図書室の『皇女』は本が嫌い
コミナトケイ
君は険しい表情で本と向き合う
一 福井珠々のすべて
この学園には『図書室の皇女』が住み着いている。
学園イチ──それどころかこの近辺では彼女を超える人はいないんじゃないか、というくらいの美貌。物憂げで高貴さが感じられる、どこか人を寄せ付けない雰囲気。
それはもう、我々庶民には声をかけることが許されないような『皇女』のよう──って理由から、学園の生徒じゅうからそう呼ばれている。
彼女はなんでただ独り、図書室に籠もっているのか。
他人には話すことのできない秘密があるんじゃないか、と思えてならないんだ。
いや、根拠はまったくないけど……
今日は僕が受付当番の日。
いつものように指定席で分厚い本を読みふけっていた『図書室の皇女』──だったんだけど、きょうは少し様子が違った。
午後6時。
下校期限の予鈴が終わっても席を離れる様子がないのだ。
ものすごく集中しているらしい。
夢中になってる人の邪魔をするのも気がひけるけど、さすがにこれ以上はと僕も、さらに学校に残ってる先生たちも困ってしまう。
声をかけよう。
意を決して、彼女のもとへと向かい──
「あ、あの、あの……! し、閉める時間なんで! 図書しちゅ!」
噛んでしまった……!
うまく喋ろうと頑張ったのに、あああああ恥ずかしい……!
テンパる僕──のことなどまったく構うことなく。
掛け時計を一瞥し無言で立ち上がり、本を戻そうとする『皇女』様。
「あ、あの……! かっ、貸し出しも、できますけど……!」
コミュぢからに障りがちな僕にしては頑張ったことを誰か褒めて欲しい。
これまで疑問に思っていた。
毎日のように閉室ギリギリまで本を読む割には貸し出しの受付に来ることもない。家に帰って読んだらいいのに、って勝手ながら思っていたんだ。
けしてこれはお近づきになりたいからとかいうよこしまな動機じゃなくて、図書委員としての老婆心からだった。
しかしながら、その疑問に『皇女』様が答えてくれることはなかった。
まったく目を合わせてくれることもなく、元あった場所に本を直すと、そそくさと立ち去ってしまった。
……ああ、やっちゃったかな。
やっぱり僕のドモり方がキモすぎたんだ。
多分、いやほぼ確実に嫌われてしまった……!
んああああでも僕に気の利いた会話なんて無理無理カタツムリだってぇ~……!
「そんなに気を落とすな少年。君にだけああいうわけじゃないさ。さ、閉めようか」
「はいぃ……」
一部始終を見ていたもうひとりの当番、
内向的な人が多い図書委員の中でひときわ面倒見のいいお姉さん気質を持つ。
当番は最低男女ペアの二人以上になるんだけど、だいたいの場合異性と何を話したらいいかわからない、ってなる僕にもよく気にかけてくれる。
「……時に少年。君も『皇女』に好意を抱いているクチだろ?」
「へ、へっ!? こ、好意!? い、いえぼぼぼ僕はそんな……」
「ははは、隠すな隠すな。
「う、うう……」
……そういう先輩も女子人気ではダントツなんですけどね。
「こないだは私だったから、鍵の返却、今日は君の番だな。少年」
「あ、ああ。そうでしたね」
「というわけで。任せたぞ少年。また当番が被った時はよろしく頼むよ」
「は、はい。では、また……」
では、また……って。古風か。十代の挨拶とは思えないんだが?
などとセルフツッコミしつつ、事務室の方に鍵を返却する。
あとは自分の下駄箱に行って帰宅するだけ──だったんだけど。
職員室の方向からだろうか。若い女性の声が二人分。
一人はよく聞く声。
もう一人は──
「……まったく、こんな時間まで図書室にいたの? 図書委員にも迷惑かけるから、借りて家で読んでれば、ってずっと言ってるのに」
「……でも……」
「委員の子に声をかけづらいんでしょ? わかってる、一応これでもあなたの保護者だからね」
今僕のいる廊下は職員室とは曲がり角になってて、二人は僕のことには気づいていない。なんか盗み聞きみたいになっちゃってるな。少しだけバツの悪さを感じながらも、耳をそばだてることをやめることができない。
というのも、もう一人の聞き慣れない、だけど凛として怜悧さが伝わるこの声の主が、話の流れからして──
「今はあなたのいた時代じゃない。誰もあなたの尊厳を汚そうとしたりはしないし、させない。だからもっと生徒たちに心を開いてもいいのよ、珠々」
予想通り、もう一人の声は『皇女』福井珠々だった。
そういえば名字が同じだった。恵先生と『皇女』は家族だったのか。
あまりにも『皇女』という二つ名が通り過ぎてて今まで気が付かなかった。
いや今はそれよりも──
「……わかってる。わかってるよ。でも……!」
「そうね。そうよね。そう簡単に払拭できないよね。あの頃の……『
「恵」
「あっ……! ご、ごめん……!」
……せん、いいん?
なんだろう、聞いたことのない言葉だった。先生のうろたえよう。そして『皇女』の鬼気迫った調子。尋常ならざるものがあった。
おそるおそる、先に口を開いたのは先生だった。
「……毎日図書室で調べているのは、あの頃についてなんでしょう?」
「……」
「珠々。私は止めたりはしない。でも……自らつらい真実を知ろうとしなくてもいいのよ。あの頃のことは忘れて、遊んだっていい。あなたには今を、生きてほしいの」
「……忘れるだなんて、無理だよ」
「珠々……」
「今日は確かに遅くなりすぎた。明日からは気をつけるよ。それでいいでしょう? 帰ろう、恵」
「あっ……! 待ちなさい! ……まったく、仕様のない子……」
──行ってしまった。
それから僕はスマホですぐに調べた。
オンライン百科事典とかいう誰にでも使える便利なやつで。
すぐに見つかった。
そしてすぐに察してしまったのだった。
ああ……これは「検索してはいけない」系のワードだ。
帰宅しても、スマホに表示されたそのページを見つめる以外のことは何もする気になれなかった。
「──ぃちゃん。お兄ちゃんってば!!」
「え?」
「もー、ずっとベッドでスマホばっかり見て! ごはんができたから呼びにきたのに、全然気づかないんだもん!」
「そうだったのか……ごめん」
「……? なんかちょっと変だよ。何を見てたの?」
「……別に、なんでもないよ」
……言えるはずもない。
「……ごちそうさま」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん? ……もう、何があったのか知らないけど、なんて顔をして食べてんだよ……」
──おそらく『皇女』と先生の二人が言っていたのは。
漢字で『洗衣院』。
事典の記述は事実の羅列に終始しており、あおるような文言はない。
でも……それだけでも、あまりもの悲惨さに声も出なかった。
今からおよそ900年も前。
中国が『
宋は
世界史の資料集と事典を突き合わせる……あった、これだ。
『
異民族は都に攻め入り、皇帝と共に宮廷に住む多くの女性たちも一緒に捕まえた。女性たちは悲惨な暴行を受け、さらにその多くは『洗衣院』という施設に入れられ、あらゆる男相手に性的なサービスを強要されたという。
それは一族の女性たち──『皇女』たちも例外ではなかった。
連行されたという女性たち。
その中にあった名前に目を留めざるを得なかった。
「……趙……珠珠……」
まさか……ね。
ありえない。900年くらい昔のことだぞ。
でも福井先生は、こんなふうに言っていた。
「今はあなたのいた時代じゃない。誰もあなたの尊厳を汚そうとしたりはしないし、させない。だからもっと──」
……ダメだ、頭がこんがらがってる。
無理にでも寝ようとしたけど、当然のようにもやもやと考えてしまうのだった。
明くる日、学校。
ほかの人の気配が完全にない状況を見計らって、さっそく僕は福井先生にあたってみた。
福井珠々=趙珠珠なんですか?
と単刀直入に聞いたら、これほど目を丸くするという表現がぴったりくることもないくらいの顔をしていた。
「……あちゃー……そうか、あれを聞いちゃったのか……」
どうやら僕の推論は間違ってなかったらしい。
間違いであってほしい思いもあったけど……
900年前の中国皇女がタイムスリップして現代で生活しているだなんて、アニメかラノベかなんかみたいな、そんなこと。
「……『皇女』は本当に皇女だったんですね。ということは、彼女は……」
「あの子自身は『洗衣院』に入らずに済んだわ。でも、そのことがかえってあの子は罪悪感を抱いているようね。どうして自分だけが助かったのか、ってね」
「そんな! 被害者でしょ!? なのになんで……」
「そうね。私も、過去にとらわれず過ごして欲しいんだけどね……」
宋の第22皇女として生まれた
その時つけていたのは粗末な布一枚で、上半身は何もまとっていなかったそうだ。警察等に任せようかとも考えたそうだが、彼女の話はとても現代のものとは思えず、一般の組織では荷が重いだろうと判断し、みずから保護することに決めた──というのが先生の話だった。
「なにより彼女自身、身分を明かさずここで暮らすことを望んでいる。いきなり昔の『皇女』が出てきたところで無用な混乱を生むだけだからね」
確かに……
僕の方に手をポンと置く先生。
「さて。これで君もめでたくこの秘密を共有する仲間となったわけだ」
「……口外するな、でしょ? 安心してください、それは守ります」
「察しが早くて助かるわー。さすが図書委員。日頃からいろんな物語を読んでいるだけはあるわね」
……図書委員関係ある?
想像力がほかの人よりはたらくってことはあるかもしれないけど。
と、ここで次の授業開始を告げる予鈴。
「あっ、ヤバっ」
「おっと。チャイムが鳴っちゃったねぇ。急ぎなさい
「は、はい。先生、お話ありがとうございました」
「っと、待った。これだけは伝えないと」
「はい?」
「……あの子の話し相手になってほしいの。私も協力するから」
「……はい!」
昨日布団の中でもやもやしながらも誓ったことが二つある。
ひとつは、彼女の秘密がどんな形だったとしても、それが明るみにならないように尽くすこと。
そしてもうひとつは──
「……本、好きなんですね」
「……」
「え、えと……本日はお日柄もよく……」
「……」
「……あ、よく見たら曇ってますね……ってよく見なくてもそうか、あはは、あはは……」
「……」
「あっ、ま、まだ退室時間じゃないから、よ、読んでても……」
「……」
「そ、そんなにさっさと戻さなくても……ま、前にもお話しましたけど、よければ、か、借りていっていただいても……」
「……」
「そ、そうです! 借りていってもいいんですよ。そうすればもっとたくさん……」
「……家で読もうとは思わない」
「え?」
「……必要だから、読んでるだけ。でなければこんな……本は、嫌い」
「……嫌い?! あ、ちょっ……」
……行ってしまった。
放課後、意を決して『皇女』──福井さんに話しかけてみたけど……
「いやあ、よく頑張ったじゃないか。少年」
「……金目先輩。今日は当番じゃないはずでしょ?」
「図書委員っていうのはこの図書室って空間そのものが好きな集団。なればこそ何はなくとも居着きたくなるってものさ。そうだろう?」
「早い話がたむろしに来てるんでしょ。私語は控えてくださいね」
「おいおい、つれないじゃないか少年。先輩に対する愛はないのかい?」
「はいはい、先輩にはいつもお世話になってまーす」
「私にはそのように軽くあしらえるのに『皇女』にはできない……どうしてかな?」
「……うっ、それは……」
「はっはっは。まあゆっくり慣れていけばいいさ。そしてそれは相手にも言えると思うしね。にしても、またどうしてあの子に話しかけたんだい?」
「……ずっとむずかしい表情をして本を読んでいるから……笑った顔を見たくて。少しでも明るい雰囲気にと思って……い、いや図書室なんだから笑いながらってのも、変なんですけどね、何言ってんでしょうね僕」
「変じゃないさ。なるほど神室少年、君は『皇女』には笑っていてほしいんだね」
「……はい。『皇女』──福井さんの曇った顔なんて見たくない。僕は福井さんにはずっと、笑っていてほしいんです。それを近くで見ていたい」
凄惨な過去を完全に忘れることなんてできないかもしれない。
僕が忘れさせるだなんて、あまりにもおこがましい。
それでも、少しでも彼女の気が紛れる時間が作れたら──って。
それが、僕の二つめの誓い。
なんとか話題の糸口をつかもうと思って僕なりには動いてみたけど……
やっぱりうまくいかなかった。
「そうか。でもそれ……ほとんどプロポーズのセリフじゃないかい?」
「へあっ!? ぷ……ぷぷ、ぷぷぷ……????」
「はっはっは! 青春と書いてアオハルだねぇ! 実に結構!」
「か、からかわないでくださいよ……!」
するとここでもうひとりの当番の人がそばにやってきて。
「金目先輩と、神室くん。私語を控えてください。いったいここをどこだと思ってるんですか。図書室ですよ」
「「はい……」」
ふたりしてシュンとするほかなかったのだった。
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