第17話 下の名前で呼び合う僕と未亜と皐月さん

「未亜……」


「やっほー、皐月」


「その、どうも」


 マンション八階の外廊下にて、僕と富永さんはパーカー姿の高村さんと顔を合わせた。「高村」と記された表札の横にあるドアを半分ほど開け、奥は薄暗い。照明はついてないようだ。


「長井くん。その、嫌々で未亜に無理やり連れて来られたのなら」


「未亜、違うって。長井くんは自分の意志でやってきたんだよー。ねえ?」


「あっ、うん。そ、そうだね」


 僕は富永さんに話を振られ、ぎこちなく答える。


 一方で高村さんは不安げな視線を送ってくる。


「いいのよ、長井くん。本当のことを言っても。昨日、わたしに壁ドンされて、しかも、前に振られたことがある柏木くんと、その、恋人同士にしてほしいっていう無茶なお願いされているのだから。長井くんにはそう、拒否権があると思うから」


「拒否権って、皐月、大げさだよー」


「大げさじゃない」


 かぶりを振る高村さんは真剣そうな表情を浮かべる。


「そもそも、こんなわたしが次期生徒会長っていうのもおかしいのよ。そういうのはもっと、堂々としていて、リーダーシップの取れる別の人がなるべきで」


「あー、はいはい。とりあえず、中入っていい? 話はそこでしよう。ね?」


 富永さんはまだ話したげな高村さんの背中を押しつつ、中へ進んでいく。僕は気後れしつつも、「お邪魔します」と小声でこぼしつつ、続いていく。


 玄関や先に続く廊下は小奇麗な感じで、清潔さを保っていた。富永さんはさっさとローファーを脱ぎ、高村さんを先へと背中を押しつつ、向かっていく。


 僕も遅れて後を追う。


「さて」


 奥にあったリビングにて、僕と富永さんはダイニングテーブルの椅子に座っていた。向かい側では、高村さんが腰を降ろして、俯いている。


 というより、さっきから両親の姿が見えないのだけれど。


「あのう、富永さん」


「何?」


「もしかして、高村さんって、ここで一人暮らし?」


「そうだよー。ね?」


「そうね。両親は海外にいるわね」


 高村さんは目を合わせないまま、ぽつりと答える。だとしたら、ワンルームでもない今いるところは不釣り合いなような。


「でも、一人暮らしにしては広いような……」


「前はここで両親と暮らしていたから」


「そうそう。あたしも何回か遊びに行ったら、未亜のママがよく出迎えてくれたよねー」


「そうね」


 短く相槌を打つ高村さん。あまり、両親のことには触れたくないようだ。


 僕は改めて、高村さんを見てみた。


 上はパーカー、下は玄関で目にした限りはジーパンだったはず。そして、背中まで伸ばした艶のある黒髪は所々はねていて、寝癖っぽくなっていた。


「皐月、さっきまで寝てたでしょ?」


「そうね」


「お昼は?」


「まだ」


「お腹空かないの?」


「空かないわね。寝てれば、そういうのは気にしなくなるから」


 高村さんは淡々と話すと、おもむろに僕の方へ顔を移してきた。


「長井くん」


「あっ、はい」


「こういうわたしを見て、色々と驚いてるわよね?」


「いや、その、驚いてるというより、大丈夫かなっていうことの方が」


「それは、わたしのことを心配してくれてるってこと?」


「まあ、はい」


 僕は言いつつ、どう話をすればいいかわからなくなってくる。確か、陽太と恋人になれるように協力をすることをしっかり伝えればいいとかだったような。でも、学校で見かける大人びた雰囲気の高村さんとは異なり、戸惑っている自分がいる。なので、頭が上手く回らないといった感じだ。


「あっ、そうだ。皐月」


「何? 未亜」


「ほら、柏木くんに振られたことがあるって、昨日皐月が話したけど、その時、何で、あたしに教えてくれなかったのかなって」


「未亜にはその時、話したはずね」


「いや、聞いたのはどこぞの男子に告って振られたことくらいだよね?」


「そうね。確かに、その時は柏木くんだってことを未亜には教えていなかったわね」


 高村さんは言うなり、頬杖を突き、物憂げな表情になる。


「自信がなかったから」


「自信?」


 僕が聞き返すと、「ええ」と高村さんはうなずいた。


「中二の時、わたしがクラス委員長をしていた時、柏木くんが副委員長をして、それでよく一緒にいる時間があったのよね」


「そうだったんだ」


「それで、その、柏木くんが真摯に色々と手伝ってくれて。部活もあって忙しいのに、『生徒会のことで忙しいからね、高村さんは』とか言ってくれて。それで、段々と惹かれてきて」


「なるほどねー」


 富永さんは言うなり、両腕を組んで、うんうんとうなずいている。


 僕にとっては初耳だった。


 いや、中二で陽太と高村さんが同じクラスだったのは後から知った。中三で生徒会長になった高村さんを好きになってからだ。まさか、よく一緒にいたなんて。


「それで、わたしは柏木くんに告白しようと思った。けど、それはダメかもしれないとある日、思ったわね」


「ダメかもしれない?」


「ええ。それはね」


 高村さんは言葉を止めると、僕と目を合わせてきた。


「柏木瑞奈の存在よ」


「瑞奈が?」


「下の名前で呼ぶということはそれなりに親しい関係みたいね。まあ、そうよね。柏木くんは長井くんと幼なじみなのだから、その再婚相手の連れ子と親しくてもおかしくないわよね」


「いや、でも、瑞奈はほら、血は繋がってないとはいえ、単なる妹だし……」


「単なる妹?」


 高村さんは強い語気で僕に問い返してくる。


「違うわね。柏木瑞奈は単なる妹じゃないわね。いずれ、柏木くんと一緒になろうとしている女ね」


「ねえねえ」


 不意に、富永さんが僕に耳打ちしてきた。


「こんな皐月、あたし初めて見たよ」


「そうなの?」


「うんうん。というより、すっごくその、柏木瑞奈? 柏木くんの妹さんを敵視してるなーって」


「それは同感だけど」


 僕は口にしつつ、改めて高村さんと向かい合う。


「長井くん」


「は、はい」


「柏木瑞奈は柏木くんと仲がいいわよね?」


「それはまあ、兄と妹としては仲がいいかなって」


「あくまで、兄と妹としてという感じなのね」


「まあ、陽太もそういう風なことを言っていたし」


「そう、なの?」


 高村さんは驚いたのか、目を丸くした。


「本当に、柏木くんはそんなことを言っていたの?」


「まあ、本人の口からは、『シスコン』とか」


「へえー。柏木くんって、妹さんとべったりなんだねー」


「でも、恋愛感情とかは否定していたから」


「そう、なの」


 見れば、高村さんはどこか安堵したような顔を浮かべていた。頬を緩ませ、笑みを浮かべていた。


「それを聞いて、何だか安心したわね」


「ちなみに、その、話を戻すんですけど」


「ええ」


「その、陽太に告ることはダメかもしれないっていうのは、瑞奈の存在がいたからってことですけど、その時は確か、まだ、陽太と瑞奈の両親は再婚してないですよね?」


「そうね。でも、とある休日で目にしたのよ。柏木くんが女と一緒にいるところを。それで、後からその女が柏木瑞奈とわかっただけのことだから」


「ああ、なるほど」


 僕は納得をした。再婚前はお互いの両親と瑞奈で会うことがよくあったはずだ。当時、陽太から聞かされていたので、覚えている。で、たまたま、高村さんが目撃をしたということか。


「っていうことは、皐月」


「何?」


「その、妹さんを柏木くんの彼女さんと思って、だけど、諦めきれないから、ダメ元覚悟で告ったってこと?」


「そうね。未亜の言う通りよ」


「それで、振られちゃったと」


「ええ」


「で、あたしにはどこぞの男子に振られたことだけっていう事実を教えてくれた」


「そうね」


「なるほどねー」


「いや、何がなるほど?」


 僕は一人納得をしたような調子で声をこぼす富永さんに対して、首を傾げた。


「鈍いよー、長井くん」


「いや、本当にわからないから、その、どういうことかなって」


「しょうがないなー。じゃあ、逆に、長井くんが皐月の立場だったら、柏木くんはどうする?」


「どうするって、それはまあ、ダメ元で告って実際に失敗したから、自業自得だし、その、あまり他人には言えないかなって、あっ」


「長井くん、自業自得はちょっと言い過ぎかなー」


 指摘をする富永さんに対して、僕は高村さんの方へ視線をやる。


「その、ごめん。別に自業自得とかは」


「いいのよ。実際にそうなのだから」


「でも……」


「それより、長井くんはわかったみたいね。わたしが振られた相手を柏木くんだって、未亜に教えなかった理由を」


「まあ、それは……。でも、振られたことは教えたんだなって」


「そうね。その時のわたしは振られた翌日に一週間ほど休んだから。それで心配になった未亜が来て、理由を聞かれたからそこまで話したのよね」


「そうだったねー。まあ、考えれば、あの時はひどく落ち込んで塞ぎこんでいたから、相手が誰とかはすごく言いたくなさそうな感じだったよねー」


「思い出したのね」


「まあ、あの後の皐月が吹っ切れたように生徒会の仕事とかこなして、生徒会長になったからねー。あの塞ぎこんでいたのは何だったのかって思うくらい」


「でも、その後は時々あったわよね。今みたいに休むようなこと」


「そうだねー。でも、あの時みたいに、一週間ほど休むのはあれくらいだったと思うよ」


「それは否定できないわね」


 高村さんは口にするなり、笑みを浮かべた。


「色々と話をしていたら、お腹が空いてきたわね」


「あれー? さっきは、『寝てれば、そういうのは気にしなくなるから』とか言ってなかったっけ?」


「それは、未亜や長井くんの話が終わったら、また寝ようと思っていただけのことよ」


「ということは、今日はもう寝ないで過ごそうってこと?」


「そうね」


 こくりとうなずく高村さん。


 そして、なぜか、僕の腕を小突いてくる富永さん。


「よかったねー。皐月、元気になったみたい」


「そうなの?」


 囁いてくる富永さんに対して、疑問をぶつける僕。いったい、今までの話からどこで元気が出たのか、皆目見当がつかない。


「長井くん」


 不意に、高村さんが僕を呼んだので、目を合わせた。


「は、はい」


「その、改めてなのだけど……」


「もしかして、その、陽太と付き合えるように協力する話のこと?」


「そうね」


 口にする高村さんはだけど、どこか気まずそうな表情を浮かべていた。もしかして、まだ、壁ドンしたことを引きずっているのだろうか。


「あのう、高村さん」


「何?」


「とりあえず、その、昨日、生徒会室であったことは全然、その、気にしてないので、その、安心してもらえたらと」


「本当に?」


 高村さんは言うと同時に、テーブルから前のめりになって、聞いてきた。よほど、僕の発言を信じられないといった様子で。


 対して僕は、高村さんに圧倒をされた感じで、戸惑ってしまう。


 同時に、高村さんも察したのか、すぐに体を戻す。


「ごめんなさい。ちょっと、その、そういう風に言ってもらえると思わなかったから」


「とりあえず、その、協力する話は引き受けるってことで」


「ありがとう」


「いや、僕はまだ何もしてないし」


「いえ、わたしとしては、頼みを引き受けてくれることだけでも感謝したいくらいだから」


「よかったねー、皐月」


「未亜にも少しは感謝しないといけないわね」


「少しは余計だよー。ねえ、和希」


「和希?」


 急に下の名前で呼ばれたので、僕は驚いた。


 だが、富永さんはむしろ、不思議そうに首を傾げる。


「あれ? あまり軽々しく呼ばれるのは嫌だった?」


「いや、別に僕は気にしないけど、あまりにも急だったから」


「いやね、皐月の頼みを引き受けてくれるなら、お互いに下の名前で呼び合うくらいの関係性があった方がいいかなーって、思っただけで」


「お互いに?」


 僕が問い返すと、「そう!」と富永さんは声を上げる。


「というわけで、あたしは未亜、で、こっちは皐月って呼ぶってことで」


「ちょ、ちょっと待って」


 僕は慌てて手を何回も横に振る。


「あのう、高村さんまで下の名前で呼ぶのは、その、ちょっと……」


 僕は恥ずかしくなってきて、変に目を逸らしてしまう。富永さんはいいとして、高村さんは密かに僕が想いを寄せている相手だ。まあ、高嶺の花とかで諦めに近い気持ちが今までだった。なのに、恋の手伝いはおろか、今度は下の名前で呼ぶとか、願ったり叶ったりだ。なのに、拒んでしまうのは、現実で起きてることが信じられないからだ。つまりは、大いに戸惑っているわけなのだが、もしかしたら、夢なのかもしれない。


「あのう、富永さん、じゃなくて、その、未亜」


「何―?」


「その、僕のほっぺたをつねってもらえないかなって」


「へえー。和希は女子に対して、そういうことをしてもらいたい性癖があるんだねー」


 未亜は頬を緩ませつつ、遠慮なく、僕の片頬を指で強く摘まむ。


「い、痛いです」


「それはそうだもん。これが現実だもんねー」


 未亜は笑いつつも、なぜか、指を離そうとしない。いや、普通に痛いので、もうやめてほしいんだけど。


「二人とも」


 気づけば、向かい側に座っていた高村さん、いや、皐月が白い目を向けてきていた。


「わたしの家でいちゃつくのなら、帰ってもらいたいのだけれども」


「ごめんごめんー。その、怒らないでよ、皐月」


「未亜はそういうところがあるんだから」


 不機嫌そうな顔をする皐月に対して、未亜はようやく僕の頬から指を離した。で、両手を重ねて、軽く頭を下げる。


「だから、ほら、こうして謝ってるから―。ほら、和希も」


「えっ? 僕も?」


 問い返せば、「まあまあ」と適当な反応を示す未亜。


 僕はつねられた頬をさすりつつも、皐月に向かって、頭を下げた。


「その、ごめんなさい」


 僕が口にすると、ため息とともに、椅子から立ち上がる音が聞こえてくる。


 見れば、皐月が奥にあるキッチンへ向かっていく後ろ姿が視界に映った。


「わたしはその」


 不意に足を止めた皐月は振り返らずに声をこぼす。


「呼び捨てというのは失礼だと思うから、その、長井くんのことは、和希くんと呼ぶわね」


 皐月の言葉は、僕にとって、一瞬理解が追いつかない内容だった。だって、今まで高嶺の花と思っていた女子から、下の名前で呼んでくれるのだ。「さん」付けでも正直嬉しい。いや、なければ、もはや、単なるクラスメイト同士ではないだろう。


「だから、その」


 ようやく正面を向けてきた皐月は、左右の手で指をいじりつつ、目を泳がせていた。気のせいだろうか、頬がうっすらと赤く染まっている。


「わたしのことはその、皐月、さんと、呼んでくれると嬉しいのだけれど」


「そ、それはもちろん」


 ぼくは間を置かずに、すぐに返事をしていた。もはや、「さん」があるかどうかなど、どうでもいい。皐月さん本人から直接言われるのは感激に近いものだ。


 一方で、未亜はつまらなそうな表情をしていた。


「堅苦しいよー、皐月」


「親しき中にも礼儀ありというものよ、未亜」


「じゃあ、あたしともお互い『さん』付けでもしてみる?」


「それはそれで変よね?」


「なら、和希も『さん』付けしなくてもいいかなーって、思うけど?」


「それとこれとは別の話よ」


「別の話ねー」


 未亜は言いつつも、どこか納得ができないといった調子だった。


 僕は皐月さんと未亜の様子を見つつ、なぜ、ここにいるのだろうかと考えてしまう。今更だ。


「とりあえず、その、和希くん」


「あっ、はい」


「これからよろしく頼むわね」


「それは、はい。その、皐月、さん」


 僕は照れつつも、皐月さんを初めて下の名前で呼んだ。


 まあ、皐月さんが好きな相手は陽太であり、その恋が叶うように手伝うのは僕なのだけれど。

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