三 君は私に似ている

 図書委員と言っても毎日当番があるわけじゃない。

 放課後。座席の中ではもっとも奥の方に陣取るのが──『皇女』。

 それが彼女の定位置。

 そしてそれをこっそり見つつも近すぎない位置取りを心がけるのが僕。

 話しかけるでもなく。ただ、そこに座って彼女の読書を眺めつつ、勉強もしていくというのをあれから何日も続けている。

 相変わらず用語とか人名にはうなされ続けている日々だし、内容の2割理解できてるかすら怪しいってくらいだけど、たぶん読むという行為そのものを続けていけば少しずつでもわかっていけるんじゃないかと思う。



 あの時『皇女』はこう言っていた。


『……必要だから、読んでるだけ。でなければこんな……本は、嫌い』


 この言葉は本当にショックだったと共に、予想外だった。

 毎日のように放課後通い詰めて本の虫同然に読書にいそしんでいる人から飛び出したのが「本は、嫌い」という言葉だったからだ。


 彼女のことを知りたいという欲求に支えられているということと、図書委員になる程度には本自体に興味があるおかげで、わからないことだらけでもモチベは維持できている。


 けれども……毎日のように「嫌い」なものに向き合っている、という苦しさはあまりに壮絶すぎて理解が及ばない。というか、「嫌い」に向き合わなきゃならない、ってみずからに頑なに課しているんだろう。


『でも……自らつらい真実を知ろうとしなくてもいいのよ。あの頃のことは忘れて、遊んだっていいの。あなたには、今を、生きてほしいの』

 

 以前『皇女』に語った先生の言葉。僕も一言一句すべてに同意だ。

 そういうわけにもいかない、当事者にしかわからない苦しみがあることはわかるんだけど……


 彼女は「強い」人だ。

 そこから逃げたりしても誰も責めない。そもそもほぼ誰にも彼女の過去が知られていないんだから責められようもない。

 でも……その「強さ」は高潔なる『皇女』らしさであると同時に、彼女を強く縛り付けている鎖のようなものみたいに僕には思える。

 

 もっと自由でもいい。

 もっと自由でいてほしい。

 そして笑顔でいてほしい。

 毎日曇った顔で本に向き合っているなんて、そんなのあんまりにも、もったいない。本当の読書体験ってのはもっと、感動にあふれていて、ワクワクしてて……彼女にも、その喜びに触れてほしい。

 

 はっ……いかんいかん、また『皇女』を遠巻きに眺めてしまった。

 キモい行為は戒めて読書に集中しなきゃ……と思って再びめくっている途中の本に目を落とそう……


と、いうところで、席から立ち上がった『皇女』が……近づいてくる!? こっちに!? なぜ!? ホワイ!? ホワイダニット!?

 まさか、僕が見ていたことがバレた!? あああああすみませんすみませんキモくてすみません生れてきてすみません……


「……それ…………だよね?」


 ……へ?

 いま僕に声をかけているんです?

 『皇女』から? 僕に??

 その事実が強烈過ぎて、聞かれたことがなんも頭に入ってこなかった。


「それ。その本……前に、私が読んでいたやつだよね?」


 はっ。

 2回めでようやく理解できた。

 ははあなるほどお前なんで私が前読んだ本を読んでるんだよストーカーかよキモいんだよ、ってそういうことですねあああああすみませんすみませんスライディングでもジャンピングでもなんでも土下座させていただきますんで!!!!


 脳がショートを起こしているので何も答えられずにいる僕。

 だが、類まれなる美貌から緊張した対応をされることには慣れているであろうところの『皇女』。不思議がってはいそうだけど、そのこと自体を責める雰囲気はない。


「……別に、ダメってわけじゃ、ない。知りたいだけ……なんでなのか」


 こ、これが高貴なる生まれの余裕……! 

 つ、つまり今僕はキモいんだよって詰められてるわけではない……!?

 そ、それならお、落ち着こう。ひっひっふー、ひっひっふー……


「きょ、興味がありまして!」


 ……僕の声が大きすぎたらしい。

 周囲の図書室利用者がみんなこっちを見ている。

 コホン! と当番の図書委員が咳払いする。


「す、すみません……」


 穴があったら入りたい、ってやつだ。


「謝らなくてもいいよ。いきなり、話しかけたせいだからね」


 ああ、なんてお優しいのか……!

 人格もよくできた人であるなんて……!

 

「……その、メモ」

 

 『皇女』の視線の先にあったのは、なぐり書き状態のルーズリーフ。

 僕が重要そうだと思ったことを逐一メモったものだ。もっとも、初学者が過ぎて何が重要かもよくわからんのでほとんどメモってる始末。

 とっ散らかってるのがひどく恥ずかしくて顔の温度がみるみる上がる。


「あ、ああこれは……汚くてすみません」

「そうは思わない。それだけ、知りたいってことでしょ?」


 ──!

 あーもういけません。いけませんよ。

 これは惚れますわ。ほのかに好きだったのが、もう好きになったら一直線になっちゃいますわ。なんですかこの人。さすがは一国の皇女……!


「概説書とはいえ、中国の歴史を知るのにいきなりこの本じゃレベルが高いよ。まずはさらっとでもいいから全体を追えるような、読みやすいところからはじめたほうがいいと思って」


「……は、はい! ありがとうございます! まさかアドバイスをいただけるなんて……」

「ううん。いい。最近……いや、もっとずっと前からかな。視線を感じるのは、あなたからでしょ?」



「え」


 凍りついた。しっかりバレていた……! まあ当たり前といえば当たり前だし、あわよくば……とか考えてなかったと言われれば嘘になるけど……!

 

「いいんだ。視線を向けられるのは慣れてるから」

「は、はい……?」

「私への視線。それと……その行為の源泉となる感情。それを多くの人から向けられていることは知ってる。それはあなたも例外じゃない。あなたは……私の読んでいる本から、私を知ろうとしているんでしょ?」

「い、いいいやそそそそれは……」  

「私の容姿に惹かれて声をかけてきたり、私の真似をして本を読もうとした人もたくさんいた。でも、それは長く続かなかった」

「……!」

「もうほとんど、私に関わろうとする人もいなくなった」

「……」

「あなたはどこかほかの人と違う……あなたはあまりに、そうしなければならない、というような……思い詰めたふうに読んでたから」

 


「……あ」



 ここまで言われて、ハッとした。

 同じだ。義務感で過去に向き合い苦しんでいる彼女と、まるで……!

 彼女を笑顔にしたい、って意気込んでいたのに、当の自分がそんな調子じゃ、なんの説得力もない……


「……どうして? なんでつらそうなのに、必死にメモしてまで、その本を読むの? どうしてそこまでして、私のことを知ろうとしているの?」



 ……答えられるわけが、ない。


 福井さん──もとい趙珠珠は生まれながらの、正真正銘の『皇女』。

 だからなんだろう、普段好意を向けられているのには慣れてて、それを読み取るのにも長けている。

 

 僕、神室佑は福井珠々に恋している。

 そんなこと、彼女はとっくにお見通しだ。

 だから彼女が問いかけているのは、そんな、あまりにも「わかりきった」ことじゃない。

 

 

 『趙珠珠』としての過去を知ってしまったから──

 万が一にもそう回答されるのが、『福井珠々』としての、いまの彼女がもっとも恐れていることなんだ。

 僕にはそれが痛いほどよくわかる。


 その万が一がドンピシャなんだから。

 だからこそ……答えられるわけ、ないじゃないか……!


 ここで沈黙するということは、疑念を持たれる蓋然性が高い。

 だけど僕にこの状況でケムに巻けるだけのコミュ力は備わってない。

 どうしたら……どうしたらいい……!?

 答えを導き出せずにいると──



「……やっぱり、いい。なんでもない。変なこと聞いたね。忘れて。じゃあね、また、明日」

「……あっ……あの……」

 


 ……行ってしまった。

 彼女と話すことができた、という喜びがあると同時に。

 僕が彼女の『秘密』を知っていることがバレないでよかったという安堵、一方で想いはバッチリ知られてしまってたっていう恥ずかしさも綯い交ぜになって。

 

 どうしよう……ドキドキが止まらない。


 きょうという日は、僕にとって忘れられないものになりそうだった。

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