第30話 慰めてくる未亜と皐月さんを追いかける僕

「どうぞ」


 僕がノックをすると、皐月さんの声が中から聞こえてきた。


 軽く深呼吸をした後、引き戸を開け閉めして、僕は生徒会室の中に入る。


 見れば、奥の窓際にある机の席にて、皐月さんが座っていた。朝、マンションで会った時と違い、教室と変わらぬ制服姿で、寝癖はもちろんない。大人びた雰囲気を漂わせ、自然と僕が背筋を伸ばしてしまうほどだ。


「それで、和希くん」


「は、はい」


「話というのは何か聞かせてほしいわね」


「まあ、その……」


 皐月さんの問いかけに対して、僕は歯切れ悪い声になってしまう。


 いざ話そうとやってきたものの、いざとなると、尻込みしてしまう。いや、いずれはわかることだから、ちゃんと伝えなければいけない。頭ではわかっているが、体が動かないという奴だ。


 僕が思案をした末、黙り込んでしまうと、皐月さんはため息をついた。


「そうなの。話は特にないというわけね」


「いや、そういうことではなくて……」


「なら、どういうことか聞かせてほしいのだけれど?」


 やや強い語気の皐月さんに、僕は怖気づきそうになる。でも、逃げても、廊下には未亜がいるから、無理だろう。仮に上手く場から去ることができても、明日からどう顔向けすればいいか。


「和希くん?」


「実は、その、陽太と今日の昼休み、話をして」


「柏木くんと?」


「はい」


 うなずく僕に、皐月さんは動揺を隠せないといった表情を浮かべる。やはり、片想いをしている相手の名前が出ると、否応なく意識をしてしまうようだ。


「それで、陽太にその、未亜や皐月さんの話をして」


「そう、なの」


 僕の告白に、皐月さんはどこかあっさりとした反応だった。


「皐月さん?」


「何? 和希くん」


「その、ここは普通に怒られても仕方ないと思っていたところだったから、その、皐月さんの反応が意外だなって」


「そうね」


 皐月さんは艶のある黒髪を手で触ると、物憂げな顔つきになった。


「何となく、未亜から聞いて、そういう予感はしていたから」


「予感?」


「ええ。そもそも、わたしからすれば、柏木くんにはバレバレなことをしていたと思っていたのよ。昨日、一緒に帰る時も」


 皐月さんは席から立ち上がると、おもむろに僕のそばまで歩み寄ってきた。


「本当は上手く柏木くんに気づかれずに、少しずつ距離を近づけていきたかった。いえ、遠ざかった距離から少しでも戻りたかった」


「それは、中学の時と比べてってこと?」


「ええ」


 皐月さんは返事をするとともに、僕と目を合わせてきた。途端、僕はドキリとしてしまう。高嶺の花とはいえ、僕にとっては未だに片想い中の相手だからだ。


「でも、未亜が『大丈夫大丈夫』って励ましてくれていたから、わたしはそれで気にしないようにしていたのだけれど、今日、和希くんから話があるって、未亜から聞いた時から、ああ、やっぱりって思ったのよね」


「ってことは」


「ええ。多分、和希くんの想像通りのことかと思うわね」


 皐月さんは口にするなり、近くにある書棚に凭れかけた。


「聞いたのよね? 柏木くんから」


「それはまあ……」


 僕は言いつつ、つい、皐月さんから目を逸らしてしまった。


 同時に、皐月さんは察したのだろう。「そう、なの」と弱い語気でつぶやく。


 僕が陽太から聞いたこと。


 それは、皐月さんが陽太のことを好きでいることを話した時だ。


「残念だけど、自分はまた告られても、同じ理由で断るかな」


 陽太の言葉は直接伝えなくても、皐月さんは僕の様子から感じ取っているようだった。


「実質、これでまた振られたということね」


「いや、皐月さんはまだ、陽太に告ったわけじゃないし」


「でも、間接的には告ったようなものよね?」


 僕が顔を向けてきたことに対して、皐月さんは悲しげな眼差しを送ってきた。瞳は既に潤んでいる。


「なら、わたしが今から告ったとしても、結果は同じ。でも、だからといって、時間をかければ、上手くいく保証があるかと思えば、今のわたしには自信がないわね」


「でも、皐月さんは他の男子からは人気あるし、次期生徒会長だし、僕からすれば、高嶺の花みたいな存在だし」


「それでも、好きな人に振り向いてくれないのなら、どんなにモテても、どんなに優秀な生徒になっても、意味がないわね」


 皐月さんは言い切ると、近くにあった学校の鞄を肩に提げる。


「和希くん」


「皐月、さん?」


「短い間だったけど、協力関係はこれで解消ということにさせてもらいたいのだけれど」


「いや、でも」


「元々依頼してきたわたしが終わりと言っているのだから、それでいいわよね?」


 皐月さんのきっぱりとした調子に、僕はさらに抗うことができなかった。下手に何か言えば、僕は皐月さんに嫌われてしまう。同時に、片想いという淡いものは泡となって消えてしまうのではないか。僕は恐れてしまい、何もすることができなかった。


「これでよかったかもしれないわね」


「それはどういう?」


「考えれば、柏木くんのことはさっさと諦めて、将来のこととか、色々と前向きに取り組むべきことに一生懸命になった方がいいということよ」


「でも、皐月さんは陽太のこと」


「それはもう、考えないわね。だから、まずは、来週ある中間テストの勉強とかに勤しむ。休んでるブランクとかがあったのだから、それを埋めないと、学年トップは維持できないから」


 皐月さんの強い決意が満ちたような声は、僕を黙らせるのに十分だった。そうだ、だから、皐月さんは高嶺の花だって、僕は思っていたのだと。成績が中の下にあたる僕と比べれば、月とすっぽんみたいな。そもそも、今までの学校生活で女子と関わることがほとんどなかったのだ。今まで、皐月さんや未亜と関わっていたこと自体が奇跡に近いという奴で。


「最後の頼みみたいなことになってしまうかもしれないけれども、聞いてくれてもいいかしら?」


「それは、もちろん」


 僕はこぶしを強く握り締めつつ、皐月さんと向かい合う。


 彼女は堪え切れなかったのか、涙を流していた。


「柏木くんに、『もう、好きになることはないから、安心して』って伝えてもらえれば嬉しいのだけれど」


「いや、皐月さん、泣いてるけど」


「いえ、これは目にゴミが入っただけだから」


 皐月さんはあからさまなウソをつきつつ、涙を指で何回も拭う。


 対して僕は、唇を噛み締めつつ、「……はい」と言い、わずかに首を縦に振る。


「ありがとう、和希くん」


 皐月さんはお礼を述べると、艶のある黒い髪をなびかせつつ、場を去っていった。


 一人取り残される僕。


 しばらく、生徒会室から動けなかった。


 どれくらい時間が経っただろうか。


「いやー、振られちゃったねー」


 不意に軽く肩を叩く感触があり、振り返れば、入ってきた未亜の姿が視界に映る。


「振られた?」


「って思っちゃうくらいな感じだったねー」


 未亜の冗談に、僕は笑うことすらできなかった。


 まるで、皐月さんを密かに好きだということを見透かしているかと思ったからだ。


「まあ、でも、これで、皐月の、柏木くんに対する恋は終わりだねー」


「もしかして、未亜はそれでよかったとか?」


「まさかー」


 未亜は手を何回も横に振る。


「本当に付き合うことになれば、最高の結果だなーって思っていたよ」


 未亜は言いつつ、生徒会室にあるガラス窓の方へ歩み寄る。


「でも、現実はそう、想定通りにならないってことなんだろうねー」


「まあ、中学の時に一度振られてるから、やっぱり、それは変えられなかったなって、僕は思うけど」


「それは柏木くんの気持ちを、和希は変えようとしてたとか?」


「いや、それはまあ、できればと思ってだけど、そう簡単にはできないかなとも思ってた」


「だよねー。他人の気持ちを動かすのはそう簡単なことじゃないもんねー」


 未亜は表情を綻ばせると、再び僕に近寄ってくる。


「だから、まあ、皐月と柏木くんのことは、別に和希が何かよくない結果をもたらしたとか、そういうことじゃないと思うよ。あたしから見れば」


「それって、慰めてるってこと?」


「まあ、そう捉えても、あたしは全然いいけどねー」


 未亜は口にしつつ、頬を指で掻く。気のせいだろうか、顔がうっすらと赤くなっていたような。


「でも、皐月を泣かせちゃったのはねー」


「見たの?」


「見たの何も、廊下で聞き耳立てていたら、生徒会室から皐月が出てきたからねー。見たら、泣いてたし、後、なぜか、あたしに対して、『ごめん、未亜』って謝っていたしねー」


「それで、その後、皐月さんは?」


「帰っちゃったかな。追いかけようとしたけど、なぜか、体が動かなくてねー。何だろう、ああいう時って、皐月を一人にした方がいいかなーって、何となく思ったんだよね」


「それは親友としての勘?」


「そうかもねー」


 おもむろに返事をする未亜は両腕を組むなり、近くの机に寄りかかる。


「で、和希はこれからどうするの?」


「どうするって、その、何が?」


「皐月のことだよ」


 未亜の反応に、僕はまさかと思いつつ、問いかける。


「もしかして、その、気づいてた、とか?」


「何が?」


「いや、その、僕が皐月さんのことを」


「好きなんでしょ?」


 当たり前のように言葉を付け加えてくる未亜。


 あまりにもあっさりと言い当てられたことに対して、僕は何も言えなかった。


「今、追いかけなければ、後で後悔するんじゃない?」


「後悔って……」


「少なくとも、あたしが和希の立場なら、追いかけるけどなー」


「でも、皐月さんは実質、振られたばかりだし……。それにそうなったのは僕が話したからだし……」


「でも、柏木くんが皐月のことを好きじゃないのって、和希がそういう風に仕向けたわけじゃないんだよね?」


「それは、もちろんだけど」


「なら、今から告ってきてもいいんじゃない?」


 未亜は口にすると、歩み寄ってきて、僕の背中を強く叩く。正直、痛い。


「男なんだから、ここでクヨクヨしてても、しょうがないよねー」


「そう言う未亜は」


「何?」


「いや、好きな人とかいるんなら、もう、気持ちとか伝えたのかなって」


 僕の問いかけに対して。


 未亜は間を置いてから、首を横に振った。


「まだかなー。だって、そういうのって、タイミングみたいなものがあるからねー」


「今はまだそういう時じゃないってこと?」


「そうそう」


 何回もうなずく未亜。


 というより、未亜も好きな人がいるんだと今初めて知った。


「って、あたしのことはいいから、ほら、早く行かないとー」


「わ、わかったよ」


 僕は未亜に背中を押されつつ、生徒会室を一緒に出る。


「ここの鍵とかはあたしがやっておくから」


 未亜は生徒会室のだろう、鍵を人差し指で回しつつ、声をこぼす。


「その、ありがとう」


「いえいえ。どういたしましてー」


 未亜の言葉を聞いた後、僕はすぐさま、廊下を走り始める。まあ、生徒会役員の皐月さんなら、注意をされるかもしれないけど、今は気にしない。


 僕は未亜がいる生徒会室前を後にすると、先に出ていった皐月さんを追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る