におじゃましました。


 リビングのソファーに座る桜ちゃんは、微動だにせず、出窓に置かれた家族写真を見つめ続けていました。


「いつも、ああしています」


 華さんが入れてくれた、温かいコーヒーは、その熱を僕の胸に分け与えてはくれませんでした。


「桜ちゃんの心は、ほとんどの部分、『お父さんが大好き』で、出来ていたのでしょうね。目の前で、お父さんが亡くなり、彼女は、心の大部分を失ってしまったと感じているのでしょう」


「本当に、お父さん大好きの娘で、あの人もたくさんの愛情を桜に注ぎましたから」


 その日、僕は、研究室に戻りました。華さんは、桜ちゃんの傍に残りました。


 

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