第27話 遅刻しないことを諦める未亜と諦めない僕

 さて。


 僕は今、奥にあったリビングにて、ダイニングテーブルの椅子に座っていた。横には未亜がいる。


「どうぞ」


「あ、ありがとう」


「わざわざいいのにー」


 僕と未亜の異なる反応。皐月さんが奥にあるキッチンから出してきたのは、ホットカフェオレだった。それぞれ、白いカップに注がれていて、湯気が立っている。


 そして、パーカー姿の皐月さんはピンク色のカップを手に、向かい側に座る。寝癖は直されてないままだ。


 未亜はすぐにカップに口をつけ、ふうとため息をこぼす。


「それで、和希くん」


「は、はい」


「本当にいいの?」


「その、何がですか?」


「学校に遅れることよ」


「いや、まあ、その、皐月さんを置いて行くのはできないかなって」


「そうなの」


 皐月さんは言うなり、カップをテーブルの上に置く。気のせいだろうか、頬が一瞬だけ緩んだような。-


「へえー。和希にしては、こういう時でも冗談っぽいことを言えるんだねー」


「冗談?」


「まあ、自覚がないなら、それでいいかなーって。あっ、皐月。じゃあ、遠慮なくいただくね」


「ええ」


 皐月さんの声に合わせて、未亜はホットカフェオレを飲む。


 一方で僕はカップに手をつけようかどうか悩んでいた。


「どうしたの? 和希くん」


「えっ? いや、その」


「別に、嫌いなのであれば、飲まなくてもいいのだけれど」


「いや、別にそんなことは」


「なら、さっさと飲まないとすぐに冷めちゃうよー」


 未亜に突っ込まれ、僕はようやくカップに口をつける。


 何だろう、飲むなり、どこか気持ちが落ち着いてきたような。皐月さんのことや、MINEでの陽太や瑞奈のメッセージを見たりと、色々あったからか。


 僕が色々と思いを巡らしていると、「ごちそうさまー」という未亜の声が響く。見れば、彼女のカップは空になっていた。


「早いわね。相変わらず」


「まあまあ。こういうのは冷めない内に一息で飲むのがいいかなってー」


「それだと、下手をすれば、やけどするわよ」


「そうだねー。まあ、過去にそういうことしたことあるしねー」


「そうね」


 皐月さんの相槌に、未亜が「あはは」と笑いをこぼす。何だか、二人はすっかり、いつもの関係に戻ったかのようだ。いや、もしかしたら、普段からこんな感じなのかもしれない。


「で、話って何だっけ? 皐月」


「そうね。まずは昨日のことね」


「ああ、柏木くんと一緒に帰ったけど、何もなかったみたいな?」


「えっ、そんな直球なこと言って」


「そうね。何もなかったわね」


 皐月さんは言うなり、僕の方へ顔を移してきた。


「せっかく、協力してもらって、柏木くんと二人で帰る機会を設けてくれたのに申し訳なかったわね」


「いや、別に僕に謝るようなことじゃ……」


「謝るようなことよ」


 毅然と言い切る皐月さん。苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。


「そして、何もできなかった自分自身が腹立たしいわね」


「未亜、そうやって、自分を責めるのはよくないよー」


「わかってるわよ。でもね、1%もわたしのせいではないというわけではないわよね?」


「それはまあ、そう言われるとねー」


 未亜は返事をするとともに、僕の腕を小突いてくる。どうにかしろという合図らしい。いや、っていっても、何をすれば正解なのか。


「柏木くんと何も話ができなかったわね」


「そう、なんだ」


「和希くんは柏木くんから何か聞いた?」


「実はまあ、今朝、そのことを聞こうかと思ってて」


「そうなの。それなら、邪魔したみたいね」


「いやいや、皐月さんは何も」


「やっぱり、わたしは柏木くんと付き合うことは難しいのかもしれないわね」


「でも、本当に何も話さなかったわけじゃ」


「それはまあ、そうね」


「具体的には、どんなことを?」


「中間テストが近づいてきた話とかね」


「ああ、そうだね」


 僕はうなずきつつ、「他には?」と促す雰囲気でないことを今更になって察した。


 だって、皐月さんは俯き加減になってるし、未亜はお手上げみたいなポーズを取ってる。って、完全に僕頼みになってるような。


「本当に申し訳なかったとしか言えないわね。もう、柏木くんとは目が合えないわね。だったら、死んだ方が」


「いやいや、それは急すぎるって!」


 僕は慌てて手を横に振る。


「だって、皐月さんはみんなからの憧れだし、次期生徒会長という噂だってあるし、成績は学年トップだし……」


「そうね。それは学校内でのわたしの話ね。でもね、和希くん。片想いしてる男子一人に対して、一度は振られて、そして、二度目は何とかしようとしても、一緒に下校するだけで大した話もできない。挙句に、親友の未亜に助けを求めて何とか生きてるわたしが本当のわたしだから」


 皐月さんは言い切ると、カップを口につけ、中身を一気に飲み干してしまう。さっき、やけどするとか何とか話してたような。


「だから、和希くんにはわたしの協力は取り下げてもいいと思っているのだけれど」


「ちょ、未亜! それはダメだってー。だって、そう色々言っても、柏木くんのこと、諦めきれないんでしょ?」


「それは、そうだけれども……」


 未亜の追及に、皐月さんは顔を逸らして、ぎこちなく答える。頬をうっすらと赤くしてるのは、ホットカフェオレを飲んだばかりか。あるいは単に恥ずかしがっているのか。


 どちらにせよ、今視界に映っている皐月さんが高嶺の花と感じている彼女だ。加えて、未だに僕が片想いをしている相手でもある。


 だから、どうにかしてあげたいという思いを捨てるなんてことはできない。


「いや、僕は協力するよ」


「和希、くん?」


 皐月さんのきょとんとした瞳が僕の方へ向けられる。


「それに、今回はあまりにも急に柏木くんと会わせたってこともあるし、今度は僕もちゃんと考えないといけないかなって。未亜も」


「えっ? あたし?」


「うん」


 話を振ると、未亜は両腕を組み、「そうだねー」と天井の方を見上げる。


「まあ、皐月はあたしたちがもっとフォローしないとねー。まあ、でも、前回は一人で特攻して玉砕するほどの覚悟と勇気があったんだから、それがあれば、後は頑張れば、上手くいくんじゃないかなーって」


 未亜は皐月さんと目を合わせるなり、自信ありげに何回も首を縦に振った。


 対して、皐月さんは呆気に取られていた感じで固まっていたのだが。


 間を置くなり、唇を綻ばした。


「未亜は相変わらずね」


「何が相変わらず?」


「そういうところよ」


 皐月さんの反応に、未亜は本当にわからないのか、首を傾げてしまう。


 おそらく、ポジティブに捉えたところを指しているのかもしれないけど、僕は黙っていた。伝えても、未亜は「そう?」と不思議に問い返すに違いないからだ。


「和希くんが引き続き協力するというのなら、わたしももう少し頑張ってみようって思えてくるわね」


「ということは、皐月は少し元気出てきた?」


「ええ」


 返事をする皐月さんは、今日はじめ会った時より明るくなっているような気がした。


「だから、少し遅れるけども、学校へ行くわね」


「それは何よりだねー」


「ところで」


 皐月さんは何かを思い出したかのように、僕と未亜の方へ視線を移す。


「わたしは今から学校へ遅刻の連絡をするのだけれど、二人は?」


「えっ?」


 僕は皐月さんに言われて、ようやく、学校にまだ何も連絡をしていないことに気づいた。


 すぐに僕はスマホを出し、時刻を確かめる。


「って、これなら、今から走れば、ギリギリ間に合うかも」


「あたしはパスかなー」


 未亜は遅刻しないことをさっさと諦め、手を横に振る。


 一方で僕としては、できるのなら、遅刻は避けたい。


 気づけば、僕は立ち上がっていた。


「その、皐月さん。ご馳走様でした」


「ありがとう、和希くん」


「いえ、僕は何も」


「話を聞いてくれた上で、協力を引き続きしてくれることを聞けたから、よかったわね。わたしとしては」


「それは、その、どうも」


 僕は片想いをしている皐月さんに照れてしまう。


「って、そんなことより」


「早くしないと間に合わなくなるよー」


「未亜は気楽でいいよね」


「まあねー。和希も諦めて、あたしや皐月と一緒に遅れて登校しようよー。両手に花だよー」


「いや、それはかえって、学校で噂が広がりそうだし、遠慮したいんだけど、って、早く出ないと!」


 僕はスマホの時刻が登校時刻に近づいていくことに焦り、急いで駆け出す。


「気を付けてねー」


 玄関を出たところで、未亜の気楽そうな声が耳に届いてきたが、僕は聞き流すだけだった。

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