二 取り憑かれているのは
図書委員と言っても毎日当番があるわけじゃない。
委員じゃない日は当然放課後にまで行く必要はない。
ない……んだけど。西棟最上階の最端。僕は今日も吸い寄せられるようにあそこに入ってしまうのだった。
ご多分に漏れず、今日も『皇女』が佇まう。
この部屋この空間のいっさいは彼女のためにあると感じるほど、存在感に圧倒されそうになる。
昨日のやり取りになんとなくバツの悪さを感じてる僕は気付かれないように室内に入ったつもりだった……けど。
「おやおや、神室少年ではないか! どうしたのだ、今日は当番の日ではないぞ!」
……さっそくうるさい先輩に見つかった。
すっかりたむろ場所であるところの併設の事務室から出てくる、金目えね先輩。
彼女は僕の繊細センチメンタルなこの思い、そんなものなど想像だにしない。
「ややっ、気持ちはわかるぞ! やはり君も図書室の居心地の良さに取り憑かれてしまっているのだろう! さあさあ同志よ、共にお茶でもシバきながら語らい合おうではないか! 菓子もあるぞ!」
「とても図書委員とは思えないセリフなんですが……本が汚れますよ。それに、いくら事務室と言っても学校にお菓子を持ち込まないでくださいよ」
「しっかり本を読みに来たのかい? 私にはとてもそうは感じないんだけどなあ! 君には別の目的がある。そうだろう?」
ちらっと『皇女』のほうを見やる。
お見通しってわけですか……!
得意げになっている先輩に当番の子が注意を入れる。
「ちょっと先輩。静かにしてください。利用者の邪魔です」
「はい……」
しょげて事務室の方に戻る金目先輩。
なんだか似たような状況をものすごく最近に見たことがあるような気がする。
ともあれこれで解放された。
さて『皇女』のほうはと言うと、僕たちのうるさいやり取りにもまったく興味を示さず、先程まで読んでいたであろう本を戻し、すぐさま近くにある本を手に取り再び読書へとふける。
彼女にとってこの程度の雑音、なんともないんだろう。ものすごい集中力だ。
でもそのせいで昨日みたいに時間オーバーするんだけどね……
図書室をよく利用している人にはよく知られた話だけど、図書室の本っていうのは全国的に決められた基準のもと分野ごとに管理されていて、慣れればどこにどういう本があるのかすぐにわかる。『皇女』がどんな本を手に取っているのか遠くからでもある程度アタリをつけられるのはそんな理由。
さっき『皇女』が手に取っていたのは『歴史』の棚。というよりは、僕の見ている範囲ではそこ以外の本を読んでいるのを見たことがない。
僕たちの通う学園は
そこの棚を眺めていて、目に留まったのはある一冊の本。
「──と宋の興亡……」
歴史、それも中国史。あの人はそれしか読まない。
そんな偏った読書をし続けるのはなぜか……
彼女の秘密を知ってしまった今ならわかる。
「……取り憑かれているんだ」
みずからの過去に。この現代にいながら彼女は900年前の呪縛から逃れられないでいるんだ。所狭しと敷き詰められている本たちから『歴史』の重みを感じる。
「……何ができるっていうんだ……」
僕に。彼女の何がわかってあげられるっていうんだ。
恵まれた環境でずっと過ごしてきたこの僕に……!
──いや。違う。
何もできなかろうと、少しでも、何か、前に進まないといけないんだ。
眼前に立ちはだかる、歴史の本棚。
……そもそも、僕はこれらの本をまったく読んだことがない。
そりゃあ授業である程度やっている。
でも、世界史っていうでっかすぎる枠だから、ひとつひとつ大して掘り下げたりはしない。ある程度の流れとしてはわかるけど、それでも雑にしかわかっていないんだと思う。
現に『洗衣院』なんてまったく知らなかったんだから。
「……知らなきゃならない。僕も」
僕は本を手に取り、長机の向かい側に腰掛ける。対面はさすがに恥ずかしいので、かなり端っこのほうを選んだんだけど……それでもかなり意識してしまって、すでに心臓バクバクだ。
対する『皇女』は一瞬だけ顔を上げこちらを見たが、表情を一切崩すことなく、すぐさま読書に戻る。
昨日のやり取りもそうだし、そもそも他人など彼女にとっては取るに足らないものなんだろう。
いやまあそれが図書室のあるべき姿なんだろうけど、黙々と本をめくる音、そしてかすかに聞こえる、彼女の息遣い。いいんだ、今はこれで。今はこの距離感で。
……とはいえ。
難しい……! まったくわからん……!
まず名前が覚えられない。みんな同じに見えちゃう。
当たり前だ。授業でちょっと習ったくらいの付け焼き刃で、ガチめの本にいきなり挑んでいるんだから。
読書慣れした『皇女』の領域にいきなり近づくのは無謀だった。
……でも。これしきで立ち止まってたまるか。
ルーズリーフとシャーペンを取り出し、なんとなく重要そうな語句、人物を書き出していく。
「……」
「──わっ!」
「うわっ! 先輩!?」
「こんな時間までお勉強とは。精が出るねぇ! わっはっは!」
「ったく……脅かさないでくださいよ!」
「そうもいかないさ。もう閉める時間だからね」
「えっ?」
……ほんとだ。いつの間にそんな……
『皇女』の姿もなかった。
「すさまじい集中力だったね。意中の人が立ち去るのさえ気づかぬとは」
「意中って……そんなんじゃ……僕なんかじゃ、おこがましいですよ」
「ふぅん……そうかい? お、中国史か。そのへんの時代となると、
「あ、見ないでくださいよ! え、水滸伝ってこのへんの時代なんです?」
「なんだ、知らなかったのかい? ……ならばいったい、どうしてこんな、言ってしまえばマイナーめな時代に興味を持ったんだい? 何がそうまで、君を駆り立てたんだい?」
「っ……それは……」
本当のことを話すわけにはいかない。でも適当な理由もでっち上げられず言いあぐねていると──
「言いたくないなら無理に詮索もしないさ。誰が何を読んでいようと我々図書委員はその好奇心にこたえる場を用意するのみさ」
「だったら最初から聞かないでくださいよ……」
「ははっ、やれやれ。いいこと言ったと思ったのに、後輩は手厳しい。もしよければ貸し出しの受付をしようか? よもや君まで図書室に取り憑かれているわけでもあるまい?」
「……あ」
そうか。僕まで忘れていたけど、借りて家でも読めばいいのか。
そうだな。ここは──
「じゃあこれを……お願いします」
先輩のご厚意に甘えることにした。
自宅ならスマホやパソコンで調べながら読むことだってできる。
これで彼女の生きた時代を、少しでも心の中で共有できたら……
そんな思いと共に一冊の本をカバンに入れ、帰宅したのだった。
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