六 空転

 図書委員と言っても毎日当番があるわけじゃない。

 今日図書室を訪れたのは、以前借りていた歴史の本が返却期限を迎えたからだ。

 金目かねめ先輩が対応してくれた。


「……こんな分厚くて難しい本、1週間で読めるとも思えないが……」


 うっ。痛いところを突かれてしまった。

 確かに調べたいところまですら到達できていない状態だ。

 『宋』全体の歴史としてみれば『靖康の変』はちょうど半分くらいの地点にあたる。なので、意外と後半になるまでしっかり読まなきゃいけない。

 用語索引からそこの記述を拾うだけなら簡単なんだけど、深く理解しようと思ったらその前後関係まできちんと追わなきゃだからね……

 ほんと、妙なところにこだわりを発揮してしまう性分であることよ。



「この本を借りようとするのはよほどのことがない限り君くらいのものだ。別にある程度なら借りっぱなしにしたっていいんだぞ?」


「そ、そういうわけにはいきませんよ。もしかしたら授業で興味を持って──みたいな人もいるかもしれないじゃないですか。規則は規則ですから、ちゃんと元の本棚に戻した上で、それでもしばらく誰も手に取る人がいなかったらまた借ります」


「……マジメだなあ。君は。偏屈ともいえるくらいだ」

「図書委員が返却期限を守らなきゃ、一般の利用者にも悪いでしょう。先輩が不真面目すぎるんです」


「はは。相変わらず、私には手厳しい。さて少年……ただ返却するためだけに来たのではあるまい?」


「え、なんですか手伝いませんよ?」

「それは別に構わないさ。いや何、しばらく君も姿を見せなかっただろう? 久しぶりにゆっくりして行かないのかな、と思ってね」

「しばらくって言っても、1週間ですけどね」

「毎日のように顔を出していた者が1週間も空けるのならば、それはなかなか大した問題さ。これでも心配したんだぞ?」

「あ、ありがとうございます……ご心配をおかけして、すみませんでした」

「ああ、それと。しばらく来てなかった者が再び顔を出したのは、君だけじゃあないぞ?」



「──あっ!」


 『皇女』だ! いつもの席。今日は来てくれている。


「……時に少年。二人して同じ日に再び顔を出すなんて……偶然とは思えない。何かあったのかい?」

「え、なんですかいきなり。な、何も関係ありませんよ」

「あやしいなァ~~~」

「ほ、ほんとですって……」


 本当に関係ないし、偶然なんだから、そんなふうに言われても困るし、何より僕なんぞに関連付けられたんじゃ『皇女』にも悪い。


「ははは、隠さなくてもいいさ。私なんかよりもっと近くにいたい人がいるんだろう? これ以上引き止めるなんて無粋というものだろう。ささ、邪魔はしないから、ゆっくりとアオハルなひとときを噛みしめたまえ」


「……先輩、絶対誤解してますよ……」


 先輩、まるで僕と『皇女』が互いに意識しているみたいに思ってるんだろうけど。僕はともかく福井さんは、単に僕にみずからの過去がバレていないかどうかっていう心配と、僕のことが生理的に無理って部分だけでしょ……


「『皇女』──福井さんが再び図書室に戻ってきてくれたならそれだけでいいです。帰ります」


「おや、それは意外な反応だ。もしや、まだこないだのことを気にしているのかい? それなら案ずることもないと思うがね」

「……そういうわけにもいきませんよ。僕がよくても相手方がそう思ってないんなら、近づくべきじゃないでしょう」

「……ふむ。まあいいさ。今はまだ距離を置くべき時期と判断するならば、それもまたそうなのかもしれないね。しかし君は本当にそれで満足かい?」

「……」


「ほら、さっき返却したこれ。特別にまた貸しておくよ」


「あっ先輩、勝手に……」

「再返却する時まで考えておくといい。君の持つ駒をいかに指すべきか。それもまた君次第。意を誠にすとは、自ら欺くなきなり──だよ」

「? ……失礼します」

 


『しかし君は本当にそれで満足かい?』

 

 ──満足なわけ、ない。

 ……でも、僕が避けられているなら無理に近づいても逆効果じゃないか。

 急ぐな。今はこれでいいんだ。そう、今は、これで──


 モヤモヤとした気持ちが取れないまま自分の部屋で借りた本を広げたら、しおりとは違うところに何か紙が挟まっていることに気付いた。


 そのページをめくってみると、四つ折りにされたメモ用紙。

 おかしいな、前借りた時はしおり以外何も挟まってなかったはずだけど……と何気なく広げてみた。するとそこには用紙の真ん中に大きく


「ヘタレ」


と書いてあった。



 苦笑するしかなかった。

 ……わかってますよ、先輩に言われなくても。

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